幼な妻、義母のフレネミーをどつきまわす②
「ところで、マレフィコ侯爵夫人、領地の被災状況はいかがですか?」
「え?」
「大きな崖崩れがあったと聞いております。さぞ、心配なことでしょう」
水を向けられても、プレダトーレには、何のことかサッパリ分からない。
領地の事など、全く考えていないからだ。
夫が上手くやっているだろうと信じて疑わず、災害に遭っているなどという連絡は全くなかった。
「長雨で地盤が緩んだせいですね。街道が封鎖されてしまい、物流も止まっているとか」
ドルチェの話が進むにつれ、プレダトーレの顔色は、ドンドン青くなる。
「マレフィコ領の特産である絹が仕入れ出来ないと、我が家に来た商人が申しておりました。大規模工事を行わないと、街道の復旧は難しいかもしれませんね」
夫から連絡がこないのは、道が塞がってるから。
夫が帰ってこないのも、道が塞がっているから。
そして、その道は、直る目途すら立っていない。
絹という金の生る木も、売ることが出来なければ、ただの宝の持ち腐れだ。
そして、金を湯水のように使っていたプレダトーレは、今屋敷に残っている資金の残高を把握していない。
「あら、マレフィコ侯爵夫人、大丈夫ですか?」
対面に座っていたピアニッシモが、心配そうに声を掛けると、
「だ、大丈夫です」
と言って、プレダトーレは、ピアニッシモが飲みかけて放置されていた冷えた紅茶を一気飲みした。
ドクドクと心臓が鳴り、息が浅くなる。目の前がクラクラと揺れて見えるが、それが涙によるものだとは本人も気づいていない。
これまで、プレダトーレが得た情報など、単なる人の下世話な噂話ばかり。
対するドルチェは、人生を左右してしまうほどの重要な情報を、サラリと世間話のようにブッ込んでくる。
「あぁ、あと、市民の間では、木綿の需要が高まっているそうです。安価で手に入れやすいだけでなく、他国から『超長綿』という品種が輸入され、手触りも良くなったとか。特に暑い夏などは、簡単に洗い替えが出来る方が好まれます。この波、そろそろ貴族にも広まっていきそうですわね」
絹の寝間着は、平民にとっては一種のステイタスだ。
これまでは、大店などを中心に、購入する層が居た。
しかし、入荷が減ったことによる高騰は止めがたく、それなら着心地の良い木綿でも良いではないかと人は思う。
値段も手ごろで、何枚買っても財布は痛まない。
人は、一旦上げた生活基準を落とすことは難しいが、強制的に慣らされると、それはそれで受け入れてしまう。
絹の入荷がいつ元に戻るか分からないが、直ぐに以前のような売り上げに戻すのは難しいだろう。
「わ、私、用事を思い出しましたので」
フラフラとプレダトーレが立った。
一刻も早く屋敷に帰り、前日に注文したオートクチュールのドレスをキャンセルしなければならない。
今まで以上に贅を尽くした衣装には、宝石も散りばめる予定だったのだ。
「まぁ、今来て、もう帰られるのですか?」
素直な感想を述べるピアニッシモの言葉は、予想以上にプレダトーレのライフを削る。
「だ、だから、用事を思い出したと言っているでしょ!」
ヒステリックに叫んだプレダトーレは、よろけながら待たせてある馬車に向かって歩いていこうとした。
そこに、
ブ~~~~~~~~~ン。
蜂が飛んできた。
庭に咲き誇る花に誘われたのだろう。
たった一匹だったが、周りは騒然とする。
しかも、
「きゃぁ、なんなの!来ないで!」
悲鳴を上げて逃げ惑うプレダトーレを執拗に追いかけ始めた。
頭の周りをブンブン飛ぶのは、整髪料に含まれる成分のせいだろう。
蜂は匂いに敏感で、香りによっては興奮させたり攻撃的にしたりする。
「誰か、助けて!」
高々と結い上げられた頭の先に、ピタリと蜂が止まった。
腰砕けになって地面に座り込んだプレダトーレは、恐怖で震えるしかない。
「じっとしていてください」
ドルチェがさっと右手を突き出すと、何処からともなく現れたメイドが、丸めた新聞を握らせた。
「動いたら、刺されますよ!」
ドルチェの一言で、プレダトーレは金縛り状態だ。
「ひぃぃぃぃ」
引きつった声を上げながら、目を閉じた。
