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口の達者な奴は殴られてこそ目が覚める

「さっきの話がまだ終わっていない気がしたので」


ブランの顔から笑みが消えた。


隣にいた二人の傭兵もカイルを見つめた。


ヘルンが低い声で言った。


「カイル」


今度はカイルも聞こえていた。


だが引かなかった。


ブランが尋ねた。


「まだ何を話したいんだ」


「簡単なことです」


カイルが言った。


「あなたたちが余所者から取っているあの金のことです」


ブランの目が細くなった。


「またその話か?」


「せっかく戻ってきたんですから、最後まで話した方がよくないですか」


「俺がお前に説明しなきゃいけないのか?」


「説明できない金を取る方がおかしくないですか」


隣にいた傭兵の一人が呆れ笑いを漏らした。


「こいつ、本当に頭おかしいんじゃないか?」


カイルは気にしなかった。


「村長が許可したわけでもなく」


ブランの目つきが冷たくなった。


「伯爵家が命じたわけでもない」


「やめろ」


「なのに余所者はずっと金を払い続けている」


周りを通っていた人々が足を緩めた。


何人かはこちらを見ていた。


ブランもそれに気づいた。


表情がさらに悪くなった。


カイルはその変化を見逃さなかった。


(人に見られるのが気になるんだな)


だとすればここを突く。


「なぜなら」


カイルが言った。


「あなたたちが怖いからです」


ブランの口角がぴくりと動いた。


「何だと?」


「規則だから払っているんじゃなく」


カイルはブランの腰の剣を一度見下ろした。


「断ったら面倒なことになるとわかっているから払っているんですよね」


一瞬、静かになった。


ヘルンが低く言った。


「カイル、やめろ」


だがもう遅かった。


ブランがカイルにゆっくりと近づいた。


「お前、今」


顔が近くなった。


「俺たちが人を脅して金をせびってる連中だって言ってるのか?」


カイルは少し考えた。


「そこまで直接的には言っていません」


隣の傭兵の一人が笑いそうになったが、ブランの顔を見てすぐに口をつぐんだ。


カイルはその様子まで見た。


金のためではない。


面子。


それが問題だった。


自分より弱い余所者一人が、人前で権威に手を出している。


政治家も同じだった。


会議室の中で受ける批判と。


記者たちの前で受ける批判はまったく違う。


公然と面子を失った瞬間、人ははるかに攻撃的になる。


カイルはそれを知りながらも、もう一歩踏み込んだ。


「あなたたちが本当に村を守るために金を受け取っているなら」


ヘルンがカイルの腕をつかんだ。


「もういい」


カイルは腕を振りほどいた。


「その金がどこに使われているのか見せてくれるだけでいいんです」


ブランの顔から表情が消えた。


「単純じゃないですか」


ブランの拳が飛んできた。


ドスッ!


