幼な妻、実の両親をだまくらかす①
「頼む、金を貸してくれ」
そう言って目の前で手を合わせているのは、ドルチェの実父ピッカンテだ。
若かりし頃は絶世の美男子と呼ばれた彼も、四十路となれば見た目の美しさに陰りも出てくる。
徐々に後退してくる額を隠すように伸ばされた前髪も、ハリが無いため余計しょぼくれて見えた。
そして彼が着ている服は、元は上質な物なのだろうが手入れが行き届いておらずシワが寄っている。
メイドが着衣の手伝いをしていないようで、靴も泥がついたままだった。
――人様の家を訪問する時の格好ではないわね。
父の様子にも呆れたが、ドルチェは、横で被害者のような顔で座っている実母のスペッツィアートにも強い不快感を抱いた。
実母は、昼間だと言うのに胸元が大きくあいた官能的なドレスを身に纏っていた。
未だに、自分が良い女だと思っているのだろうが、ふくよかになりすぎた体に小さめのドレスははみ出た肉を誇張させるだけだ。
見た目以外誇るものがなかった二人の身分が公爵なのは、単にピッカンテの親が公爵だったから。
本人達に、その実力はない。
ドルチェの祖父が早世したことにより実権を早く握った男は、折角大きくした公爵家の資産を目減りさせることばかりに熱心だった。
詐欺まがいの融資に投資したり、怪しい秘密のクラブに入り浸ったり。
悪人達のカモとしては、最上級のチョロさだったことだろう。
その片棒を担いだスペツィアートは、宝飾からドレス、良し悪しすら分からない絵画にまで手を広げ、見事に偽物を掴まされ続けていた。
そんな家に、聡明だった祖父の血を引いたドルチェが生まれたのは、奇跡なのか喜劇なのか分からない。
二人の美的要素を上手く受け継ぎ、親をしのぐ美しさを得た少女が学園一の才女であれば、王家の目に留まらないわけがなかった。
こうして出来の悪い王太子の補佐として婚約者となったドルチェは、紆余曲折を経て運命の人と出会い、現在はヴィットーリア侯爵家で幸せな毎日を送っている。
そこへ、恥ずかしげもなく現れて金の無心をする両親を見て、ドルチェの心はドンドンと冷え込んでいった。
――縁を切るって、本当に難しいのね。
どんなに相手を嫌っても、血の繋がりが消えることは無い。
資金繰りに困った両親が嫁ぎ先に現れれば、玄関先で騒がれることを避けるために家に入れざるを得ないのだ。
「お金なら、お兄様にお願いすればよいのではありませんか?」
出来るだけ感情を見せないように、ドルチェは当然のことを言った。
ドルチェの兄サラートは、今、父を排して公爵家当主となっている。
故に、家の金を動かす為には、サラートの許可が要る。
実はピッカンテは、王太子の婚約破棄を理由に、王家に多額の賠償金を請求した。
娘が未来の王妃となる道を潰されたと言って騒ぎ立てたのだ。
少し考えれば、国の長に唾を吐くなどありえない。
しかも、ヴィットーリア侯爵家に対しても、愛娘を無理やり取り上げるなら金を寄越せと言ってきた。
あの状況からドルチェを救ってくれたことに感謝こそすれ、金を巻き上げようとするなどありえない。
そこで、王家とフォルテが手を回し、第二王子派の側近となっていた彼らの息子サラートを新しい当主に就けたというわけだ。
王家の方は、英雄の顔を立てるという流れに乗ってトカゲの尻尾切りをしたも同然。
何とも見事な変わり身の早さだ。
突然隠居させられたドルチェの両親は、全ての人間に裏切られたと逆恨みしている。
次期王妃の親として名声を極めていた社交界からも追い出され、昔の栄華が忘れられずにあがいているのだろう。
今回も、新しい衣装を新調したいのに、息子が金を出してくれないと言う、あまりにも愚かな話をしにドルチェの元へ来ていた。
「貴女、侯爵でも、それなりにお金は持っているんでしょ?」
実母の下品な言葉に、ドルチェは口も開かず無表情のままだ。
自身の身分が公爵であることで全てを高みから見下ろすスペツィアートを、心から軽蔑しているのであろう。
「何とか言いなさい。本当に、不愛想な子だこと。誰が育てたのかしら」
「貴女に育てて頂いた記憶はありませんので、ご安心ください」
「まぁ、ああ言えばこう言う。年長者への礼儀がなっていないわ」
キャンキャンとスピッツのように甲高い声で騒ぐスペツィアートに、メイド達は密かに拳を握る。
尊敬してやまない女主を貶められて、大人しくしているような使用人は、この屋敷には居ない。
ただ、ドルチェが、あまりにも落ち着いている為、誰も動くことが出来ない。
