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「国王陛下がお呼びです」
外からの呼びかけに何だろうと首を傾げる。
火傷をしてもお見舞いにすら来なかったのに、包帯が取れた今になってどうした。
ルクレッツィとしては母親と妻の板挟みならしんどいだろうなと思うけれど、個人的にはルクレッツィの心が死ぬ前に会ってあげてほしかったなと思う。
結局ルクレッツィを守るはずが陰湿にいじめられて、最後は死んだ。
かわいそうすぎる。
「お姉が持ってきてくれた漫画にもあったな、こういうの。このあと無茶ぶりされたりするのよね」
なーんて、と思いながら廊下を歩いていると、腹違いの王女や王子が進行方向から歩いてきた。
あからさまにくすくすヒソヒソしている。
わかりやすい。
(『翡翠の教室』で凛子がこんなことされてたなあ)
なかなかヘビーないじめと純愛の漫画に、姉と二人で展開に慄いたものだ。
「もうすぐいなくなるのよ」
「ふん、やっとか」
「獣ですって」
通り過ぎざま、あからさまに声が大きくなる。
いなくなる、獣という単語が不穏だ。
ルクレッツィの記憶ではこの世界に獣人なんかはいないはずだ。
鱗系の姿を持つ魔族とやらはいるらしい。
ファンタジーだ。
全然別のことを考えながらだったので、反応のないルクレッツィに王女達は鼻白んだ。
けれどルクレッツィがぜえぜえ、はあはあと息を切らせて歩いているのを満足そうに見ている。
性格が悪い。
さらに何か言いたそうだったけれどここから先は国王の執務室しかないので、下手に何かして感づかれるのは嫌なのだろう。
眉を顰めて歩き去って行った。
(獣人はお約束な気がするけど、いないのはちょっと残念だわ)
王女達の言葉にしょんぼりしながら部屋に辿りつくと、息を整えてから外にいた騎士に取り次ぎを頼んで部屋へと入れてもらった。
「来たか、ルクレッ……ツィ」
ソファーに座っていた国王が顔を上げると、一気に顔色が悪くなった。
何だろうと思っていて気づく。
そういえば左側は火傷痕が大仰についていた。
まあまあ広範囲なので視界に入ったら真っ先に目がいくだろうなと考えながら、顔色の悪い国王の向かいにあるソファーへ腰をおろした。
「すまないルクレッツィ……」
腰を下ろすなり国王はルクレッツィを見て涙ぐんだ。
「王妃があそこまでやるなんて、私のことを愛しているわけでもないのに嫉妬するなんて。お前を愛しているのにこんな……」
国王を見て、ルクレッツィは王妃の顔を思い出した。
食事をまともに与えない。
体調を崩しても医者を呼ばない。
侍女すらつけない。
何度か国王が自分と食事をとることでルクレッツィに栄養をとらせようとしたけれど、それは王妃と王太后二人の逆鱗に触れ事態は悪くなった。
一番穏便にすむのが関わらないことだったのだ。
(なのに、珍しい)
国王から呼び出すなんて、何かあったのだろうか。
「気にしないでくださいお父様。お父様が私を大事に思ってくれていることは、わかります」
ルクレッツィの言葉に国王は唇を噛みしめた。
そして細く長い息を吐く。
「お前の婚約を決めた」
「こんやく」
そんなこと言われても実感はない。
だってまだ六歳だ。
そもそも前世で家族以外と関わったのなんて医者と看護師くらいである。
まったく想像がつかない。
とりあえず婚約者がルクレッツィに出来るのだ。
こんな環境で食事なんかより婚約者。
与えるものが違うんじゃなかろうか。
やっぱり無茶ぶりされた。
ご飯の方がいいなと国王を見ると、罪悪感でも刺激されたのか一瞬視線が泳いだ。
そんなつもりはなかったのに申しわけない。
「隣国ヒルクライフの国王が留学時代の私の友人で、婚約を打診したら受けてくれた」
「隣国」
「とてもいい国だよ、花と美食の国と言われている」
それは心のときめく単語だ。
病院食しか食べれなかったので、まずくはないけれどときめきはない食事だったのだ。
しかも今の食事なんて碌なものでもない。
