この世界でも人間は変わらない
「余所者なら金を出せ」
男が手を差し出した。
カイルはその手を見下ろした。
胼胝。
指の関節にある小さな傷。
剣を多く握った手だった。
視線を少し上げた。
革の鎧。
腰の剣。
鎧の左胸に結ばれた赤い布切れ。
男の両脇に立つ二人にも同じ布切れがあった。
衛兵ではないようだった。
カイルは黙って目の前の男に集中した。
【観察】
半透明の画面が浮かんだ。
【ブラン】
種族 : 人間
年齢 : 31
職業 : 傭兵
Lv.9
筋力 : 22
体力 : 20
敏捷 : 18
感覚 : 16
魔力 : 2
状態 : 退屈 / 警戒
カイルの視線が筋力で止まった。
22。
自分は7。
(殴られたらかなり痛そうだな)
両脇の傭兵たちも調べた。
レベル7。
レベル8。
三人とも自分よりはるかに強かった。
カイルは戦うという選択肢をすぐに消した。
「いくらですか」
ブランがにやりと笑った。
「話が早いな」
「いくらかと聞いています」
「余所者は銀貨2枚」
カイルはヘルンを見た。
ヘルンの表情が強張っていた。
「いつから余所者から通行料を取るようになったんだ」
ブランが顔を向けた。
「ヘルンのおっさん」
「聞いてるだろう」
「最近周りが物騒じゃないですか」
「それで?」
「警備代です」
ヘルンが呆れた笑いを漏らした。
「衛兵隊が別にいるだろうが」
ブランの表情がほんの少し変わった。
「俺たちの方があいつらより走り回ってますよ」
口調は軽かった。
だがカイルはその短い反応を見逃さなかった。
(衛兵隊と仲が悪いのか)
とりあえず覚えておいた。
ブランが再びカイルを見た。
「で、金は?」
「ありません」
ブランが目を瞬かせた。
「ない?」
「はい」
「なら入れない」
「それは困ります」
「知ったこっちゃない」
カイルはしばらく考えた。
金。
身分。
人脈。
何もない。
前世だったら数言で片がついたことだ。
どの機関の管轄か確認する。
規定があるか見る。
担当者を呼ぶ。
それでも解決しなければその上の人間に連絡する。
だが今は。
そのすべてがなかった。
残っているのは口だけだった。
カイルが尋ねた。
「この通行料は誰が決めたんですか」
ブランの眉が上がった。
「は?」
「村の規則ですか」
「なぜだ」
「規則なら理解します」
ブランがせせら笑った。
「金もないくせに」
「それとこれとは別の話です」
カイルが冷静に言った。
「誰が決めた規則なのかを聞いています」
ブランの笑いが少し減った。
「口が達者だな」
カイルは止まらなかった。
「村長が決めましたか」
答えがなかった。
「それともセルバン伯爵家からの命令ですか」
ブランの表情が強張った。
それで十分だった。
カイルはうなずいた。
「どちらでもないんですね」
ブランの隣の傭兵の一人が思わず笑った。
ブランがそちらをにらむと笑いはすぐに消えた。
カイルはそこまで目に入れた。
(序列ははっきりしてるな)
そしてもう一つ。
村長でもない。
伯爵家でもない。
だとすれば自分たちで作った規則だ。
見覚えがあった。
公式な権限はないが現場で力を持っているため人々が従う構造。
前世でもそういう人間や組織はいくらでもあった。
肩書きより実際の影響力の方が大きい存在たち。
形が違うだけだった。
「では」
カイルが言った。
「税金ではないですね」
ブランの目が細くなった。
「何だと?」
「村が徴収する金でも領主が徴収する金でもないんですから」
「それで?」
「単にあなたたちが受け取っている金だという意味です」
ヘルンが小さく息を吸い込んだ。
「カイル」
やめろという意味だった。
カイルもわかっていた。
だが相手の反応から必要な答えはもう得ていた。
ブランが一歩近づいた。
「初めて来た奴なら初めて来た奴らしく大人しくしてる方がいいぞ」
カイルは彼の剣の柄を一度見てから、また顔を見た。
「助言はありがたく」
「表情はあまりありがたそうに見えないが」
「元々こういう顔です」
隣の傭兵の一人が笑いを堪えた。
ブランはしばらくカイルを見下ろしていた。
「面白い奴だな」
カイルは内心思った。
(俺は全然面白くないんだが)
ヘルンが前に出た。
「もういいだろう」
ブランを見ながら言った。
「俺が連れてきた人間だ。今日はそのまま通してくれ」
ブランがヘルンを見た。
「おっさん」
「俺の顔を立ててくれ」
ブランはしばらく考えた。
カイルが口を開こうとすると、ヘルンが肘で脇腹を突いた。
「お前は黙ってろ」
「俺はまだ―」
「黙ってろ」
ブランがついに片側にどいた。
「いいでしょう」
そしてカイルを指差した。
「今日はヘルンのおっさんに免じて通してやる」
カイルはその言葉を聞いてもしばらく動かなかった。
ブランが付け加えた。
「あと村に入ったら余計なこと言って回るなよ」
カイルが尋ねた。
「余計なことの基準は何ですか」
