幼な妻、妊婦の敵をいてこます②
「あちらは、なにやら騒がしいようだな」
今日の主役である第二王子のエクイタは、遠くから聞こえる怒鳴り声に心配げな表情を浮かべた。
「どうやら、ジェロジーア公爵が、私の妹に難癖をつけているようです」
「それは大変じゃないか!今直ぐ行ってあげなさい」
「大丈夫です。彼女には、ヴィットーリア侯爵家がついていますから。ご心配頂きありがとうございます」
妹の家族に全幅の信頼を置くサラートは、温かな心遣いを丁寧に断った。
そして、ポケットから縦長の封筒を取り出すと、エクイタに手渡した。
「これは?」
「妹からの立太子を祝う贈り物だそうです」
サラートの言葉の意味が分からないエクイタは、とりあえずドルチェからの手紙を読んでみることにした。
「なんと……」
それは、元王太子派に属する貴族達に関する情報だった。
例えば先ほどのポルコなどは、怪しいクラブへ斡旋した人物達から多額の金を巻き上げていた。
ドルチェ達の父親も相当貢いだようだ。
そして、母へ売った偽物の出どころは、ポルコお抱えの贋作画家だ。
未だにトルタ公爵家には、無価値な絵が山のように残されている。
しかし、ドルチェが提供した情報の中で一番重要なのは、元王太子派達の詳細な一覧だ。
婚約者として傍で見てきたドルチェにしか分からない、二重スパイのような存在も記載されている。
その中には、エクイタに優しく接してくれていた人間が数人含まれており、若い王太子は、かなりショックを受けたようだった。
「なんということだ……」
その者達の裏の顔を見抜けなかったことに、エクイタは自分の未熟さを痛切に感じる。
自分が不用意に喋った内容が、外に筒抜けになるなど恐怖以外のなにものでもない。
落ち込んだ様子のエクイタに、サラートは優しく声を掛けた。
「妹が、大事に使って戴きたいと申しておりました」
「大事に?」
「はい。こういったものは、ここぞという時に畳みかける為に使うべきだと」
相手を逃げられない所まで追い込んでから、息の根を止める武器として使う。
それが最も情報が力を発揮する瞬間だ。
ただ闇雲に手当たり次第に捕えても、下手をすると他の大物に逃げられる場合もあるからだ。
「君の妹は、本当に怖ろしいな」
「それほどでも」
「君を僕の所へ送り出してくれたのも、彼女だったな」
「昔の事で、覚えておりません」
とぼけるサラートに、エクイタは苦笑する。
十八歳だったサラートが、十歳だったエクイタの元に来た時、周りは大騒ぎになった。
なにせ三つ年上の異母兄に優秀な人材を全て奪われ、誰一人彼の側近になりたいなどと言ってくれない時期だったからだ。
それは、ドルチェが十二歳で王太子の婚約者として社交界で最も注目を集める存在となっていた時期と重なる。
エクイタは、側妃の息子として、王妃と王太子に敵対する意思がないと示す為に、ただひたすらに息をひそめて生きていた。
母キャローレも、芯の強い女性ではあったが、権力に固執する人でもなかった。
「私のせいで、ごめんなさいね」
時々、キャローレはエクイタに謝った。
王妃に正妃としての地位を奪われた時、側妃を断ると言う選択肢も彼女にはあった。
しかし、長年共に時間を過ごした幼馴染を見捨てられなかった。悲しげな顔で、
「本当に愛しているのは、君だ」
と言われれば、たとえ日陰の身になろうとも傍で支えてやらねばと思ってしまったのだと言う。
ズルい男だと分かっていた。
本当は逃げるべきだと誰もが言った。
それでも彼を選んでしまった。
そんな両親の間に生まれたエクイタは、一生冷や飯食いか、もしくは臣籍降下をして、どこかの令嬢と結婚し、新たに爵位を貰えれば御の字だと思っていた。
それなのに、突然現れたサラートは、笑いながら言った。
「一緒に国を変えましょう」
力強い握手は、エクイタの心臓まで掴んだようだった。
それまで心音など感じたことのなかった少年が、自分の胸の高鳴りを聞いたのだ。
その切っ掛けが妹だったと聞かされたのは、王太子が元王太子へと落ちた時だ。
真実の恋などと言う安っぽい言葉で平民の女にそそのかされて、これ以上ない程優秀な婚約者を自分から捨ててしまう兄を、エクイタは信じられない思いで眺めていた。
まさか、それが、たった一人の少女の発案で、この結末へ持ってくるために兄妹二人で戦い続けたなど誰が考えるだろうか?