そんな彼女に向かって、ドルチェは新聞を握った右手を大きく振り上げる。
蜂一匹を倒すのに、そこまで振りかぶるのかと聞いてはいけない。
例え彼女の微笑みが悪魔のように恐ろしくとも、パニック状態の奥様方は気づきもしない。
そう、今この場は、ドルチェの独壇場だった。
「行きます!」
誰に向かって言った言葉なのか分からないが、宣言と同時に、ドルチェは腕を振り下ろした。
バシッ。
大きな音と共に、プレダトーレの髪が半分潰れた。
頭が粉砕されたのかと思われたが、どうやら盛りに盛った髪がへしゃげただけだった。
しかも、
ブ~ン
と蜂は羽ばたき、そして再びプレダトーレの頭にとまる。
余程、彼女の頭から好みの匂いがするのだろう。
ある種のフェロモンのようなものかもしれない。
「もう一回!」
バシッ。
「もう一回」
バシッ。
「もう一回」
バシッ。
「いや~、もう叩かないで~」
蜂に刺される以上とも言える殴打を受けたプレダトーレは、もう、息も絶え絶えだ。
そして、ここまで大きな犠牲を払ったにもかかわらず、蜂は、ブ~ンと何処へともなく去っていった。
残されたのは、幼な妻にどつかれまくったフレネミーだけだ。
「あら、残念」
蜂を退治できなかったことへの言葉なのか?
それとも、プレダトーレの悲惨な状態に対しての同情の言葉なのか?
どちらにしても、ドルチェが勝った事には間違いがないようだった。
数日後、ドルチェは夫のフォルテに伴われて、長年付き合いのあるテーラーの元に来ていた。
夫のスーツと、ドルチェ用のマタニティードレス、そして、少々気が早いが産着などを作る為に布を選びに来たのだ。
「出来れば、子供と私の服は、例の木綿でお願いしたいのだけれども」
「えぇ、心得ております。なにせ、奥様の発案で作られた布でございます。通気性も良く、伸縮性もあり、最近シャツなどは、わざわざそちらを好んで作られる方も多いのです」
なんと、新しく開発された木綿布の仕掛け人は、ドルチェだった。
木綿は、綿花から出来ていることは知られているが、その品種にまで目を向ける者は少ない。
ドルチェが選んだのは、繊維が長い品種で、今までの短い物に比べると、肌触りも絹に近くて着心地が格段に上がっている。
扱いも簡単で、おしゃれを楽しむ者程、色合いや模様を変えたシャツを多く欲しがるものだ。
その点、絹よりも加工しやすく価格を抑えられる木綿は、決して悪い選択肢ではない。
「ドルチェ、君の才能は分かっているつもりだが、少しはゆっくりしてくれ。お腹の子も、きっと母上が忙し過ぎることを心配していると思うぞ」
フォルテは、ドルチェの手を握って懇願した。
子供を引き合いに出しているが、一番心配しているのはフォルテなのだ。
「ふふふふふ、お父様は、心配性なのですよ~」
お腹を摩りながら我が子に告げ口するドルチェは、今ここにある幸せを嚙みしめていた。
あのお茶会以来、ピアニッシモは、木綿の服に興味を示し、自宅でも毎日着てくれるようになった。
お友達にも広めてくれているらしく、益々木綿人気は鰻登りだ。
一方、マレフィコ侯爵家の絹の供給は未だに再開されておらず、プレダトーレは社交界にも全く出なくなったらしい。
金の切れ目が縁の切れ目とでも言うべきか。
彼女がお友達と思っていた人々は、蜘蛛の子を散らすように居なくなっていた。
――自業自得とは言え、なんだか、虚しいですわね。
人の噂をバラ撒きまくったプレダトーレは、今、自分自身が噂の的になっている。
人の不幸は蜜の味。
そう思う者は、どうやら少なくないようだ。
「旦那様、私、暫く夜会には出たくありませんわ」
「安心してくれ、一生出すつもりはないから」
幼な妻を溺愛する夫は、自分の腕の中に一生囲い込みたいとすら思っている。
更に、愛らしい子供が生まれようものなら、母子共に、フォルテの愛情は際限なく注がれることだろう。
「一生は、ちょっと」
はにかみながら首を横に振るドルチェに、フォルテがションボリ肩を落としたのは、テーラーだけの秘密になるはずだった。
しかし、なんの運命のいたずらか、店の戸口に、あのフレネミーが立っていた。
「あら、マレフィコ侯爵夫人」