興味が結構わいてきた。
「どんな方なのですか?」
「……王族ではないんだ」
とても沈痛な雰囲気で言われてしまった。
ルクレッツィとしては王族に虐待されているので、むしろそっちの方が気分的に楽だ。
ただ国王的には王族でないのは、よくないことのようだった。
「お父様、私は王族の方でなくても気にしません」
「ルクレッツィ……」
なんか国王が涙ぐんでしまった。
ここからどうすればいいのか。
「先祖返りはわかるか?」
「先祖返り、ですか?」
「ヒルクライフを救済した、もう滅んでいる獣人の血のことだ」
獣人、いないと思ったらいたらしい。
でももう滅んでいるということは会えることはないだろう。
会ってみたかった。
「先祖返りということは、その獣人の血が入っているということですか?」
「そうだ……耳や尻尾があったりと種族により異なる。ヒルクライフのみに生まれる人達だ。それで……その……」
口ごもった国王にピンときた。
ルクレッツィは確信しつつも確認のために口を開く。
「私の婚約者になる方は先祖返りということですか?」
「すまない……貴族で唯一の先祖返りになるそうだ。侯爵家の……次男で……十九歳になる」
どんどん尻すぼみになっていく。
侯爵家だとか次男とかよりも気になることがある。
(十九歳って)
ルクレッツィは今六歳。
十三歳という年の差だ。
これはいいのかとルクレッツィは首をひねった。
相手としても、六歳の子供でしかも顔に火傷持ちなんて、絶対尻込みするだろう。
こんなのを押しつけるのはいかがなものか。
「あの、それは」
「先祖返りに嫌悪感や恐怖はあるか?」
相手に無理強いしていないかと訊き返す前に、国王からの確認がはいった。
「嫌悪や恐怖、ですか?」
「先祖返りは尊ばれる。だが受けつけない人もそれなりにいるんだ。我が国だって商人なんかの平民は差別的な感情をあまり持っていないけれど、貴族は……獣と蔑む人間ばかりだ」
それでさっきの王女達の獣発言にいきつくのかと納得した。
そして耳が早いことに吃驚する。
王妃に聞いたのかもしれない。
(怖いとか、気持ち悪いはないかなあ。オタクしてるとよくある設定だし。本物見たら怖いかもしれないけど、見たことないもんな)
創作と現実が違うのは重々承知だけれど、そんな人がいるのかということに驚いてもそれ以外の感情はない。
大丈夫である。
「大丈夫です」
「本当か? 無理をしていないか?」
「知らないから、怖いかとかはよくわからないです。だから、大丈夫です」
「そうか」
国王が安堵したように深く息を吐いた。
かなり緊張していたらしい。
「一週間後にヒルクライフへ出発になる」
「……ん?」
おもわず素で訊き返してしまった。
「挨拶に行くのですか?」
「いいや」
国王はゆっくりと首を振った。
そして真剣な目でルクレッツィをひたと見つめる。
「婚約が成立した段階であちらの家に住むことになる。名目は年の差があるから、なるべく交流が多めにとれるようにだが、本当は違う」
「本当?」
「お前をこの城から逃がす」
ぱちりとルクレッツィは目を瞬いた。
「私ではお前を守ることができない。このままここにいたら、もっと酷いことになるだろう。だからお前をヒルクライフに逃がす。安心しなさい、あちらの王太子殿下のお墨付きの人物だそうだ」
「お相手の方に無理強いなんかは」
「……手違いはあったが好意的に了承してくれたと聞いている」
本当だろうか。
王族に押し付けられて、ノーと言えない状況に追い込まれてやしないだろうか。
手違いってなんだ。
まだ見ぬ婚約者が心配になる。
「ルクレッツィ、私は」
国王の言葉をさえぎるように、ノックの音が響いた。
「……何だ」
「王太后様がお呼びです」
母親からの呼び出しらしい。
凄い。
ルクレッツィと国王の交流を最短にしたい気持ちが丸出しだ。
国王はため息を吐いて下を向くと手のひらに顔を埋めた。
これは早々にルクレッツィは部屋を出た方がいいだろうと立ち上がる。
