第15話:霧の茶
谷へは、三日通った。
摘むのは集落の者にやってもらった。摘み方だけを教えた。上の二枚と、その下の一枚。それより下は硬いので置いていく。おかみさんは最初、置いていく枝を見て惜しそうな顔をしていたが、二日目には自分で若い者に同じことを言っていた。
干し方は、こちらで場所を作った。煙のかからない小屋を借りて、板を渡し、葉を薄く広げる。厚く積むと下の葉が蒸れて、蒸れた葉はどう淹れても戻らない。
「火を使わないの?」
ニナが板の間を歩きながら言った。
「使いません。この葉は、火を当てると香りの上のほうが飛びます」
「じゃあ、いつ乾くの」
「霧が引いてから、風で」
「それ、間に合うの」
「間に合わせます」
三日目の夜、私は最初の一杯を淹れた。
湯は八十度。沸いてから二百数えて下ろす。匙で三度。六十数えて、注いだ。
色は、薄い。
「どうぞ」
ニナが器を取って、鼻先で一度回した。それから飲んで、しばらく黙っていた。
「……うすい」
「はい」
「ううん、そうじゃなくて。渋くないのはすごいんだけど、なんか、来ない」
「来ませんか」
「来ない。鼻に、来ない」
私も飲んだ。ニナの言うとおりだった。
前の道からは、ほとんど何も上がってこない。器に鼻を近づけても、湿った石の気配がわずかにあるだけで、そこから先へ進まない。街の者はこれを「味がない」と言う。市に並べても、誰も足を止めないだろう。
私は棚から、最後の木箱を下ろした。
「うわ、また高いやつ淹れてる」
「比べます」
「それ、ほんとに最後の箱だよ」
「ええ」
同じ湯、同じ数え方で、王都の葉を淹れた。器を二つ並べる。
王都の葉は、蓋を開けた瞬間から匂いが立つ。甘い。干した果実と、日に焼けた木の匂い。鼻をまっすぐ押してくる。
谷の葉は、何も言わない。
「ぜんぜん違うじゃん」
「はい」
「どうすんの、これ」
私は二つの器を、順番に飲んだ。飲んで、それから息を吐いた。
王都の葉は、飲み込むと消えた。
谷の葉は、飲み込んでから、遅れて上がってきた。喉の奥から鼻へ抜ける道を通って、乾いた石を割ったときの匂いが、ゆっくり広がった。
そこで私は、木箱の蓋を閉じた。
「これは、使いません」
「え」
「この葉と混ぜれば、香りは立ちます。ですが、それでは王都の荷が止まった日にまた同じことになります」
「じゃあ、どうすんの」
「入口を変えます」
私は帳面を開いた。母の字ではなく、私の字のほうのページだった。
「香りには道が二つあります。鼻から吸い込む道と、飲み込んだあとに喉から抜ける道です。この葉は、前の道が弱い代わりに、後ろの道が強い」
「……つまり?」
「前の道で勝負しなければよいのです」
私はその夜、配合を三つ作った。
谷の上の段の葉。日がいちばん当たらない、いちばん硬いもの。谷の下の葉。それと、集落の納屋で二年寝ていた古い葉。古い葉は角が取れていて、後ろの道の匂いを長く引き延ばす。
ニナが三つとも舐めて、二つ目を指した。
「これ。これがいちばん長い」
「長い、というのは」
「飲んだあと。ずっといる」
「では、それにします」
ニナが顔を上げた。
「あたしが決めていいの」
「あなたの舌が決めたことを、私が数字にしただけです」
ニナは何か言おうとして、口を閉じた。それから、耳のあたりを掻いた。
市の朝は、晴れた。
広場に並んだ荷は、去年の半分もなかった。麦も塩も並みどおりに来ているのに、茶の台だけが空いている。街道の宿場で全部押さえられた荷が、ここまで上がってこなかった。
宿の者も、屋台の者も、国境の隊の糧秣係も、空の台の前で立ち話をしていた。ヘルタさんが腕を組んでいる。
「見なよ。誰も帰らないんだよ、みんな。帰ったら来年の茶がないんだから」
私はニナと二人で、広場の隅に卓をひとつ出した。
湯を沸かして、器を三十並べた。三十という数を選んだのは、たぶん、五日前に聞いた話のせいだった。
「なんだいそれ。あんた、売るのかい」
「配ります」
「配る?」
「飲んでからのほうが、話が早いので」
最初に来たのは、屋台の親父だった。器を持って、鼻を近づけて、すぐに顔を離した。
「匂いがしないぞ」
「はい」
「はい、って」
「飲んでみてください」
親父は疑いながら飲んだ。飲んで、飲み込んで、それから——喉に手を当てた。
「……なんだこりゃ」
「いま、来ましたか」
