第11話:王都からの、丁寧な手紙
中継所へ出した使いは、四日で戻ってきた。
何も出てこなかった。木箱を積み替えた者は覚えておらず、帳面には数だけが書かれていて、名前の欄は初めから空白だった。王都から北へ向かう荷は日に四十を超える。そのうちの一つを誰が触ったかを問うのは、雪の中で足跡の主を探すのに似ていた。
「無駄だったな」
朝の卓で、レオハルト様は短くそう言った。腹を立てている声ではなかった。この人は、無駄になった事を無駄だったと言うだけで、そこから先を人のせいにしない。
「無駄ではありません。次からは名前を書かせられます」
「そうだな」
私は量りを取ろうとして、手を止めた。量りは、もう私のものではない。
「ニナさん」
「はいはい」
ニナが銅の皿を持って出てきた。葉を載せ、目を細め、片方の眉を上げて、微妙に足す。
「三と、半分」
「結構です」
「ねえ、この半分ってどうやって覚えんの。目分量?」
「重さです。指で覚えます。三日で覚えます」
「三日」
「私は五日かかりました」
ニナが露骨に嬉しそうな顔をしたので、私は湯に集中する事にした。
レオハルト様はその一部始終を見ていた。見ながら、器を待っていた。出すと、いつも通り一口飲んで、いつも通り少し止まる。
「……今日は、近い」
「はい。ニナさんが量りましたので」
「関係あるのか」
「ございません」
「では、なぜ言った」
私は答えなかった。ニナが流しのほうで、下手くそな鼻歌を歌い始めた。
毒の話は、三日で街じゅうに回った。
回り方が、私の予想と違っていた。王都であれば、そういう店には近寄らないという方向へ回る。ここでは逆だった。四日目に肉屋の主人が塩漬けを置いていき、五日目にはパン屋の老婆が粉の袋を担いできて、うちのも嗅いでくれ、と言って卓に載せた。
ヘルタさんは宿の下働きの少年を毎朝寄越すようになった。用は特にない。戸口から中を覗いて、私とニナがいるのを確かめて、走って帰る。それだけだ。
見張られてるみたいでやだ、とニナは言ったが、その子に湯を出すのはいつもこの子だった。
その日の昼、グレーテさんが屋敷から一枚の紙を持ってきた。
王都に残っている伝手からの便りだという。辺境伯家には、王都で暮らしていた頃の使用人が何人かいて、季節ごとに手紙を寄越すのだそうだ。噂は荷より速く北へ来る。
「ユーフェミア様。……お読みにならないほうがよろしいかもしれません」
「では、なおさら伺います」
グレーテさんは口を結んでから、紙を広げた。
王宮の茶が、続いていないという話だった。
先月、朝の茶を出す者が三度替わったらしい。誰が淹れても同じにならない。同じにならないので、次の者に替える。替えても同じにならない。そこでドラクロワ家のご令嬢が、王都でいちばん大きな茶葉商会へ書状を出された。
「そこに、こう書いてあったと」
グレーテさんは、読み上げるのをためらった。
「構いません」
「……『葉さえ最上のものを揃えてくださればよろしいのです。茶なんて、誰が淹れても同じでしょう』」
湯を注ぐ手は、止まらなかった。
止まらなかったが、注ぎ終えてから、私は器を卓に置くのに少し手間取った。取っ手のない器なのに、取っ手を探すような持ち方をしていたらしい。
「三度目です」
「は」
「私の前で二度。今日で三度目です」
ニナが立ち上がった。
「なにそれ。腹立つ」
「そうですか」
「そうですかじゃないでしょ。あんたが五年やってたやつだよ。三度も言うって、それ、言い方じゃなくて、そう思ってるって事じゃん」
十四の子が、一番早いところに着いてしまった。
「……ええ」
私は器を戻した。
「そうなのでしょうね。あの方は、本当にそう思っていらっしゃるのだと思います」
「意地悪で言ってんじゃなくて?」
「意地悪でしたら、二度で足ります」
