第10話 余命
病院から帰った夜。
神崎悠真はほとんど眠れなかった。
ベッドに横になっても、頭に浮かぶのは結衣のことばかりだった。
病室で見た笑顔。
痩せた身体。
そして、
「まだ言えない」
という言葉。
結衣は何を隠しているのか。
どれほど苦しい病気なのか。
考えれば考えるほど不安になった。
翌日。
学校へ向かう足取りは重かった。
教室に入る。
やはり結衣の席は空いている。
その空席がやけに大きく見えた。
「神崎」
翔太が声をかける。
「元気ないな」
「そう見える?」
「見える」
悠真は苦笑した。
隠せていないらしい。
「白石さんのことだろ」
図星だった。
翔太は真面目な顔になる。
「早く元気になるといいな」
「うん」
そう返事をしながらも、不安は消えなかった。
放課後。
悠真は再び病院へ向かった。
病室のドアを開ける。
「やあ」
結衣が笑った。
今日は少し元気そうに見える。
「また来た」
「来るって言っただろ」
「ふふっ」
結衣は嬉しそうだった。
二人はしばらく話をした。
学校のこと。
クラスのこと。
テレビのこと。
笑い声もあった。
だが。
突然、結衣が激しく咳き込んだ。
「ごほっ……!」
「白石さん!」
悠真が立ち上がる。
咳はなかなか止まらない。
苦しそうだった。
やがて落ち着いたものの、
結衣の目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「大丈夫?」
「うん」
そう言う声も弱い。
その時だった。
コンコン。
病室のドアがノックされた。
医師だった。
「白石さん、検査結果の説明を――」
そこで医師は悠真に気づく。
「あ……」
気まずそうな表情。
結衣も顔色を変えた。
「先生」
「後にしますか?」
医師が聞く。
だが。
結衣は静かに首を振った。
「いいです」
病室に沈黙が落ちる。
そして。
結衣は悠真を見た。
「神崎くん」
「ん?」
「聞いてほしいことがあるの」
その声は震えていた。
医師が椅子に座る。
結衣は布団を握りしめていた。
まるで覚悟を決めるように。
「今まで黙っててごめんね」
「……」
悠真の心臓が激しく鳴る。
嫌な予感がした。
結衣は俯いたまま言った。
「私の病気ね」
病室の空気が重くなる。
「治らない病気なんだ」
悠真は息を呑んだ。
「え……」
「何年も治療してる」
結衣は小さく笑う。
だがその笑顔は苦しかった。
「転校が多かったのも、そのせい」
全部繋がった。
だから転校ばかりだった。
だから体調が悪かった。
だから毎日を大切にしていた。
だが。
本当に聞きたいのはそこじゃない。
悠真は恐る恐る尋ねた。
「治療すれば治るんだよな?」
結衣は答えなかった。
代わりに医師が目を伏せる。
その反応だけで十分だった。
胸が冷たくなる。
「余命は……」
結衣の声が震える。
「一年くらいだって」
世界が止まった気がした。
悠真は理解できなかった。
理解したくなかった。
「嘘だろ……」
声が出る。
だが誰も否定しない。
医師も。
結衣も。
沈黙が答えだった。
「ごめんね」
結衣が言う。
「言えなかった」
悠真の頭は真っ白だった。
余命一年。
つまり。
来年の今頃には――。
その先を考えられない。
考えたくない。
「なんで……」
ようやく出た言葉。
「なんでそんな大事なこと黙ってたんだよ」
声が震える。
怒っているわけじゃない。
悲しいのだ。
苦しいのだ。
結衣は泣きそうな顔で笑った。
「心配かけたくなかった」
「そんなの!」
悠真は拳を握る。
「心配するに決まってるだろ!」
涙が出そうになる。
結衣も泣いていた。
「ごめん」
「謝るなよ……」
二人とも涙をこらえていた。
長い沈黙。
やがて結衣が言った。
「怖かった」
小さな声。
「みんな離れていくんじゃないかって」
悠真は首を振る。
「離れない」
即答だった。
結衣が顔を上げる。
「え……」
「絶対離れない」
悠真は真っ直ぐ結衣を見る。
「余命とか関係ない」
声は震えていた。
それでも。
伝えたかった。
「俺は白石さんの友達だから」
結衣の涙が溢れる。
ぽろぽろと頬を伝う。
「ありがとう……」
その姿を見るだけで胸が痛かった。
面会時間終了。
悠真は病室を出る。
足取りは重い。
病院の廊下を歩きながら、
何度も結衣の言葉が頭の中で繰り返される。
余命一年。
受け入れられない。
受け入れたくない。
まだ十六歳だ。
未来があるはずだ。
夢も。
恋も。
卒業も。
全部これからなのに。
どうして。
どうして結衣なんだ。
病院の外。
夕暮れの空。
悠真は立ち止まる。
そして初めて涙を流した。
止まらなかった。
悔しかった。
苦しかった。
悲しかった。
大切な人がいなくなる未来を想像してしまったから。
「嫌だ……」
小さく呟く。
「そんなの嫌だ……」
涙が頬を伝う。
だが。
その時。
悠真は心に決めた。
残された時間が一年なら。
その一年を。
結衣にとって一番幸せな一年にしてみせると。
まだ彼は知らない。
その決意が、
やがて結衣の人生を大きく変えることになることを――。