涙の一つでもこぼそうものなら、屋敷全部が総力を挙げて、この醜悪な夫婦を駆逐することだろう。
「ここに来ることを、お兄様には報告されていらっしゃいますか?」
「言うわけないだろう。アイツは、本当に冷たい奴だからな」
サラートの事をまるでゴミ虫のように言うピッカンテは、余程息子が苦手らしい。
長男でありながら、親の興味は次期王妃となるドルチェにしか向いていなかった。
そのことを逆に感謝するように、彼は淡々と学び、淡々と親の傍から離れた。
妹が、王太子の婚約者になるまでは、これでも兄妹仲は悪くなかった。
しかし、両親が嬉々として王家の要請を受け入れ、妹の未来が決まった瞬間、ドルチェとサラートは全く話さなくなったのだ。
その事を両親は、妹の立身出世を妬む心の狭い兄の心無い行動だと決めつけていた。
そんな息子の元で、全てを管理されて生活する日が来るなどとは思ってもいなかった。
ずっと馬鹿にしていたサラートに実権を握られ、今では屋敷で肩身の狭い思いをしているらしいが、なにもかもが自業自得。
あれだけ粗略に扱っていた息子に、優しくして貰えると思うほうが間違いだ。
更に言うなら、王太子が婚約破棄を宣言した瞬間、
「アンタなんて、娘じゃないわ」
と叫んだのはスペツィアートだ。
今更親子の絆を持ち出されても、ドルチェとしては『一昨日来やがれ』である。
「それで、金を貸してくれるのか?」
貸してもらえないという選択肢を考えたこともないのか、父親は、ヘラヘラと笑いながら手を出してくる。
その手を、ドルチェが扇でピシリと叩いた。
「な、何をするんだ!」
「黙らっしゃい。貴方がたは、既に貴族籍を剥奪されております」
「はぁ?」
意味が分からないらしく、ピッカンテは間抜けた顔でドルチェを見ている。
それはスペツィアートも同じで、二人並ぶと、出来損ないの置物のようだ。
「サラートお兄様には、お二人が来られたことは連絡済み。もう直ぐ、お迎えが来るはずです」
「お前達、仲が悪かったのではないのか?」
「そう思っていたのは勝手ですが、私は、ずっとお兄様を尊敬しておりました」
「お前、私達を騙していたのか!」
ピッカンテが怒りのあまり大声を出してドルチェの胸元を掴もうとした。
そんな彼の横っ面を、ドルチェは扇で張り倒した。
「グホッ」
変な呻き声をあげたピッカンテの口から、殴られた衝撃で抜けた歯が転がり落ちる。
その様子に、スペツィアートが悲鳴を上げた。
「な、なんてことをするの。この親不孝者!」
「貴女だけには言われたくありません。それに、私達は、貴方達の前で口を閉じただけ。不仲だと勘違いしたのは、そちらの勝手です」
六歳差の兄と妹が四年の月日をかけて仕掛けた罠が、やっと両親を捉えた。ドルチェ達の思いを、彼らが全て理解することは一生ないだろう。
ドルチェが王太子の婚約者に無理やり据えられたのは、十二歳の時だ。
その時、兄は既に十八歳だった。
王家からドルチェを王太子の婚約者にすると連絡があった日、公爵家は大騒ぎだった。
両親は取り巻きを家に呼びつけ、酒を振る舞いどんちゃん騒ぎをしている。
サラートは、内心、妹が哀れだった。
貴族故に恋愛結婚など夢のまた夢だということは分かっていたが、あの出来損ない王太子を当てがわれることに同情したのだ。
――今夜くらい、存分に泣けばいい。
そう思っていた兄の元に、深夜訪れたのは悲し気に微笑む妹だった。
「お兄様、卒業後の進路は、お決まりですか?」
「いや……まだだが」
「それなら、第二王子の側近になっていただけないでしょうか?」
「第二王子の?」
側妃の息子であり、聡明ながら不遇な立場を強いられている第二王子は、兄がいる限り国王にはなれない存在。
側近になるのを皆が嫌がるのは、そういった経緯がある。
もし、学園でも優秀な成績を収めて卒業するサラートがお側に仕えると言えば、あちら側に嫌はないだろう。
「この国は、このままでは必ず傾きます。そうさせない為には、私達が動かねばなりません。お兄様には苦労を掛けることになるとは思いますが、共に戦って頂けないでしょうか?」
最初、意味の分からなかったサラートは、妹の真剣なまなざしを見てハッとした。
「お前……自分を犠牲にするつもりか?」
「王太子殿下は、いつか失態を犯します。いえ、私が、必ずや起こさせてみせます。その時、第二王子を支えて、次の王太子に推して頂きたいのです」
第三王子は、別の側妃の息子でまだまだ幼い。
その下は王女ばかりだ。
本当に王太子が廃されれば、やっと第二王子が日の目を見る時代が来る。
「その後、お前はどうする?」