レオハルト様が顔を上げた。
「どういう意味だ」
「いえ」
私はもう一度、湯を火にかけた。
「なんでもございません」
言ってから、自分でも妙な言葉を選んだと思った。あの方が本当にそう思っているのだとしたら、それは何を意味するのか。意味するものの形が、指の先に触れかけて、するりと逃げた。
夕方近く、戸を叩く音がした。
飛脚だった。この土地の飛脚は橇で来る。差し出されたのは、厚い紙の封書だった。
紙が違った。
北の紙は繊維が粗く、指に引っかかる。これはなめらかで、重い。封蝋は濃い青で、紋が押されていた。天秤の皿の片方に、葉が三枚。
「うわ」
ニナが真っ先に鼻を寄せた。
「これ、匂いがする」
「はい」
「紙が匂うって何。おかしくない?」
「王都の作法です。文を書く前に、紙を香で炙ります」
レオハルト様が手を出したので、私は封書を渡した。
彼はそれを鼻の高さまで持ち上げた。息を吸い、少し待ち、もう一度吸った。それから卓に置いた。
「分からん」
「はい」
「……こういう時に、腹が立つ」
その一言に、私は少し驚いた。この人が自分の感覚について何かを言うのは、たいてい茶を飲んだ直後だけだったからだ。
「腹が立つ、とおっしゃいますと」
「相手が何かを言っている。それが俺には届かん。届かんという事すら、こちらからは確かめようがない」
彼は指先で封蝋の縁をなぞった。
「何の匂いだ」
「甘い香です。木の脂を練って固めたものを、少しだけ焚いています」
私は封を切りながら、続けた。
「これは、買わせてくださいという匂いではございません。買ってやる、という匂いです」
「匂いで、そこまで分かんの」
「分かります。香には値段が出ます。これだけの量を紙に焚けるのは、王都でも数えるほどの家です」
「じゃあ、金持ちの匂い」
「もう少し正しく申しますと、金持ちだと知ってほしい方の匂いです」
ニナが、うへえ、と言った。
中の文は、ひどく丁寧だった。
まず時候の挨拶があり、次に辺境伯家への敬意があり、そのあとに、この地の茶葉についての称賛が長く続いた。北の霧を吸った葉は王都では手に入らない、価値に見合わぬ安値で取引されているのは惜しい、と。
最後の署名を見て、レオハルト様が身を乗り出した。
「バルド・ケーニヒ」
「ご存じですか」
「名は知らん。この紋を知っている」
彼は封蝋を指した。
「王宮の納品札に、同じものが押してあった。三年前だ」
「納品札、と申しますと」
「王家に物を納めた者が札を出す。辺境伯は年に一度、王都でその目録を見せられる。葉が三枚あったのは覚えている」
「三年前に、ですか」
「三年前だ」
彼はそこで言葉を切った。三年前、という言葉を、この人は日付としてしか使わない。自分が倒れた年だとは、決して言わない。
私は紋を見た。天秤の片側に、葉が三枚。反対側には何も載っていない。釣り合っていない天秤を、わざわざ紋にする商人がいるのだと思った。載せる物は、こちらで決めるという事なのだろう。
ニナが横から覗き込んで、文の最後の一行を指でなぞった。
そこにはこう書いてあった。
『——つきましては、ヴァイスバルト領の茶葉の買い付けを、以後わたくしどもが一手に引き受けたく存じます』
「ねえ」
ニナが顔を上げた。
「これ、頼んでるの? 言ってるの?」
私は答えられなかった。
お読みくださりありがとうございます。
今回、茶房に届いたのは客ではなく紙です。
丁寧すぎる手紙というのは、たいてい断らせないために丁寧なのですが、ユーフェミアはまだそれを言葉にしていません。彼女が引っかかったのは商人のほうではなく、王都から届いたもう一つの台詞のほうでした。三度目です。彼女は数える人なので、数えています。
次回、茶房に来るのは、妻を送ったばかりの老人です。ユーフェミアは何も尋ねず、湯の温度だけを下げます。




