第3話 放課後の約束
ゴールデンウィークが近づき始めた四月の終わり。
高校生活にもすっかり慣れた頃だった。
転校生としてやって来た白石結衣は、今ではクラスの中心的な存在になっていた。
朝は誰よりも明るく挨拶をし、休み時間は男女問わず話し相手になり、困っている人がいれば真っ先に声をかける。
そんな結衣を見ていると、周囲まで自然と笑顔になった。
もちろん悠真も例外ではなかった。
むしろ誰よりも影響を受けているかもしれない。
最近では登校すると最初に結衣の席を確認してしまう。
教室に入った瞬間、結衣がいると安心する。
そんな自分に気づくたび、少し恥ずかしくなった。
「おはよう、神崎くん!」
朝。
教室へ入るなり結衣が手を振る。
「おはよう」
「今日はちょっと早いね」
「たまたま」
「ふふっ」
結衣は楽しそうに笑った。
その笑顔を見るだけで、なぜか朝から気分が良くなる。
「神崎ー!」
後ろから翔太が飛びついてきた。
「ぐえっ!」
「最近リア充してるなー」
「してない」
「毎日白石さんと話してるじゃん」
「普通だろ」
「普通じゃありません」
翔太は断言した。
結衣はそれを聞いて笑っている。
「高橋くん面白いね」
「俺は面白いぞ!」
「自分で言うな」
教室に笑い声が広がった。
そんな何気ない時間が悠真は好きだった。
昼休み。
結衣と一緒に昼食を食べていると、クラス委員の女子がやって来た。
「みんなー!来月の校外学習の班決めするよー!」
教室が一気に盛り上がる。
「マジか!」
「楽しみ!」
「自由行動あるらしいぞ!」
校外学習。
今年は隣県の観光地へ行くらしい。
班行動が中心になるため、生徒たちにとっては小旅行のようなイベントだった。
「神崎くん、どうする?」
結衣が聞いてくる。
「どうするって?」
「班」
「あー」
考えるまでもなかった。
翔太と組むつもりだった。
だが。
「神崎!」
翔太が近づいてくる。
嫌な予感がした。
「俺、サッカー部の連中と組むから!」
「は?」
「じゃあな!」
逃げた。
悠真は呆然とする。
「裏切ったなあいつ……」
結衣が吹き出した。
「ふふふっ」
「笑い事じゃない」
「じゃあ私たち同じ班になろうよ」
「え?」
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
「決まり!」
結衣はあっさり言った。
結局、数人のグループを作り、同じ班になることが決まった。
なぜか悠真の心臓は少しだけ速くなっていた。
放課後。
その日は珍しく結衣から誘われた。
「神崎くん、少し寄り道しない?」
「寄り道?」
「うん」
二人は駅とは反対方向へ歩き始めた。
十分ほど歩くと、小さな公園が見えてくる。
滑り台とブランコしかない昔ながらの公園だった。
「ここ?」
「そう」
結衣はベンチに座った。
夕暮れの公園は静かだった。
子供たちも帰った後らしく、人の姿はほとんどない。
「なんか落ち着くね」
結衣が言う。
「確かに」
「私ね」
結衣は空を見上げた。
「こういう場所好きなんだ」
「公園?」
「うん」
少しだけ微笑む。
「時間がゆっくり流れてる感じがするから」
悠真は隣に座る。
風が吹く。
結衣の髪が揺れた。
「神崎くんは将来何したい?」
突然の質問だった。
「将来?」
「うん」
悠真は少し考える。
「まだ決まってないかな」
「そっか」
「結衣は?」
そう聞いた瞬間。
結衣の表情が一瞬だけ曇った。
本当に一瞬だった。
だが悠真は見逃さなかった。
「私は……」
結衣は小さく笑う。
「いっぱい思い出作りたい」
「思い出?」
「うん」
まるで将来の話を避けるような返答だった。
「変かな?」
「いや」
結衣は続ける。
「楽しかったって言える人生がいいなって思うんだ」
その言葉は妙に重く聞こえた。
高校生らしくない。
普通なら大学や仕事の話をするはずだ。
なのに結衣は思い出の話しかしない。
なぜだろう。
心のどこかで違和感を覚えた。
だが。
「それもいいと思う」
そう答えると結衣は嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
その笑顔を見ると、違和感なんてどうでもよくなる。
むしろもっと笑っていてほしいと思った。
帰り道。
夕焼けが街を赤く染めていた。
「そういえば」
結衣が言う。
「今度の土曜日空いてる?」
「土曜日?」
「うん」
悠真の心臓が跳ねる。
まさか。
まさかとは思うが。
「駅前に新しいカフェできたんだって」
「ああ」
「行ってみたいな」
結衣は少し照れたように笑った。
「一人だと入りづらくて」
悠真は一瞬言葉を失う。
つまり。
二人で出かけるということだ。
「ダメかな?」
「いや!」
思わず大きな声が出た。
結衣が驚く。
「あ、ごめん」
「ふふっ」
結衣は笑った。
「じゃあ決まりだね」
その瞬間。
悠真の胸は高鳴った。
友達として。
それだけかもしれない。
それでも嬉しかった。
夜。
自宅。
ベッドに寝転がりながら天井を見る。
スマホには結衣から届いたメッセージ。
『土曜日楽しみにしてるね!』
短い文章。
それなのに何度も見返してしまう。
「俺……」
呟く。
答えはもう分かっていた。
最初は気になる存在だった。
友達として仲良くなった。
でも今は違う。
結衣の笑顔を見ると嬉しい。
結衣が楽しそうだと安心する。
結衣が苦しそうだと心配になる。
そして。
もっと一緒にいたいと思う。
「好き……なのかな」
顔が熱くなる。
人生で初めての感情だった。
しかし同じ頃。
別の場所では——。
結衣が一人、自室にいた。
机の引き出しを開く。
そこには一冊のノートがあった。
表紙にはこう書かれている。
『やりたいことリスト』
結衣は静かにページを開く。
そこにはたくさんの項目が並んでいた。
・友達を作る
・文化祭を楽しむ
・夏祭りへ行く
・好きな人と出かける
・恋をする
・卒業式を迎える
最後の項目を見つめる。
結衣の表情が少しだけ揺れた。
「卒業式……か」
小さく呟く。
そして胸元にある薬を握りしめた。
誰にも言えない秘密。
誰にも知られてはいけない現実。
それでも。
「もう少しだけ頑張ろう」
そう言って笑う。
その笑顔は昼間と同じようでいて、どこか切なかった。
まだ悠真は知らない。
結衣が抱える大きな秘密を。
そして二人の時間が、決して当たり前ではないことを——。
第3話 終




