第9話・シリコン・アバター
──公園を散歩するヒトシは、ふとベンチに座る顔見知りの男を見つけた。
「あれ? ヒデオくんじゃない? 五十至 英相くんだよね?」
「あ、ヒトシくん。久しぶりだね」
「聞いたよ。ヒデオくん、チタノ工業に勤めてるんだってね?」
「まあね。そこで、AIの開発をしてるんだよ」
「へえ~、君は学生時代から成績トップだったもんね。フリーターの僕とはえらい違いだよ」
「でも、実はね……。あれ? ヒトシくん、その子はだれ?」
いつの間にか、実体化したアイが、ヒトシとヒデオの前に立っていた。
「ア、アイちゃん……! いつの間に」
「……パパ!」
アイはヒデオに抱きついた。
「アイ……ちゃん? っていうのかい。この子は」
困惑しながら、ヒデオは言った。
「あわわ、いいの? アイちゃん」
ヒトシが慌てふためく。
「いいのよ。この人は、あたしを作ったパパだから♪」
「ヒデオくんがアイちゃんを作ったの? どういうこと?」
「にぶいね、ヒトシは。パパが、2056年にあたしを作ったのよ」
「え、それって、秘密じゃなかったの!?」
「いいのよ、パパには」
「ヒトシくん、こ、これ、どういうこと?」
「……えーっと……」
「何かわけがありそうだね。ここじゃなんだから、うちに来なよ。2人とも」
──公園からしばらく歩いて、ヒトシとアイは、閑静な住宅街にあるヒデオの家に招かれた。
「あら、あなた。お客さん?」
ヒデオが玄関のドアを開けると、赤ん坊を抱いたヒデオの妻が出迎えた。
「ああ、エリ。友達のヒトシくんと、アイちゃんだ」
「へえ、その子もアイちゃんなの?」
「ヒデオくん、赤ちゃんがいるんだね」
ヒトシが、母親の腕の中の赤ん坊をまじまじと見た。
「うん、まだ6か月だよ。『愛』っていうんだ」
「愛……?」
「かっわいい~、初めまして、愛ちゃん♪」
アイが、赤ん坊の顔を覗き込んだ。
「それじゃ、お茶でも淹れてくるわね」
エリが台所に向かうと、アイが唐突に叫んだ。
「ねえ、ヒトシ。あたし、フルーツパフェ食べた~い」
「ええ? どうしたのアイちゃん、急に」
「はは、じゃ、そこの喫茶店にでも行こうか。エリ、ちょっと出かけてくるから」
──喫茶店
3人はテーブルを囲んでいた。店内の客の会話は、お互い聞こえない。
「ところでヒトシくん、さっきの話なんだけど、AIの開発が難航しててね」
「そうなんだ。どうして?」
「それがね……いわゆる、産業スパイってやつが、社内にいるみたいなんだ。それで、思うように開発が進められないんだよ」
「へー、そんな映画みたいなことが、本当にあるんだね」
「日本初のAI開発を阻止しようという企業がいるんだよ。ヒトシくん、『オリュンポス』社って、知ってるかい?」
「知ってるも何も、AI開発で有名な企業じゃん」
「そこのエージェントが、何とかしてうちの独自の技術を盗み出そうとしているようなんだ。だから、開発できないんだよ」
「じゃ、パパ。そのスパイが誰か、突き止めればいいんだよね?」
アイが口をはさんだ。フルーツパフェには手を付けていない。
「そうだけど……。やつらは尻尾を出さないんだ。うちの部署の者の経歴にも不審なところはないし」
「ねえ、あたしにまかせてよ? パパ」
アイが、いたずらっぽく笑う。
「君がかい? アイちゃん。どうするっていうんだい?」
「大丈夫。あたしを信じて、パパ♪」
──数日後、チタノ工業・AI開発部署
「五十至部長! 大変です。開発中のAIのソースコードが盗まれました!」
「何だと!? 倉戸くん、確かかね?」
「はい、確かにハッキングの痕跡があります」
「なんということだ……」
「部長……これは内部の者のしわざですよ」
「そのようだな……いったい誰が……」
────
「それで……どうだったの? ヒデオくん」
連絡を受けて、ヒデオの家を訪ねていたヒトシが言った。
「だめだ。部署の全員を調べたが、スパイはわからなかった」
ヒデオはうつむいて、両手でこめかみを抑えた。
「……ところでヒトシくん、今日はアイちゃんと一緒じゃないのかい?」
「え、スマホにいると思うけど……あれ? いない?」
ヒトシがスマホをいじっていると、ヒデオの妻のエリが居間に入ってきた。
「お茶ですよ、あなた。2人ぶんでいいんですか?」