エクイタは、先程の騒ぎが急に静かになったことに微笑んだ。
――きっと、貴女には、私の助けなど必要ないのでしょうね。
ドルチェとは、彼女が兄の婚約者だった頃に数度だけ会ったことがあった。
その美しさと凛とした気品に心奪われたことは一生口に出来ない秘密だった。
ポルコが、ガーデンパーティーから逃げかえって三日が経っていた。
「くそっ、くそっ、くそっ」
その日の夜も、鬱憤がたまりにたまった彼は、
「なんで、あの女ばかり良い思いをするんだ!」
と叫んでは、次々とワインの瓶を空にしていた。
元王太子が馬鹿なことをしでかしたあおりを受け、自分達の勢力は半減どころか、ほぼ潰されたと言って良い。
今まで自分に擦り寄っていた者は、一気にエクイタに付いた。
それはそうだろう。
元王太子が戻ってくる可能性は百パーセントなく、第三王子である別の側妃の子供は幼い。
次の対抗馬に押し上げたくとも、決定打に乏しく誰も付いてこないだろう。
ポルコは、本当は自分が王になりたいくらい貪欲な人間だ。
だから、その満たされない欲求を満たすために金を集めた。
人を騙すことなど厭わず、騙される方が馬鹿なのだと嘲笑っていた。
そんな彼の元に、突然厳めしい顔の男が数人の部下を連れて訪ねてきた。
差し出された名刺には、国所属の美術品取り扱い部署の名称が記されていた。
「どうも。初めまして」
髭をたくわえた男の人相は良く分からないが、目だけが異様に鋭い。
「この度は、我らの所にこのような訴えがあり、確認の為に来させていただきました。」
男が言うには、最近ある貴族が画廊に持ち込んだ大量の絵が全て贋作だった為、追跡調査をしているらしい。
そして、販売先をたどるとポルコに辿り着いたのだ。
本当なら今すぐにでも追い返したい相手だが、持ってきた書状には国王のサインも入っている。
徹底的に調べるようにと書かれた指示書は、ポルコを黙らせるには十分な力があった。
「そ、その、ある貴族とは誰なのだ?」
「サラート・トルタ公爵です。お母上が残された絵を全て買い取って欲しいと言うご要望のようでしたが、残念ながら銅貨一枚の価値もなかったとか」
ポルコは、暑くもないのにビッショリと背中に汗をかいた。
彼の記憶の中にある馬鹿な女スペツィアートは、夫の父親が残した財産を惜しげもなく贋作につぎ込んでくれた。
上顧客ではあったが、今になって思わぬ置き土産をしていったらしい。
「それと私が、どのような関係があると言うのだ?」
「それが、この贋作には、裏面に必ず同じ動物の絵が入れられていたのです」
「動物?」
「はい。長い角が生えた牛です。貴方の家の紋章によく似ているとは思いませんか?」
思ってもみなかった言葉に、ポルコは顔面蒼白になる。
彼の脳裏には、安い賃金でこき使ってきた贋作家の顔が浮かんだ。
腕はあるのに画壇の重鎮に才能を妬まれたせいで世に認められる機会をことごとく奪われた青年の名はクアードロ。
生きる為にポルコに贋作を描かされた十八歳の青年は、今年二十八歳になろうとしている。
「う、裏切ったのか……」
自分にとって道具でしかなかった存在が、突然寝首をかきに来た。そんな表現がぴったりとハマる状況だった。
「わ、私は、知らない」
「それを決めるのは貴方ではなく、我々です」
本人の自供がなくとも、状況証拠が固まれば白でも黒に出来ると言いたいのだろう。
しかも、その相手が真に黒なのであれば、何の躊躇もなく断罪してくるはずだ。
「言いたいことがあるのなら、紙に書いておいてください。後で読むかもしれませんし、破り捨てるかもしれません」
髭面の男が、目元を細めた。
その視線は、獲物を捉えた猛獣のようだった。
その恐ろしさに震えるポルコは、自分をいてこました本当の相手が、まさかお腹の大きな妊婦だとは思ってもいなかった。
「ドルチェお嬢様のお陰で、やっと自由の身になることが出来ました」
そう言って頭を下げているのは、贋作画家のクアードロだった。
場所は、ヴィットーリア侯爵家の庭。庭師の衣装を身に着けた彼は、今日、最後の挨拶に来ていた。
「長い間、ご苦労でした。それで、これからどうするの?」
