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14/15

初めて人を利用して生き延びた

ラベルンへ戻る道は思ったより遠かった。


正確には。


カイルの体が思ったよりひどかった。


「はぁ……」


数歩歩いて。


止まる。


また歩いて。


また止まる。


手首は縄でこすれて血が乾きつき。


顔はブランに殴られたところがまだズキズキしていた。


胃のあたりも痛かった。


そこに盗賊たちに引き回されてまともに食べてもいなかった。


カイルは道端の木に手をついた。


「この体は……」


ため息が出た。


前世では運動不足でもこんなにまでつらくはなかった。


運転手付きの車があった。


秘書がいた。


随行員がいた。


歩くより待つことのほうが多かった。


なのに今は。


Lv.1。


体力8。


金もない。


馬もない。


馬車もない。


そもそも自分が歩いているこの道が本当にラベルンへ続いているのかも確信できない。


それでも遠くに見える地形は記憶と似ていた。


カイルは再び歩いた。


どれくらい経っただろうか。


日が少しずつ明けてきた。


森が薄くなり。


畑が見えた。


見覚えのある風景だった。


ヘルンの畑。


カイルの足が少し速くなった。


そしてほどなく。


遠くに人が見えた。


一人ではなかった。


二人。


一人は畑の端をうろついていて。


もう一人は道の方をずっと見つめていた。


カイルは目を細めた。


ヘルン。


そしてミアだった。


ミアが先にカイルを見つけた。


「お父さん」


ヘルンが顔を上げた。


しばし。


動かなかった。


それから大股で歩き始めた。


カイルは手を上げた。


「思ったより遅く――」


バン。


肩を打たれた。


「……」


カイルがヘルンを見た。


ヘルンの拳だった。


もちろん。


ブランに殴られた時とは比べものにならないほど弱かった。


それでも痛かった。


「何ですか」


「この馬鹿野郎!」


ヘルンの声が大きかった。


カイルが目を瞬いた。


「何がです」


「何がです、じゃないだろ!」


ヘルンの顔が赤くなった。


「日が暮れる前に帰ってこいと言ったろ!」


カイルは空を見た。


昨日出て行って。


夜をまるまる越えて帰ってきた。


「少し遅れましたね」


「少し?」


ヘルンが再び手を上げた。


カイルが反射的に一歩下がった。


「待って」


「一晩中帰ってこなかったじゃないか!」


「それには事情がありました」


「事情?」


ミアが近づいてきた。


彼女の顔にもまともに眠れなかった様子が残っていた。


「お父さん、夜中に何度も外に出てたんですよ」


カイルがヘルンを見た。


「私のためにですか」


「じゃあ誰のためにだ!」


ヘルンが叫んだ。


「村まで行ってみたけどお前を見た人もいなくて!」


「……」


「デリックにも聞いたよ。夜が明けたら一緒に探そうと思ってたって」


カイルはしばらくヘルンを見つめた。


理解しがたかった。


自分を知ってから何日にもなっていないのに。


「なぜですか」


ヘルンが顔をしかめた。


「何が」


「なぜそこまで探すんですか」


今度はヘルンが言葉を失った。


「それは……」


少し後。


ヘルンが呆れたような表情をした。


「人が帰ってこなかったんだよ」


カイルは答えなかった。


「俺の家で泊まって出た奴が、夜になっても帰ってこなかった。それなら心配するだろ」


「それだけですか」


「他に何が必要なんだ」


カイルの口がしばらく閉じた。


またか。


食事一杯にも代価がなかった。


寝床にも代価がなかった。


今回は。


心配することにも代価がなかった。


韓再国が生きてきた世界では珍しい種類の人間だった。


いや。


もしかしたら。


自分がそういう人間を見なくなっただけかもしれなかった。


「まあ生きてればいい」


ヘルンがぶつぶつ言った。


そしてカイルの顔を詳しく見た。


表情が変わった。


「お前」


ヘルンの視線がカイルの手首に落ちた。


「それ何だ」


縄の跡。


血。


擦れた皮膚。


ミアも気づいた。


「手、見せてください」


「大したことありません」


「見せてください」


口調が断固としていた。


カイルは素直に手を差し出した。


ミアが手首を確認した。


表情が固まった。


「これ縄の跡みたいですけど」


ヘルンがカイルを見た。


「何かあったのか」


カイルはしばし迷った。


隠す理由はなかった。


「盗賊に捕まりました」


「何?」


ヘルンの声が大きくなった。


「道で3人に捕まりました」


「3人?」


「最初はです」


ヘルンの顔が固まった。


「最初は?」


「引き回されてみたらもっといました」


「何人だ」


「私が見ただけで合計9人」


ヘルンの表情が完全に変わった。


ミアもカイルを見つめた。


「9人ですか」


「はい」


「それでどうやって逃げたんですか」


カイルは口を開こうとして止まった。


どうやって。


少し考えてみると。


説明しにくかった。


戦ったとも言えない。


誰かが自分を救ってくれたと言うのも難しい。


「互いに争わせました」


ヘルンが目を瞬いた。


「何?」


