幼な妻、夫の幼馴染をシバキ倒す②
「君が私を愛しているだって?何故、直接言ってくれなかったんだ」
プリマが振り返ると、そこには愛してやまないフォルテが立っていた。
逞しい肢体と、低く色気のある声が、以前にもまして素敵なものに見えた。
彼の言葉は、妻に向けたものだ。
しかし、フォルテに好かれていると疑っていないプリマは、自分に告げられる愛の言葉として受け取った。
彼の為なら、全てを捨てられる。
悲劇のヒロインと化したプリマは、フォルテと逃避行する自分に酔った。
「フォルテ、私を連れて逃げて!」
両手を広げて駆け寄ったプリマは、ヒョイッとフォルテに避けられて壁にぶち当たる。
「きゃぁ」
ゴロン。
受け身も取れずに見事に床を転がったプリマは、涙目でフォルテを見た。
しかし、彼はプリマを気にすることもなく、ドルチェに向かって大股で歩いていく。
「ドルチェ、変な女が居るが、大丈夫なのか?」
「えぇ、ただのおしゃべりですので」
大したことはないと言いたげなドルチェだが、フォルテの方が震えている。
「君を失うなど考えられない。どうか、何処の馬の骨とも分からない者と一人で会うなどという無謀なことは、二度としないで欲しい」
「旦那様がおっしゃるなら、そう致しますわ」
大柄な男は妻の横に座ると、逞しい腕で妻を囲い込む様に抱きしめた。
まるで絵画のような美しい光景に、使用人達からも感嘆のため息が漏れる。
「君は、私を驚かす天才だな」
「それほどでも」
「それで、いつから私の事を好きでいてくれたのかな?」
「貴方と同じ、出会った瞬間ですわ」
王太子による婚約破棄の現場には、その日勲章を授与されたフォルテも居た。
そして、目の前でワインを掛けられ、ドレスを真っ赤に染められたドルチェが、嫣然と微笑む姿を見て恋に落ちたのだ。
『婚約破棄、確かに承りました』
ポタポタと赤い雫が頬を伝い顎から流れ落ちるドルチェの姿は凛々しく、どちらが破棄された側か分からない落ち着きが見て取れた。
元々、ドルチェは気づいていたのだ。
王太子が、次期王の器ではないという事を。
だから、平民の少女と過ごす時間をわざと増やすように仕向けてやった。
甘い餌をぶら下げられて、食いつかずにいられるほど、王太子は思慮深い人間ではない。
案の定、頭の中がお花畑な二人は、勝手に盛り上がり真実の愛と言う安っぽい言葉でドルチェを貶めた。
その行動が、後々どれほど自分達を地獄の底に落とすものなのか気づいてもいなかったのだろう。
王位継承権を失った王太子と王族を唆したとして投獄された平民の少女は、どちらも長い年月を後悔し続けて生きていくことになる。
自業自得。
ざまぁみろ。
そう思って気持ちが晴れるのかと言うと、さにあらず。
ドルチェが傷物令嬢になってしまった事にかわりはない。
皆が同情的な視線を向ける中、社交界で一番の優良物件と言われたフォルテが彼女の前に膝をついた。
『貴女の英断に感銘を受けました。どうか、私の妻に……』
流石のドルチェも、この場で自分に求婚してくる男がいるなどとは予想していたわけではない。
突然目の前に現れた大柄な男に驚いたが、それと同時に、ちゃんと自分を見てくれている人がいることに感動した。
出来の悪い王太子の世話を丸投げされ、とうとう婚約破棄まで至った彼女を守ってくれる人間は今まで居なかった。
両親ですら王家との繋がりが出来たと喜び、ドルチェが王太子と平民がいちゃつく学園で肩身の狭い思いをしていても、浮気など男の甲斐性だといって笑っているだけ。
国の行く末を憂いたドルチェとは大違いだ。
親を親とも思いたくなかった彼女だが、流石に王太子から婚約破棄されれば嫁の貰い手はない。
どんなに嫌な親とでも、一生暮らしていかなければならないのだ。
日々、ののしられ続けられることは、間違いない。