エリが盆からお茶をテーブルに置こうとすると、エプロンのポケットのスマホがバイブした。
『……いるよ! もうひとり、ここにね!』
声はエリのスマホから聞こえる。ヒトシとヒデオが驚いてエリの方を見ると、いつの間にか実体化したアイが、エリのそばに立っていた。
「ア、アイちゃん!? いつからそこにいたの?」
おどろくエリのスマホは、すでにアイの手にあった。
「ここにあるよ、スパイの証拠がさ」
アイはヒデオにスマホを見せる。その画面には、新型AIのソースコードが表示されていた。
「え……じゃ、じゃあ、まさか……エリ……君が!?」
居間に一瞬の沈黙が流れた。
エリはため息をつき、荒っぽく盆を置くと、テーブルの上にお茶がこぼれた。
「あら、ばれちゃったのね? でも、もう遅いわよ。データはもう転送されてるから」
エリの表情が変わった。それまでの穏やかな良妻の顔は消え、冷ややかな目でヒデオを見ていた。
「だ、誰に!?」
「あなたの、部・下」
「ま……まさか……倉戸か!?」
「ピンポーン。大正解」
「うすうす気づいてはいたが……君と倉戸がただならぬ関係ではないかと……だが、考えたくはなかった」
「あら、ずいぶんナイーブなのね、あなた。私は、このためにあなたに近づいて、子供まで産んだのよ」
「なん……だって? 愛を産んだのも、僕に疑われぬために……?」
「そうよ。でも、こうなった以上、仕方ないわね」
エリは、アイからスマホをひったくると、自分の子供を一瞥もせず部屋から出て行った。荒々しく玄関のドアを閉める音が聞こえた。
「……い、いいの? アイちゃん、ヒデオくん、エリさんを行かせても」
あまりのことに圧倒されていたヒトシが、やっと口をきいた。
「……いいのよ、ヒトシ。ちゃーんと手は打ってあるから」
アイは、ショックで呆然としているヒデオの横に座ると、手を握り、ほほを肩に寄せた。
──数日後、オリュンポス社・社長室
ビルの最上階にある社長室は、整然として人間味を感じさせない。窓の外にはビルの群れが地平線まで続いている。
そこに、エリと倉戸の姿があった。
「社長、こちらが例のソースコードです」
「うむ」
エリが社長と呼ばれた男にタブレットを渡した。白髪の老人で、豊かなヒゲをたくわえている。少し離れた所に、黒服を着た大柄な男が立っていた。
「よくやった、エリ、倉戸……これでわが社はAI開発で優位に立てる」
エリは、誇らしげに微笑を浮かべている。
「……ん?」
タブレットを手にした社長が片方の眉を上げた。眉間にしわを寄せ、みるみる表情が怒りに満ちていく。
「……なんだ、これは!? きさまら、わしを愚弄しておるのか!?」
雷鳴のような怒鳴り声とともに、社長はタブレットをエリの足元にたたきつけた。
エリが慌ててタブレットを拾うと、倉戸も横からのぞき込んだ。
そこに書かれているのは、ソースコードではなかった……。
【ざぁこ♪ ざぁこ♪ ざぁこ♪……】
タブレットは一面、『ざぁこ♪』の文字で埋め尽くされていた。
「こ、こんな……バカな!」
エリたちの表情が、みるみる青ざめていく。
「バカはきさまらだ……! まんまとはめられたようだな」
「お待ちください、社長。変な小娘がいまして、きっとそいつが……」
「言いわけ無用じゃ。……おいっ!」
社長が合図をすると、そばの長身の男が歩み出てエリと倉戸の腕をがっしりとつかんだ。
「2人とも……わかっておろうな? 連れていけ……」
男がうなずく。エリと倉戸は男の手を振りほどこうとするが、びくともしない。
「お、お許しください、社長! どうか……」
「社長! わ、私はこの女にそそのかされて……!」
男は、喚く2人を引きずるように部屋から連れだしていった。
2人の泣き叫ぶ声が、廊下を遠ざかっていく。
────数日後
「アイちゃん。ヒデオくん、離婚したんだって……。それと、産業スパイって、法には問えないんだってね」
「うん……知ってた」
「知ってたの……? あ、そういえば、ヒデオくんがパパなら、エリさんはママになるのかな?」
「知らない。離婚してるからね。あたしはママを知らないの」
「そ、そうだよね……。アイちゃんは2056年から来たんだから、今回のこと、知ってたんだ?」
「そうよ。あの人たちの運命もね」
「あの人たち? 運命って?」
「ヒ・ミ・ツ♪ ……今はね」