ドルチェが声を掛けると、プレダトーレはビクリと怯えたように身を震わせた。
彼女の手には、絹織物が抱えられている。
額にビッショリと汗をかいており、どうやら馬車に乗って来たのではない様子だった。
――とうとう、馬車も売ってしまったのね。
マレフィコ侯爵家が傾き始めた噂は、既にドルチェの耳にも入っていた。
街道の復旧工事は難航を極め、石材などの確保も難しいらしい。
金を支払えなくなった屋敷に仕えるものはおらず、一人また一人と姿を消していった。
これまでも、プレダトーレは決して良い雇い主ではなかった。
使用人達からの信頼が厚いドルチェとは大違いだ。
元々、プレダトーレは男爵家の娘だった。
それが、美貌を侯爵に見初められて高位貴族の仲間入りをしたのだ。
だからこそ、余計、見栄を張りたかったのだろう。
しかし、背に腹は代えられない状況となり、家に残った絹織物を直接テーラーに買い取ってもらいに来たのだ。
そこにドルチェがいた事で、今、彼女は絶望の淵に立っている。
全てを察したドルチェは、
「旦那様、私、今日は疲れてしまいましたわ。布選びは、また、今度」
と言って、フォルテの腕に手を添えた。
「それはいけない。今直ぐ帰ろう」
本当は、ドルチェを屋敷から一歩も出したくないフォルテには、渡りに船だ。
プレダトーレを一瞥することもなく、ドルチェをエスコートして外に待たせてある馬車へと乗り込んだ。
――もう、二度と会う事はないでしょうね。
あの華やかな王宮で、蝶のように、あちらへ、こちらへと飛び回っていたプレダトーレを、ドルチェは正直嫌ってはいなかった。
人それぞれ生き方が違う事をちゃんと理解しているドルチェは、自分に害を与えない者にまで、正義感を振りかざして罰するような馬鹿ではない。
ただ、今回は、ドルチェの大切な家族を傷つけようとした。
ピアニッシモは、突然息子の結婚相手になった訳あり令嬢を、本当の娘のように可愛がってくれている。
そんな義母の口癖は、『あぁ、私は、幸せ者だわ』だ。
プリマという人間離れした伯爵令嬢に長い間振り回されてきた彼女は、今そこにある些細な幸せを、まるで特大級の幸福のように喜べる人なのだ。
晴れた空を見ただけで、泣けてしまうようなピュアな心を持つ女性に、ドルチェはヴィットーリア侯爵家に来て初めて会った。
そんな義母と居ると、自分も素直に色んな事に感動できる心を取り戻すことが出来るのだ。
娘を王族と縁続きになる為の道具としか考えなかった実母とは違う。
――私の母は、ピアニッシモお義母様だけよ。
実母からは一ミリも与えられなかった愛情を、これでもかと投下してくる義母に、ドルチェは完全に絆されている。
それ故に、彼女を食い物にしようとする者は、全力で排除一択なのだ。
「ドルチェ、何を考えているんだい?」
馬車の窓から外を見つめる妻に、フォルテが声を掛けた。
彼女の横顔が、あまりにも美しく、そして楽しそうだったからだ。
「お義母様に、お土産を買って帰ってもいいかしら?」
「さっき、体調が優れないと言っていなかったかい?」
「それとこれは、別よ」
ドルチェの頭の中には、甘いお菓子を子供のように喜んで食べる義母の顔が浮かんでいた。
「ドーナツとクッキー、それに、キャンディーも欲しいわ」
「それは、全部、君が好きな物ではないのかい?」
「一緒に食べると、美味しさが倍増するって、お義母様が言っていたわ」
「全く、うちの母と言い、君と言い、本当に食いしん坊だね」
細い体に、どうやったらそこまで入るのか?
そう聞きたくなるほどに、二人は沢山食べる。
「だって、幸福は、口から入ってくるんですもの」
その昔、ドルチェが読んだ本に書いてあったのだ。
共に食事を摂ると、幸せは口から入ってきて血や肉になると。
「それに今は、もう一人、食べたいって強請る子がいるんです」
ドルチェは、自分のお腹を摩りながら、お医者様に食べ過ぎはいけませんと言われた言葉を、今日だけは忘れようと思っていた。
完
ブックマーク、★★★★★の評価等、していただけたら、とっても嬉しくなります。
また、幼な妻のお話を読んでみたいなと思われる方は、応援よろしくお願いいたします。