そんな憂鬱な気分のドルチェを、颯爽と現れて救い出してくれた英雄がフォルテだ。
直前の勲章授与式で、彼が戦場で軍功を挙げた素晴らしい人物だという事は分かっていた。
そして、長年戦地に身を置いていた為、確かに未婚としては年齢は高かった。
しかし、大勝を収めて凱旋してきた彼は、何も傷物の公爵令嬢になど婚姻を申し込まなくても、引く手あまたの人物だった。
ドルチェ自身、彼が戦場の英雄という事を抜きにしても、素敵な人だと憧れていた。
屈強な軍人であるのにも関わらず、その所作は洗練されており、目尻に刻まれた皴が優しさを表している。
勲章授与を見ようと参列していた母親に対してもエスコートを忘れず、常に気遣いを見せていた。
そして、そんな彼に愛される女性を羨ましいと思っていた。
だから、全てを諦めて一人生きる余生に、フォルテを密かに思う事を神に許して欲しいと祈っていた。
それなのに、今、その本人が、膝をついて結婚して欲しいと自分に乞うてくる。
真っすぐに気持ちを伝えてくるフォルテは、ドルチェの目には輝いて見えた。
咄嗟に言葉が出なかったのだが、それを良いことに、王が勝手に許可を与え、二人は結婚することになった。
そうしなければ、夜会に参加していた他国の貴族たちが、こぞってドルチェに釣書を送っていたことだろう。
ドルチェの心の内を知らないフォルテは、この一件以来、ずっと気になっていた。
貴族の結婚に互いの意思など重要でないことは分かっている。
だが、ただでさえ人生を王家に捻じ曲げられたドルチェが、次の結婚まで王に指図されることになってしまった。
もしかしたら、そんな切っ掛けを作ってしまった自分を恨んでいるのではないか?
日々柔らかな微笑みを向けてくれる妻に対して、一抹の不安が払拭できずにいた。
そんな思いが、今日、彼女の一言で、全て消し飛んでしまった。
――あぁ、まさか私達は、恋愛結婚だったのか。
王命が先に付いてしまった事で気づかなかった、あまりにも単純な答えにフォルテは満面の笑みを浮かべる。
「ドルチェ、私も愛しているよ」
「知っています」
ドルチェの返事が短くなるのは、照れ隠しだ。
その代わりに、木の幹のように太いフォルテの体を細腕で抱きしめ、ヨシヨシと背中を撫でてやる姿は、まるで聖母像のようだ。
そして、今まで自分はフォルテに愛されていると思い込んでいたプリマにとっては、これは衝撃のシーンだった。
「貴女、フォルテに何をしたの?」
「何も。ただ、私達は、互いを大切に思っているだけですわ」
戦場の英雄も、愛する女を失う恐怖に震えることはある。
いや、命のやり取りをする最前線に立つからこそ、自分の心の拠り所を人一倍大切にするのだ。
今までは、両親の為にと剣を振るった彼も、最愛の妻を手に入れれば死ぬことが怖くなる。
それでも、彼女が住む国を守る為に戦い続けるのだ。
たまに家に帰った時くらい、愛妻を抱きしめて癒されても何も問題はない。
「違う、違うわ!そんなの、フォルテじゃない!」
プリマにとってのフォルテは、プラチナブロンドの髪を短く刈り込み、女性の腰よりも太い腕と壁のように広い背中を持つ戦士。
自分を守ってくれる存在であり、自分が守らなければならない相手ではない。
そんな彼が今、デレデレとした顔でドルチェを抱きしめている。
あまりにも不甲斐なく、情けない姿は、何かに操られていると思いたくなるほどだ。
「貴方、彼に、変な薬でも盛ったの?」
「想像の斜め上を行くご質問ですが、その様なことをせずとも、彼は、元々こういった人間です」
平然と答えるドルチェは、フォルテの背中をトントンと叩くと、
「ちゃんとしてください。お客様が、驚いていますよ」
と諭した。
可愛い妻をずっと抱きしめていたかったフォルテだが、周りには相当驚いた表情のメイド達もいる。
渋々ドルチェを解放すると、今度は無表情でプリマを見下ろした。