「来た。あとから来た。石だ。濡れた石を割った、あの」
彼が声を上げたので、周りが集まってきた。
そこからは早かった。飲んだ者が次の者を呼び、器が足りなくなって、ニナが店まで走った。谷の葉は渋みが出ない。だから薄く淹れても水っぽくならず、濃く淹れても口の中に残らない。宿の飯にも、隊の携行にも合う。
「あんた、これはどこの葉だね」
「北の谷です」
「谷? あんな渋いのが?」
「渋くありません。渋いと言われてきただけです」
年寄りの仲買が、ひとつ咳をした。
「谷の婆さんたちが飲んでるやつか。……あれが、売り物になるのか」
「なります。摘み方と干し方を変えれば」
「王都の葉がなくてもか」
「王都の葉がなくても、この街は一年ぶんの茶を仕入れられます」
広場が、ざわりと動いた。
「で、どうやって淹れるんだね、それは」
年寄りの仲買が言った。周りの何人かが、同じ顔でこちらを見ていた。
私はニナに紙と炭を持ってこさせて、卓の隅で書いた。上の段の葉と下の葉の割り、二年寝ていた葉の一つまみ、湯は八十度、匙で三度、六十数える。書き終えて、広場の隅の、触れ書きを貼る板壁に、四隅を押さえて貼った。
「え、書くの?」
ニナが小声で言った。
「書きます」
「それ、うちの店の……」
「ええ」
私は炭を置いた。
「今日でなくてよいのです。今日でなくても、飲めるように」
ニナは何か言おうとして、やめた。ヘルタさんが横から紙を覗き込んで、それから自分の帳面を出して、写し始めた。
昼を過ぎて、ヘルタさんが人をかき分けて戻ってきた。
「あんた、聞いたかい。街道から荷が来たよ」
「王都の」
「そう。三倍の値だとさ。宿場で押さえてた分を、今日ここへ持ってきたんだ。市の日に、それしかないと思って」
彼女は肩をすくめた。
「誰も見なかったよ。台の前を素通りだ。あの男、荷を下ろしもしないで引き返してった」
私は湯を汲みながら、そちらを見なかった。見なくてもよかったし、見たいとも思わなかった。ただ、器の底に残った葉を捨てて、次の湯を汲んだ。
日が傾いて、広場の人が減っていった。
谷から下りてきた集落の者たちが、卓の向こうで数を数えていた。数え終わって、おかみさんがこちらへ来て、私の手を両手で握った。手が硬かった。何か言おうとして、彼女は結局、握ったままだった。
レオハルト様が来たのは、片づけを始めたころだった。
「終わったか」
「はい。おかげさまで」
「俺は何もしていない」
「街道に人を出さないでくださいました」
彼は少し黙って、それから卓の器を指した。
「一杯」
私は最後の湯で淹れた。彼は器を持ち、いつもの順で飲んだ。
飲み込んで——止まった。
器を持ったまま、彼は喉の奥のどこかを探す顔になった。初めて土の匂いを言い当てた、あの雪の朝と同じ顔だった。
「……冷たいものが、上がってくる」
「はい」
「石だ。乾いた石を、割ったときの」
「はい」
「土とは違うな」
「違います。あれは王都の葉でした。これは谷の葉です」
彼は器を置いた。それから、広場の向こう——北の空を長く見ていた。谷は見えない。見えない方向を、彼は見ていた。
「あの谷は、誰の土地だ」
「集落の方々のものだと」
「木は」
「放ってあると仰っていました。世話をしても売れませんでしたので」
彼は外套の襟を立てた。
「土地が要るな」
それだけ言って、雪を踏んで帰っていった。
私は器を抱えたまま、戸口に立っていた。
ニナが横に来て、同じ方角を見た。
「ねえ。あれ、なんか買う気の顔じゃない?」
「何をでしょう」
「知らない。でもグレーテさんが言ってた。閣下があの顔したときは、もう決めてるって」
お読みくださりありがとうございます。
この章は「供給を断たれる」話でした。買い占めというのは相手の顔が見えないぶん質が悪いのですが、この主人公は競り合いに行きません。渋くて売り物にならないと言われてきた葉が、なぜ渋くないのか——それを知っている人間が一人いれば、値打ちのほうがひっくり返ります。
香りに道が二つある、という第3話の理屈が、ここで街の商いを一つ動かしました。前の道で勝てないなら、後ろの道で勝てばいい。そういう回です。
よろしければ、評価やブックマークを。前の道でなくとも、後ろの道から届きます。
そして閣下は、帰り際に妙なことを言って帰りました。次回から第三章です。雪を踏んで、王都から人が来ます。