けれど、これだけは言っておきたかった。
「私のことをたくさん考えてくださって、ありがとうございます」
「……ああ」
小さな返事にルクレッツィは部屋を出た。
閉じた扉を肩越しに振り返る。
前のルクレッツィは国王の気持ちなんてわからず死んでしまった。
国王の愛情なんて知らないかもしれないけれど、それでも精一杯考えてくれていたんだよと、ルクレッツィは自分の胸元に手を当てた。
死んでしまっていても、届くといいと思って。
しかし、と腕を組んで廊下を歩く。
思ってもみなかった話に、いまいち理解が追いついていなかった。
「婚約……結婚相手だよね。こんな小さいのと?」
ちょっと息が切れてきた。
まだ少ししか歩いていないのに。
「十九なんて学園すら、卒業、してるじゃないの、はあ、はあ」
息がものすごく上がってきた。
喉が渇いて空咳が出る。
「え……かわいそう……気の毒すぎるわ。婚約者がこれって」
一度立ち止まると、ルクレッツィは壁に手をついた。
もう片方は膝に置いて、前傾姿勢で息を整える。
行きの道程でかなり体力を使ったので、限界がきているのだ。
息がとてもしにくい。
「すごい、さっきも思ったけど沢山歩けてる。車いすじゃなくて自分で歩けるようになるなんて、最高」
ルクレッツィは「勝利!」と再び部屋にいたとき同様に拳を天に突き上げた。
さてその日から怒涛のような日々だった。
主に周りが。
王妃が最低限の準備は整えてやると言って、部屋に閉じ込められた。
そして王子や王女達がかわるがわる部屋に来て、やれ「獣と住むなんて」だの「隣国に捨てられた」だのと満足そうに吐き捨てにくる。
暇なのだろうか。
ちなみに彼らいわく部屋に閉じ込められているのは、獣への輿入れにルクレッツィが逃げないようにらしい。
六歳の病弱虚弱には逃亡なんて無理がある。
「正確には違うけど、獣人なんてファンタジーよねえ」
テーブルに頬杖をついていたルクレッツィは、そのまま右手の爪をかしりと噛んだ。
「あ、しまった」
悪い癖だ。
前世から爪を噛む癖がある。
以前のルクレッツィもこの癖はあったらしく、手の爪はガタガタだった。
「ついやっちゃうな。やめなきゃいけないのは、わかっているんだけど」
そんなことをルクレッツィが部屋で何ともなしに考えているあいだに、出発日が来た。
一応、幼い姫の出立だからと国王が見送りに来てくれている。
何故か王太后と王妃もいるので、かなり無理をしたのかもしれない。
ちなみに用意された一応上等な生地のワンピースは、ルクレッツィがガリガリだから大きくてぶかぶかだった。
せめてもう少しサイズを合わせてほしい。
専属侍女なんかは一人も一緒に行かない。
行くのはルクレッツィ一人だ。
もともといなかったのだから、一緒に来られても困る。
正直助かった。
一応、持病の薬はもらっているので隣国までは持つはずだ。
隣国で追加の薬が貰えるように祈っておこう。
国王に、ルクレッツィは両手をぎゅっと握られた。
王太后と王妃の目がキツくなる。
それでも国王は手を離さなかった。
「幸せになりなさい」
ぐっと握る手に力がこめられる。
ルクレッツィが覚えているかぎり、国王にこんなふうに父親の顔をされるのは本当に幼いときだけだ。
「陛下」
ルクレッツィと目を合わせた国王に、王太后がねばつくような、それでいて叱責するような声を投げかけた。
その呼びかけに国王の手が離れていく。
「すまない」
「いいえ、幸せになれるように頑張ります」
火傷があっても美しさの残る顔で、ルクレッツィは晴れやかに笑った。
行ってみなければわからないので、悲観してもしょうがない。
前世で何度も死にかけたのだ。
そのたびに生還した根性があると思うので、頑張りたい所存である。
「抱きしめてもやれない父を許してくれ」
その言葉を最後にルクレッツィは王城をあとにした。
※『翡翠の教室』
主人公凛子のなかなかヘビーないじめと純愛の少女漫画。
キラキラしい少女漫画なのに、たまにぶっ込まれる闇に慄く読者多数。