「で、貴様は、誰だ?」
「何を言っているの!私よ!貴方の幼馴染のプリマよ!」
「幼馴染のプリマ?知らんな」
フォルテが言い切るのには、訳がある。
プリマがヴィットーリア侯爵家を訪れる際、殆どと言って良い程フォルテの姿はなかった。
何故なら、父親と二人で朝早くから鍛錬に出かけ、家に帰るのは暗くなってから。
その寂しさを紛らわせるために、ピアニッシモはプリマを屋敷に入れてしまったのだ。
まさか三十路を過ぎても、自分の元に日参してくるなどと思ってもいなかった。
何度もプリマ自身に注意をし、何度も伯爵家に抗議の手紙を送ったが、毎日毎日飽きもせずプリマは突撃してくる。
「私は、将来、フォルテと結婚してヴィットーリア侯爵夫人になるのよ」
娘プリマの言葉を鵜呑みにし、厳しく叱らなかったアムレート伯爵にも問題はあった。
どこかで、侯爵家と繋がりが出来たことを喜び、もしかしたらプリマが侯爵家に嫁げるのではないかと期待していたのだろう。
ピアニッシモの苦悩は、夫も理解していた。
故に、一緒に抗議の手紙を書いてくれたり、直接アムレート伯爵に注意をしてくれたが、暖簾に腕押し、糠に釘。
この子にして、この親ありと言った所だろう。
『あの親子、あれは、人間ではないな』
そう呟いたヴィットーリア侯爵は悪くない。
そんな人間ではない思考回路の持ち主プリマは、金をバラ撒きヴィットーリア侯爵家の使用人達まで懐柔した。
鍵を掛けても、何処からともなくプリマが現れるのは、この使用人達の手引きがあったからだ。
ほぼ家宅侵入のプリマは、たまにフォルテに遭遇すると一人騒ぎまくった。
ただ、フォルテは一言も言葉を返していない。
それどころか、全く視界にすら入れてなった。
母親が飼う犬が、キャンキャン吠えているくらいにしか思っていなかったのである。
こちらも、こちらで、人間離れした鈍感さだった。
「そんな……貴方と結婚する為に、私、全ての申し出を断っていたのに」
プリマも、一応伯爵令嬢。
若かりし頃は見目もそれほど悪くなく、何度か結婚の打診はあった。
しかし、プリマ自身がフォルテじゃなきゃ嫌だと駄々をこね、今では誰からも振り向かれない婚期を逃した年増令嬢となっていた。
床に座り泣き崩れるプリマを見て、ドルチェはフォルテの耳たぶをギューッと引っ張った。
「フォルテ、これは、貴方の失態でもあるのですよ」
ドルチェが、まるで母のようにフォルテを叱る。
「例え、ぶんぶん飛ぶハエ並みの耳障りな声だったとしても、育ちすぎたカボチャのような体格でも、一応、彼女は伯爵令嬢です。しかも、もう、三十路。それを放置して腐らせたのは貴方です」
「いやしかし」
「しかしも、へちまもありません」
ドルチェに叱られ、フォルテは情けない顔で眉を下げる。
一方のプリマは、ハエだのカボチャだの腐らせただの言われたい放題で息も絶え絶えだ。
そして、ドルチェは、そんなプリマに安っぽい同情などしない。
これは、己の聞きたいものだけを聞き、都合の良い事だけを信じた人間の末路だ。
「そろそろ、貴女のご両親が迎えに来られるとは思いますが、大人しく帰られることをお勧めしますわ」
それだけ言うと、ドルチェは夫の手を引っ張った。
「旦那様、私、少し疲れてしまったわ」
「それはいけない。私が連れて行こう」
フォルテはドルチェを抱き上げようと両手を広げた。
その姿を見たプリマが、何を思ったのか急に立ち上がり、
「わたしのよ~~~~」
といってフォルテに向かって一直線に走っていった。
バシーーーーーン。
物凄い打撃音と共に、プリマが後方へ吹っ飛ぶ。
彼女の顔に一本の真っ赤な線が入っているのは、ドルチェが彼女の顔面を扇でシバキ倒した扇の形が付いたからだ。
「あら、つい。ごめんあそばせ」
へし折れた扇を手に、ドルチェは、口に手を当てて微笑んだ。