ヘルンがすぐにカイルの腕をつかんだ。
「行くぞ」
「まだ話が―」
「行くんだ」
ヘルンが引っ張った。
カイルは力で抵抗できなかった。
筋力15の農夫にそのまま引きずられていった。
後ろにいた二人の傭兵の間から笑いが弾けた。
「ヘルンのおっさん!」
ブランが叫んだ。
ヘルンは振り返らなかった。
「そいつの口、ちょっと気をつけさせろ!」
「お前こそ口に気をつけろ!」
ヘルンが言い返した。
カイルは一瞬後ろを振り返った。
ブランはすでに村の入り口の方へ体を向けていた。
カイルはその顔を覚えておいた。
***
ラベルンはカイルが思っていたより大きかった。
家が200軒以上あるというヘルンの話は本当のようだった。
木と石を混ぜて作った建物が狭い道に沿って続いていた。
奥に入るほど人が増えていった。
子供たちが走り回っていた。
薪を運ぶ男。
籠を持つ女。
馬車を引く商人。
鎧を着た人間もちらほら見えた。
カイルの目は休まなかった。
市場。
鍛冶屋。
宿屋。
小さな神殿らしき建物。
そして少し離れた所には、周りよりずっと大きな二階建ての石造りの建物があった。
「あれは何ですか」
「村長の家」
ヘルンが答えた。
カイルが建物を眺めた。
「村で一番大きく見えますが」
「村長だからな」
門の前には槍を持った男が二人立っていた。
服装も統一されていた。
「あの人たちが衛兵隊ですか」
「そうだ」
カイルがうなずいた。
ちょうど通りかかった傭兵一人と衛兵が出くわした。
二人は挨拶をしなかった。
そのまますれ違った。
だが互いに通り過ぎた後も目は相手を追っていた。
カイルは歩調を少し緩めた。
(やっぱりな)
さっきブランが衛兵隊の話に見せた反応とつながった。
二人の間には何かある。
正確な理由はわからない。
今はそれで十分だった。
情報は先に積み上げておけばいい。
もう少し歩くと市場が現れた。
急に音が大きくなった。
「3個で銅貨4枚!」
「昨日は3枚だったろ!」
「だから昨日買うべきだったんだよ!」
品物の値段を巡って争う人。
果物の値段を値切る人。
客を奪ったと声を荒げる商人。
馬車が道を塞いだと悪態をつく人。
カイルはしばらくその光景を眺めた。
妙に見慣れていた。
その時、一人の商人が衛兵に近づくのが見えた。
数言交わすと小さな物を手に握らせた。
硬貨のように見えた。
衛兵は周囲を一度見回すと、自然に懐へ入れた。
カイルの口角がほんの少し上がった。
ヘルンが尋ねた。
「今度は何だ」
「何でもありません」
「その台詞、今日何回目だ」
カイルは市場を見回した。
服も違う。
建物も違う。
金も違う。
剣と魔法が存在する。
貴族もいる。
なのに。
人間のやることはあまりにも見慣れていた。
権力を持つ者は金を受け取り。
金を持つ者は権力を買う。
力を持つ者は規則より先に動く。
そして平凡な人々は不満を言いながらもその間で生きていく。
黒田総一郎が生涯見てきた世界だった。
カイルが小さく言った。
「人の住むところはどこも同じだな」
「何?」
「何でもありません」
ヘルンがため息をついた。
「記憶をなくしてから独り言が増えたな」
カイルは言い返さなかった。
むしろ少し気持ちが楽になった。
森では何もわからなかった。
ゴブリン一匹すら自分より強かった。
どこへ行けばいいのかもわからなかった。
だがここには人間がいた。
人間が集まれば組織ができる。
組織ができれば利害関係ができる。
利害関係ができる瞬間。
それは自分の知る世界だった。
カイルは初めて思った。
(もしかしたら生きていけるかもしれない)
***
ヘルンと市場の端を通り過ぎていた時だった。
「おい」
聞き覚えのある声。
カイルが振り返った。
ブランだった。
村の入り口で一緒にいた二人の傭兵も脇にいた。
ヘルンの顔が強張った。
「また何だ」
ブランはヘルンには答えなかった。
カイルだけを見つめていた。
「さっきはヘルンのおっさんに免じてそのまま通してやったが」
ブランがゆっくりと近づいてきた。
「考えれば考えるほどお前の口の利き方が引っかかってな」
カイルが目を細めた。
「口の利き方が気に入らなくて戻ってきたんですか」
「そうだ」
ブランが笑った。
「誰の前で口を叩いてるのか、少し教えてやらなきゃいけないと思ってな」
ヘルンが前に出た。
「ブラン」
「おっさんは今回は引っ込んでてくれ」
ブランはカイルから目を離さなかった。
「村の中でもそういう口を利いて回られたら困るんだよ」
カイルはブランを見つめた。
恐怖より先に苛立ちが込み上げた。
見覚えのある種類の人間だった。
小さな権力を手にした後。
その権力を軽んじられることを何より我慢できない人間。
カイルが前へ一歩出た。
ブランの口角が上がった。
「何だ」
カイルが言った。
「さっきの話がまだ終わっていない気がしたので」
ブランの顔から笑みが消えた。




