第6話 君のお弁当
翌朝。
神崎悠真は珍しく目覚ましが鳴る前に起きていた。
理由は単純だった。
昨日、結衣が言った言葉が頭から離れなかったのだ。
「今度、お弁当作ってくる」
その約束の日が今日だった。
「俺、小学生かよ……」
自分でも呆れる。
だが落ち着かなかった。
学校へ向かう足取りまで軽い。
教室へ入ると――
「おはよう!」
結衣が笑顔で手を振った。
その瞬間。
胸が少しだけ高鳴る。
「お、おはよう」
「今日は早いね」
「たまたま」
結衣は意味深に笑った。
「ふーん?」
どうやら見透かされているらしい。
午前中の授業は驚くほど長く感じた。
時計を見る回数がいつもの何倍も多い。
そして。
昼休みのチャイムが鳴った。
「神崎くん」
結衣が小さく手招きする。
「屋上行こう」
「屋上?」
「うん」
二人は弁当を持って屋上へ向かった。
春の風が気持ちいい。
空は雲ひとつない青空だった。
「はい」
結衣が弁当箱を差し出した。
「これ……」
「約束のお弁当」
悠真は思わず固まった。
手作りだ。
本当に作ってきた。
「開けてみて」
恐る恐る蓋を開く。
卵焼き。
唐揚げ。
ウインナー。
ポテトサラダ。
彩りも綺麗だった。
「すごい……」
「頑張ったんだから」
結衣は少し照れている。
「美味しいか分からないけど」
悠真は卵焼きを食べた。
甘めの味付け。
とても美味しい。
「どう?」
不安そうな結衣。
「めちゃくちゃ美味しい」
「本当?」
「本当」
その瞬間。
結衣は心から嬉しそうに笑った。
「よかったぁ」
その笑顔を見ているだけで幸せな気分になる。
二人で弁当を食べながら話をする。
他愛もない話題ばかりだ。
好きなテレビ番組。
苦手な教科。
子供の頃の失敗談。
結衣は笑い上戸だった。
少し面白い話をするとすぐ笑う。
その笑顔につられて悠真も笑う。
「神崎くんってさ」
「ん?」
「一緒にいると安心する」
悠真は動きを止めた。
「安心?」
「うん」
結衣は空を見上げる。
「なんでも話せる感じ」
その言葉が嬉しかった。
同時に。
もっと特別な存在になりたいとも思った。
午後の授業。
だが結衣の様子がおかしかった。
顔色が悪い。
何度も苦しそうに咳をしている。
悠真は気になって仕方がなかった。
放課後になる頃には明らかに無理をしていた。
「白石さん」
「なに?」
「今日は早く帰った方がいい」
結衣は苦笑した。
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない」
すると結衣は少しだけ困った顔になる。
「心配性だね」
「心配するだろ」
その言葉に結衣は黙った。
そして小さく笑う。
「ありがとう」
帰り道。
駅へ向かう途中。
結衣はふと立ち止まった。
「どうした?」
「ちょっとだけ寄り道してもいい?」
向かった先は川沿いの遊歩道だった。
桜の季節は終わりかけている。
それでも少しだけ花びらが残っていた。
風が吹く。
花びらが舞う。
結衣はその景色を静かに見つめていた。
「綺麗だね」
「そうだな」
しばらく沈黙。
やがて結衣が言った。
「こういう景色って、ずっと覚えていたい」
「覚えてるだろ」
「どうかな」
その返事に違和感を覚える。
結衣は続けた。
「人って忘れちゃうから」
「でも大事な思い出は残る」
悠真がそう言うと。
結衣は少しだけ目を見開いた。
そして。
優しく微笑んだ。
「そうだね」
その夜。
結衣は自室で今日の写真を見ていた。
お弁当。
屋上。
青空。
そして。
悠真の笑顔。
自然と頬が緩む。
しかし次の瞬間。
激しい咳が込み上げた。
「ごほっ……!」
口元を押さえる。
手を見る。
そこに付いていたものを見て。
結衣の表情が凍りついた。
赤い。
血だった。
「……」
しばらく動けない。
分かっていた。
病気は進行している。
医師からも言われていた。
それでも。
現実として突きつけられると苦しかった。
涙が溢れそうになる。
だが結衣は必死にこらえた。
「まだ……」
声が震える。
「まだ終われない」
机の上には校外学習のしおり。
みんなで行く予定の観光地。
そして。
悠真との思い出。
まだ行きたい場所がある。
まだやりたいことがある。
まだ伝えたいことがある。
だから――。
「もう少しだけ」
結衣は窓の外を見上げた。
夜空には星が輝いていた。
その瞳には決意と不安が入り混じっていた。
そして運命の日は、少しずつ近づいていた。