「盗賊たち同士でです」


「どうやって」


カイルが肩をすくめた。


「言葉で」


ヘルンがしばらくカイルを見つめた。


そしてミアを見た。


ミアもヘルンを見た。


二人とも同じ表情だった。


カイルが聞いた。


「なぜそんな顔で見るんですか」


ヘルンが言った。


「お前、頭も殴られたのか?」


「……」


「お父さん」


「いや、そうだろ。盗賊9人を互いに争わせて逃げてきたって言うんだから」


カイルがため息をついた。


「正確には、もともと仲があまり良くありませんでした」


「それをお前がどうして分かる」


「見れば分かります」


「何を見るんだ」


「人をです」


ヘルンが口をつぐんだ。


カイルはあえてそれ以上説明しなかった。


観察。


関係感知。


不満。


恐怖。


そんなことを説明したところで自分自身もまだきちんと理解していない。


何より。


システムの話を他人にする理由はなかった。


ミアが言った。


「とにかく入ってください」


「大丈夫です」


「大丈夫そうに見えません」


「歩けます」


「それは大丈夫だという意味じゃないでしょう」


カイルがミアを見た。


反論しようとしてやめた。


正しい言葉だった。


*


ミアはカイルの手首を洗った。


ひりひりした。


「あっ」


「じっとしていてください」


「もう少し優しく」


「盗賊に捕まって帰ってきた人がこれくらいで痛いんですか」


「痛いのは別問題です」


ミアがふっと笑った。


ヘルンは向かいに座っていた。


まだ怒りが収まっていない顔だった。


「それで」


ヘルンが聞いた。


「あいつらどこにいるんだ」


「森の奥です」


「村から近いのか」


「正確な位置は分かりません」


カイルが自分の手首を見下ろした。


「引き回されている時は位置を覚えている状況ではなかったし。逃げる時も無我夢中で走りました」


「帰り道はどうやって見つけたんだ」


カイルが少し止まった。


「一人が方向を教えてくれました」


ヘルンが眉をひそめた。


「盗賊が?」


「はい」


「お前を捕まえた奴が?」


「そうです」


ヘルンの表情がさらに奇妙になった。


「なぜだ」


「分かりません」


今回はカイルがすぐに答えた。


本当に分からなかった。


推測できるだけだ。


「ただ『右』とだけ言いました」


「それで終わりか」


「はい」


「それを信じて行ったのか」


「他に選択肢がありませんでした」


ヘルンが額を押さえた。


「お前、本当に長生きは難しそうだな」


カイルがふっと笑った。


「私も最近似たようなことを考えます」


ヘルンの表情が再び深刻になった。


「とにかく9人もの奴らが近くにいるってことは知らせないと」


「警備隊にですか」


「そうだ」


カイルは少し考えた。


ロエン。


Lv.13。


疲労。


苛立ち。


ガルトの傭兵団との対立。


そしてラベルン周辺で動く盗賊9人。


ドルマン一党が商団を襲ったという話も聞いた。


ラベルンに入る物資が減っていることと繋がるかもしれない。


だが。


まだ分からない。


彼らが襲った商団がラベルンへ向かっていた商団だったかも分からない。


一度生き延びたからといって。


全部分かったと錯覚すれば死ぬ。


今回は運もあった。


ボルトに不満がなかったら。


テルンが怖がらなかったら。


ドルマンが直接確認しようとしなかったら。


バルクが逆上しなかったら。


そして。


最後にテルンが叫んでいたら。


どれか一つでも違っていたら。


今ここにいなかった。


「カイル?」


ヘルンの声で考えが途切れた。


「聞いてるか?」


「はい」


「日が明けたから少し休んでから警備隊に行こう」


カイルはうなずいた。


「それがいいでしょう」


ミアが包帯を巻きながら言った。


「その前にご飯食べてください」


カイルが彼女を見た。


「また無料ですか」


ミアの手が止まった。


ヘルンがため息をついた。


「またこいつ始まった」


「重要な問題です」


「何が重要なんだ」


「代価がないことに慣れていないので」


ヘルンがしばらくカイルを見つめた。


そして言った。


「じゃあ後で返せ」


カイルが目を細めた。


「いくらをですか」


「金じゃなくて」


「それでは?」


ヘルンが少し考えた。


「お前がいつか余裕ができたら」


手を振った。


「腹を空かせた奴一人、飯でも食わせてやれ」


カイルは何も言わなかった。


ミアが笑った。


「お父さんらしい」


「何だよ。いい言葉じゃないか」


カイルはヘルンを見つめた。


不思議な人間だ。


やはり。


理解しがたい。


だが。


嫌いではなかった。


その事実がもう少し不思議だった。


*


食事は薄いスープと硬いパンだった。


カイルは黙って食べた。


腹が減っていた。


ほとんど器が空になる頃。


ふと一人の人物が思い浮かんだ。


テルン。


自分を捕らえた人間。


自分を木に縛った人間。


盗賊。


最初から自分を助けてくれる理由などなかった。


なのに最後には。


緩んだ縄を見ても叫ばなかった。


捕まえにも来なかった。


ただ。


右。


たった一言を残した。


カイルは匙を置いた。


(なぜだったんだ)


好意?