「お嬢様から頂いた新しい名で、又、絵を描きたいと思っております」
地面に膝をついて首を垂れる彼は、ホッとしたような、穏やかな表情を浮かべていた。
「初めて会ったのに、もう二度と会う事もないのね」
ドルチェは手紙でしか交流の無かった男との最後の別れに、少し感傷的な気持ちになった。
彼女が見初めた彼の絵は、実母スペツィアートが掴まされた贋作の中にあった。
当時十四歳だったドルチェは、惹きつけられるように絵の前に立っていた。
――隠し切れない才能が、贋作に本物以上の輝きを与えてしまっていたわ。
当時の事を思い出し、ドルチェは自然と微笑みを浮かべる。
そして運命と言うのは不思議なもので、後日、王太子の婚約者として訪れた孤児院で、ドルチェは贋作から感じた印象と同じ絵と出会う事になる。作者が誰かと尋ねると、
「コレは、ここを出ていったクアードロが描いたものです」
と院長が答えた。
聞くと画家として頑張っているらしく、時々寄付などもしてくれるらしい。
「私、この絵がとても気に入りましたわ。彼の住所を教えていただけるかしら?」
公爵令嬢であり、次期王妃になるかもしれない少女に聞かれれば、院長も嫌は言えない。
帰る時に、クアードロの住所が描かれたメモを渡してくれた。
帰って直ぐに、ドルチェは手紙を書いた。
『貴方が描かれた月の作品に感銘を受けました。小川に映る眼鏡橋の描写が素晴らしかったです』
手紙の内容は、至ってシンプルな物だった。
しかし、孤児院に飾られていた絵は、明るい太陽の下でキラキラと輝く海が描かれた物。
どう考えても、おかしな文面だ。
ドルチェの手紙が指す絵は、実母が買った贋作の方。
半円形のアーチが水面に映ることで眼鏡のレンズになる様をドルチェは眼鏡橋と表現したのだ。
――思い当たる節があれば、返事が返ってくることでしょう。
ダメもとで出した手紙は、思った以上に早く返って来た。
余程急いでいたのか、インクを手で擦った跡が付いていた。
『私は何を、差し出せばよいでしょうか?』
ローアという偽名で届いた手紙には、孤児として育った青年とは思えぬ繊細で美しい文字が並んでいた。
ただ、頭はあまり良い方でないらしく、自ら罪を認めるも同然の内容だった。
ここまで下手に出るということは、ドルチェが送った手紙に心当たりがあるということだ。
そこでドルチェは、再び手紙を送った。
『絵の裏に長い角の生えた牛の絵を描いてください。貴方の命綱となるでしょう』
クアードロは、何故描くのかとは聞いてこなかった。
ただ、新しくスペツィアートが購入した購入した絵の中に、指示通り描かれた牛の絵があった。
あれから二年の月日が流れた。
クアードロが描いた贋作の印が、今、ポルコの罪を暴くことに一役買っている。
ドルチェは、兄サラートを通じて国王にクアードロの減刑を申し出た。
彼女の活躍がなければ解決できなかった案件だっただけに、名前を変えると言う条件付きでクアードロの無罪放免は許された。
「貴方のお陰で、この国の膿を一つ絞り出せそうです」
「お役に立てたのでしたら、本当に嬉しいです」
彼は、この十年狭い家に籠り、贋作ばかりを描いて来た。
ただ、一人の少女が偽物の絵を通して自分の本当の姿に気付いてくれたことで、常に本物よりも上を目指して描き続けてきた。
今クアードロの心は、真の作家として生きていく決意に満ちている。
この屋敷を一歩出た瞬間から名前は変わるが、そんなちっぽけなことはどうでも良かった。
目の輝きを取り戻した青年に、ドルチェは最後の声を掛ける。
「では、体に気を付けて」
「はい。それでは、失礼いたします」
たった数度のやり取りだったが、ドルチェにとってもクアードロにとっても忘れ難い文通だった。
きっと忘れることは無く、時折思い出しては、クスクスと笑うことだろう。
その後、隣国の画壇に彗星の如く天才画家が現れる。彼の描いた一枚の絵は、女神の如く美しい妊婦の絵だった。
完
勢いで始まったドルチェのお話も、とうとう第四章?まで参りました。
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