カイルの顔が横に振れた。


一瞬、耳が詰まった。


何が起きたのか理解するのにも一拍遅れた。


口の中に生臭い味が広がった。


「カイル!」


ヘルンが叫んだ。


カイルは一歩よろめいた。


舌で口の中をなぞった。


肉が少し切れたようだった。


血の味。


カイルはゆっくりと顔を戻した。


ブランが手首を振った。


「言っただろう」


カイルは彼を見つめた。


怒りが込み上げた。


殴られたからだけではなかった。


人々が見ていた。


それがさらに腹立たしかった。


黒田総一郎だったら。


まさか。


その単語が真っ先に浮かんだ。


まさか誰が自分を殴るというのか。


初当選の頃でさえ、こんな扱いは受けなかった。


大臣になった後はなおさらだった。


総裁候補だった頃には、誰が一定の距離内に近づくかすら警護要員が管理していた。


なのに今は。


市場のど真ん中で。


つい最近知り合ったばかりの傭兵に顔を殴られた。


カイルの視線が周囲へ向いた。


人々が見ていた。


商人。


住民。


荷物を運んでいた人々。


少し離れた所には衛兵も一人いた。


明らかにこちらを見た。


だが動かなかった。


ブランが言った。


「もう少しはわかったか?」


カイルがゆっくりと尋ねた。


「何をですか」


ブランの眉がぴくりと動いた。


ヘルンがカイルの腕をつかんだ。


「もうやめろ」


「少し待ってください」


「カイル」


カイルはブランから目を離さなかった。


「気になることがあるので」


ブランが呆れ笑いを漏らした。


「何がだよ」


「あなたがなぜそんなに自信満々なのか」


隣の二人の傭兵が表情を強張らせた。


ヘルンがつぶやいた。


「本当にどうかしてる奴だな」


カイルは聞こえないふりをした。


ブランはむしろ笑った。


「なんで自信満々かって?」


「はい」


「見ろよ」


ブランが周囲を指差した。


「誰がお前の味方をしてくれるんだ」


カイルの視線が動いた。


いなかった。


ブランは遠くに立つ衛兵を指した。


「あそこにもいるな」


衛兵はこちらを見ていた。


ブランと目が合うと視線をそらした。


「呼んでみろ」


カイルは何も言わなかった。


ブランが笑った。


「さっき規則がどうの伯爵がどうのとよく喋ってたのに」


彼が自分の胸を指で叩いた。


「魔物が下りてきたら誰が出て行くと思う?」


カイルが先に答えた。


「ガルト傭兵団」


ブランが一瞬止まった。


「そうだ」


「盗賊が現れても」


「そうだ」


「商隊の護衛も」


ブランの口角が上がった。


「少しは頭が回るようになったな」


カイルはゆっくりとうなずいた。


「だから誰もあなたたちに手を出さないんですね」


「そうだ」


「村に必要だから」


ブランが満足げに笑った。


「今頃わかったか?」


カイルは彼を見つめた。


「必要なことと正当なことは別の話じゃないですか」


ヘルンが目を閉じた。


ブランの笑みも消えた。


「お前、本当に」


ブランの拳が再び動いた。


ドスッ!


重い拳がカイルのみぞおちに突き刺さった。


「ぐっ!」


カイルの体がそのまま折れ曲がった。


息が一気に抜けた。


片膝が地面についた。


最初は痛みより息ができないことの方が恐ろしかった。


口を開けても空気がまともに入ってこなかった。


数秒がとても長く感じられた。


「カイル!」


ヘルンがブランを突き飛ばした。


「やめろ!」


ブランが一歩下がった。


「おっさん」


「やめろと言っただろう」


「こいつがずっと突っかかってくるんですよ」


「口で少し突っかかったからって人を殺す気か!」


隣の二人の傭兵が動いた。


一人はブランの脇についた。


もう一人はヘルンを警戒した。


カイルはようやく息を吸い込んだ。


「はあ……」


喉が焼けるようだった。


みぞおちの下がずきずきした。


だが頭はむしろ冷たくなった。


ヘルン一人。


ブラン。


傭兵二人。


三人。


戦えばヘルンが負ける。


そして自分は助けになるどころか足手まといだ。


カイルは無理やり体を起こした。


「もういいです」


ヘルンが振り返った。


「お前は少し黙ってろ」


「もういいんです」


ブランが鼻で笑った。


「やっと正気に戻ったか?」


カイルは口元の血を手の甲で拭った。


「少しは」


周囲をゆっくりと見回した。


人々は相変わらず見ていた。


不快そうな顔。


怯えた顔。


無関心な顔。


面白がっている顔もあった。


その瞬間。


カイルは自分の勘違いに気づいた。


この世界でも人間は変わらない。


それは正しかった。


だが。


自分の立場は違った。


黒田総一郎は常に力を持つ側にいた。


法律を口にすれば動く人間がいた。


手続きを口にすれば確認する組織があった。


電話をかければ人が来た。


党。


官僚。


メディア。


企業。


無数の関係が自分の言葉の後ろに控えていた。


だから錯覚した。


自分が話が上手いから人が動くのだと。


違った。


言葉が力を持つ理由は。


その言葉を無視した時に相手が失うものがあったからだ。


今の自分には?