「そうですわね。あのダメ人間達と共に大人しく朽ち果てていきますわ」
「そこまで覚悟を決めているのか」
十二歳の少女が、自分を犠牲にしてまで国の行く末を良きものにしようとあがいている。
その事に感銘を受けたサラートは、深く頷き優しくドルチェを抱きしめた。
「今日この日より、私とお前は、仲の悪い兄妹だ」
「はい」
「だが、全ての事が終わった暁には、又お前を抱きしめさせてくれ」
「その頃には、こんな風に抱きしめられるほど子供ではありませんことよ」
「ははは、そうだな。淑女となったお前を見るのが楽しみだ」
笑っているのに、サラートは目に涙を溜めた。
腕の中にいる小さな妹が、どうか無事でいられるようにと願うことしかできなかった。
あれから四年、あえて話さなくなった兄妹は、それぞれの場所で己の使命を全うした。
ドルチェは、王太子が心置きなく平民と恋が出来るように段取りしてやり、サラートは、虎視眈々と王太子失脚の時を待ちながら仲間を増やし続けた。
「お前のような意地の悪い女とは、結婚なんて出来ない!婚約破棄だ!」
そう夜会で王太子が叫んだ時、サラートは妹が解放された喜びを味わう一方で、『お前のような奴にドルチェはもったいない』と心の中で吐き捨てていた。
そして、両親を早々に排除して、ドルチェの幸せを取り戻してやろうと決意を新たにしていた。
まさか、その場でフォルテ・ヴィットーリア侯爵家が名乗りを上げ、ドルチェを横から攫っていくとは思ってもみなかった。
嬉しそうに頬を赤らめる妹を見て、更に驚いたのは言うまでもない。
――まさか、かなり年上の男が好きだとは、思いもよらなかった。
父からの愛情を受けられなかったドルチェは、包容力のある男が好きなのかもしれない。
そんな風に思ったこともあったが、その後妹から送られてくる手紙には、いかにフォルテが可愛くて愛しい存在なのかがつらつらと書き綴られていた。
――このような惚気を、実の兄に送るのは止めて欲しいな。
サラートは、苦笑いしながらも最後まで読んでやり、返事を返してやった。
『幸せそうでよかった。これからも、お前が笑顔でいられることを祈っている』
やっと軌道に乗り出した第二王子派の筆頭が、元王太子の元婚約者と仲良くすれば、口さがない者達が勝手に色々勘繰って、あらぬ噂を流すだろう。
未だに直接会って話すことの出来ない兄と妹が、心置きなく会える日は、まだまだ先だ。
今、サラートは、第二王子の側近として日々忙しく働いている。
密かに彼が集めた有志が、その周りをガッチリと固め一分の揺るぎもないものにしていた。
一方のドルチェは、フォルテという運命の男が親元から攫い、こうして彼女を幸せの中に置いてくれている。
最後に残ったのは、何も理解しようともせず、昔の栄華を懐かしむ馬鹿な両親だけ。
これを処理しなければ、今後いつドルチェに悪さをしないとも限らない。
そう思ったサラートは、両親が知らぬ間に、彼らの戸籍を公爵家から抜く手はずを整えていた。
「わ、私達の許可なく、そんなことは出来ないはずよ!」
往生際悪く、スペツィアートが叫んだが、隣にいるピッカンテは顔面蒼白だ。
「あなたも、なんとか言ってくださいませ!」
「い……いや、それなんだが」
言いよどむピッカンテに、スペツィアートは嫌な予感がした。
「何故そんなに怯えていらっしゃるの?」
「その……この前サラートから金を貰う際、サインをさせられたんだ」
「何に?」
「ドルチェの元に行ったら、二度と公爵家の名は名乗れないと」
「はぁ?」
それは、巧妙に仕組まれた契約書だった。
公爵家の名を名乗れないということは、公爵家の人間とは認めないと言う事。
さらに細かな文字で書かれた無数の条項が並んでいたが、全て読むのが面倒くさく、深く考えもせずに金欲しさにホイホイとピッカンテは名前をサインしてしまったのだ。
「そんな……」
呆然とするスペツィアートの前に、ドルチェは、紙束を置く。
「これは、父上がサインされた契約書の写しです。内容が気になられるようでしたら、読んで見られますか?」
脂汗を流していたピッカンテは、慌てて書類を掴むと回らない頭で必死に読み解こうとする。
そこに書かれていた言葉を簡単にまとめるとするならば、ピッカンテとスペツィアートは、今後領地の片隅に建てられた小さなボロ家で、ほぼ監禁生活を余儀なくされるということだ。
貴族籍を剥奪され、ただの平民となった彼らに仕える者は居ない。
たった二人で、サラートからの配給品だけを頼りに、この先何十年と命を長らえなくてはならなくなった。