彼女は、可憐な見た目に反して、なかなか剣の腕も立つ。
結婚直後は、夫が早朝の鍛錬をする際、横で自分も素振りをするくらいには剣術に長けている。
こうして、ヴィットーリア侯爵夫人となったドルチェは、見事、夫の幼馴染(仮)を撃退した。
プリマの息のかかった使用人達は、全員紹介状なしで放逐している。
そして、新しい就職先など、絶対見つからないよう手回しもしてやった。
二度と、まともな職場は見つからないだろう。
プリマの実家である伯爵家は、ブドウの産地で丁度一番の最盛期を迎える時期だが、取引先が全員手を引いたことで在庫を持て余している。
元々、濃い紫をした大玉が特徴のブドウは、果汁がタップリで貴族達の間で紫の宝石と例えられていた。
しかし、ドルチェが、隣国で開発された、エメラルドグリーンの皮ごと食べられる上に種もなく、更に安価で美味しいブドウの存在を国中に広めたことで、紫の宝石の人気は一気に下火となった。
フレッシュで食べる青果は、鮮度が命。
収穫してもワインのように長期保存できる商品に加工出来ないアムレート伯爵家では、腐らせるのが関の山だろう。
そして、お人よし過ぎて心配な義母と悪縁を一刀両断できなかった不甲斐ない義父は、プリマが直ぐには会えない場所へ逃がすことにした。
下手にプリマに接触して、同情を抱いたり、逆に丸め込まれたりしないようにする為だ。
どれだけ嫁に優しい義両親でも、優しい故の難点もあるのだ。
現在旅をしているロンターノは、義両親の新婚旅行の地らしい。
家督を譲り、久しぶりに長旅を楽しむ彼らは、まだまだ帰ってこないだろう。
「あとは、この子が無事に生まれてくるだけね」
ドルチェは、まだ目立たないお腹を摩り、既に母の顔で優しく微笑んだ。
つい先日、昼食時に吐き気をもよおし、それが悪阻だと分かった。
胎児の事もあり、フォルテは、益々ドルチェに対して過保護になっているのだ。
使用人がプリマの来訪を超特急で知らせに来たのも、フォルテが口酸っぱく、
「何かあったら、許さないからな」
と家令に何度も何度も何度も何度も言っていたからだ。
連絡係に任命された庭師の青年も、生きた心地がしなかったことだろう。
そして、大事な会議中にもかかわらず、全てを中断させて家に帰ったのは、何かと無理をしてしまうドルチェを思っての事だ。
女主人として、使用人を総入れ替えするにあたり、一人一人面談を行ったのも彼女。
働き過ぎの幼な妻を労わるのが、年上夫の役目だと真剣に考えている。
フォルテは、愛妻を後ろから抱きしめて、自分の手を彼女の手の上に置いた。
二人の手は重なり、そして、まだ見ぬわが子を包み込む。
「この子が生まれる前に、君が私を愛してくれていることが分かって良かったよ」
「気づいていないのは、貴方だけだと思いますけれども」
互いを見つめる視線は甘く、傍に居れば、どこか触れている二人は、どこからどう見ても仲睦まじい夫婦だ。
廊下の外で他の使用人達が、何かあったら自分達が飛び出してプリマをコテンパンにやっつけようと箒や塵取りを持っていたのも、妊婦であるドルチェを思いやっての事だった。
その中に、失言メイドのリーゾも含まれている。
どうやら、先ほど部屋の外に摘まみだされた一幕は、プリマを精神的に追い込むための茶番だったようだ。
使用人達は、ドルチェに選ばれたことを心から誇りに思っている。
どんなに失礼極まりない客だとしても、伯爵令嬢であるプリマを殴れば、彼らとて無事では済まない。
それでも、この家の使用人達は、若き女主人に忠誠を誓っていた。
「さぁ、貴方、そろそろ夕食にいたしましょう」
「そうだな」
「えぇ、今日は、とても新鮮なムール貝とマテ貝が手に入ったので」
そう言いながら、ドルチェは、
――今晩は、笑わずに食べられるかしら?
と、微妙な笑みを浮かべていた。
完