金。


ない。


地位。


ない。


組織。


ない。


人。


ヘルン一人。


それすら昨日会ったばかりだった。


カイルはブランを見つめた。


言葉では勝てるかもしれない。


おそらく。


だがそれに何の意味があるのか。


言葉の勝負の結果が拳二発だとしたら。


それは勝利ではない。


カイルが静かに言った。


「行きましょう」


ヘルンが意外そうに見た。


「本当か?」


「はい」


ブランが鼻で笑った。


「最初からそうしてれば殴られずに済んだのに」


カイルは反論しなかった。


ブランの脇を通り過ぎた。


数歩進んで立ち止まった。


振り返りはしなかった。


「ブラン」


「何だ」


「名前は覚えました」


一瞬の静寂。


ブランがせせら笑った。


「脅しか?」


「いいえ」


カイルが再び歩き出した。


「記憶力がいい方なので」


背後で二人の傭兵の笑い声が聞こえた。


カイルは振り返らなかった。


***


しばらく二人は無言で歩いた。


カイルはみぞおちの下を手で押さえていた。


頬もずきずきした。


口の中にはまだ血の味が残っていた。


ヘルンが先に口を開いた。


「だから言ったろう」


カイルは答えなかった。


「口を慎めって言ったよな?」


「聞きました」


「聞いといてなんで喋り続けるんだ」


ヘルンが呆れた顔で見た。


「殴られるまで喋り続ける習慣って何だよ」


カイルが苦笑した。


笑った瞬間、みぞおちが引きつった。


すぐに顔が歪んだ。


「言葉で相手する習慣です」


「言葉が通じなかったら?」


カイルはしばらく考えた。


ゴブリンが思い浮かんだ。


そしてブラン。


「俺の考えが間違っていました」


ヘルンが歩調を緩めた。


「何を?」


「ブランは言葉が通じなかったわけじゃありません」


カイルが言った。


「俺の言葉を全部理解していました」


「それで?」


「聞く理由がなかっただけです」


ヘルンは理解できないというように首を傾げた。


カイルはそれ以上説明しなかった。


政治とは説得ではない。


少なくとも黒田総一郎が知っていた政治はそうだった。


説得で動かせれば一番安い。


説得が無理なら利益を与える。


それも無理なら損失を見せる。


それでも動かなければ。


その人間の周りを動かす。


結局重要なのは。


相手が動く理由を作ることだ。


だが今カイルはブランに与えられるものが何もなかった。


奪えるものもなかった。


だから政治力99は。


今はただの数字に過ぎなかった。


ヘルンが言った。


「今日のことは忘れろ」


カイルが彼を見た。


「なぜですか」


「ブランは性格は悪くても、ガルト傭兵団と関わって良いことはない」


カイルはしばらく考えた。


「それは難しいです」


ヘルンがため息をついた。


「またなんだ」


「忘れたら同じ目に遭いますから」


カイルは前を見つめた。


村長の大きな家。


衛兵隊の詰所。


市場。


商店。


傭兵。


住民。


少し前まではただの人々だった。


もう違った。


ブランがなぜあんな振る舞いができるのか知る必要がある。


ガルト傭兵団は誰とつながっているのか。


商人たちはなぜ彼らを必要としているのか。


村長はなぜ放置しているのか。


衛兵隊はなぜ介入しないのか。


彼らの間には何があるのか。


カイルの口角がほんの少し上がった。


「何笑ってる」


ヘルンが尋ねた。


「何でもありません」


「殴られてから笑う奴は初めて見たな」


カイルは笑みを消した。


「剣を持つ奴には言葉だけでは駄目だということを学びました」


「それを今頃知ったのか?」


「いいえ」


カイルが首を振った。


「剣を持つ奴に自分の言葉を聞かせるようにすればいいんです」


ヘルンが足を止めた。


「お前」


「はい」


「さっきまで殴られてたこと、覚えてるよな?」


カイルは舌で口の中の傷に一度触れた。


ひりひりした。


「よく覚えています」


忘れるはずがなかった。


前世で政敵を倒す時。


黒田総一郎は自ら拳を振るったことがなかった。


相手の後援者を切った。


側近を引き抜いた。


同じ陣営の中に疑いを植えた。


必要なら相手側の人間により良い椅子を約束した。


そして最後には。


戦う相手がいないようにした。


カイルはゆっくりと村を見渡した。


(またやればいい)


ただ。


最初からやり直す必要がある。


金がなければ金を持つ人間を探す。


力がなければ力を持つ人間を動かす。


地位がなければ地位を持つ人間を利用する。


人がいなければ。


人から集めればいい。


その日。


カイル・ベルトランは異世界で初めて正確に理解した。


政治力99は。


権力ではなかった。


権力は。


自ら作り出すものだった。

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