そんなはずはない。


自分とテルンの間にそんな関係はなかった。


罪悪感?


可能性はある。


だがそれだけで説明するには足りない。


恐怖。


それが最も大きかったはずだ。


カイルがそこに居続ければ事はさらに大きくなるかもしれなかった。


バルクとボルトの対立も。


ドルマンの疑いも。


テルン自身に向かう危険も。


だから。


カイルが消えたほうがテルンにとってもよかったのかもしれない。


だが。


確信はできない。


関係感知が示したのは。


【不満】


【恐怖】


その程度だった。


なぜそんな感情を抱いているかまでは教えてくれなかった。


テルンが自分を逃してくれた理由もまた。


結局テルンだけが知っているはずだ。


カイルは指で食卓をゆっくりと叩いた。


前世でもそうだった。


人間は必ず好意のために動くわけではない。


金。


恐怖。


欲。


体面。


恨み。


不安。


借りを作った気持ち。


何でも理由になる。


重要なのは。


その理由を知っていると錯覚しないことだ。


カイルは手を止めた。


今回は。


いくつかの感情を利用した。


ボルトの不満を利用した。


テルンの恐怖に触れた。


バルクの短気を刺激した。


ドルマンに自分の部下を直接確認させた。


いいことではなかった。


だからといって後悔もなかった。


彼らを利用しなければ。


自分が死んでいたはずだから。


(結局同じだな)


韓再国だった頃も。


人を利用した。


票を得るために。


地位を得るために。


権力を守るために。


そして最後には。


総理になるために。


今回は違った。


少なくとも目的の一つだけは。


カイルは包帯を巻かれた手首を見つめた。


生きるためだった。


その違いがどれほど大きいかは。


まだ分からなかった。


「何をそんなに考えてるんだ」


ヘルンが聞いた。


カイルが顔を上げた。


「大したことありません」


「大したことない顔じゃないぞ」


「私はもともと考えが多いんです」


「それは分かる」


ヘルンがパンをちぎりながら言った。


「口も多いしな」


カイルがふっと笑った。


「その口のおかげで生きてきました」


「今回も?」


カイルは少し考えた。


「はい」


そして付け加えた。


「今回は本当にです」


ヘルンは何のことか分からないという表情だった。


カイルは説明しなかった。


*


食事を終えた後。


カイルは外に出た。


朝の空気が冷たかった。


遠くにラベルンが見えた。


小さな村。


たった1,000人ほど。


前世の自分なら関心も向けなかった規模だった。


地元行事一つより小さい数字だ。


なのに今は。


あそこに入れなければ死ぬかもしれない。


金が必要だ。


情報が必要だ。


寝る場所が必要だ。


何より。


味方が必要だ。


ブランに殴られた時に学んだ。


言葉が正しいだけでは何の役にも立たない。


盗賊に捕まった時にもう一度学んだ。


力のない人間が生き延びるには。


力ある人間たちの間を見なければならない。


誰が誰を嫌っているのか。


誰が誰を恐れているのか。


誰が何を望んでいるのか。


そして。


誰が動けるのか。


カイルはラベルンを見つめた。


村長。


警備隊。


傭兵。


商人。


住民たち。


数日前にはただそれぞれの人間としてしか見えなかった。


今は少し違った。


人一人ではなく。


人と人の間が見え始めた。


もちろん。


まだかすかだった。


理由も分からない。


どれほど強いかも分からない。


自分の解釈が間違っている可能性もある。


盗賊たちの場合のように。


直接見て。


聞いて。


反応を確認しなければならない。


それでも。


何もないよりはよかった。


カイルが小さくつぶやいた。


「とにかく生き延びたし」


その次は。


ここで生きていく方法を見つけることだ。


後ろで戸が開いた。


ヘルンだった。


「寝ないのか」


「もう寝ようと思います」


「そうか。今日は一人でどこか行くこと考えるなよ」


カイルが振り返った。


「心配しているんですか」


「いや」


ヘルンが即答した。


「また探し回るのが面倒なだけだ」


カイルの口角が上がった。


「そういうことにしておきましょう」


「本当だからな」


「はい」


「この野郎が」


カイルはそれ以上言い返さなかった。


家の中に入った。


体は疲れていた。


目を閉じればすぐに眠れそうだった。


だが頭の中はむしろ鮮明だった。


ボルト。


テルン。


バルク。


ドルマン。


彼らの顔が次々と浮かんだ。


初めて。


この世界で人を利用して生き延びた。


成功と呼ぶには危うかった。


計画通りに進んだことより。


運よく回ったことのほうが多かった。


次も同じ方法が通じるという保証はない。


それでも一つは分かった。


政治力99という数字が。


代わりに戦ってくれるわけではない。


答えを教えてくれるわけでもない。


結局。


見て。


判断して。


選ぶのは自分だった。


カイルは目を閉じた。


今回は生き延びた。


次もそうするためには。


運に任せる部分を減らさなければならなかった。

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