6.じゃあ、行こっか?
「じゃあ、行こっか?」
「はい。」
松本さんの後に続いて建物へと向かう。
少し前を歩く松本さんは、相変わらず、画材を満腹以上に食べたであろうはちきれんばかりのカバンを肩に提げて、よたよたと歩いている。
持ち手が左肩にぎゅっとくいこんで痛そうだ。
相当重いのだろう。
先を行く松本さんの横に並ぶと、
「その荷物持ちましょうか?」
自然に言葉が出た。
「ありがとう。でも慣れているから大丈夫です。」
ニコッと笑ってそう答えた。
「俺、今日からデッサンを始めるんです。」
「そうなんだ。私も最初はデッサンからでしたよ。」
「そうなんですね。まだ鉛筆とか購入してなくて。今日受付で買おうと思っているんです。」
「割引もあるしお得ですよね。私も最初は全然わからなくて、いや、今もそんなには分かってはいないですけれども…。デッサン一式くださいって言えば、さっと揃えてくれる、斉藤さんはできる人なのです!斉藤さんにお任せすれば大丈夫です!」
斉藤さんができる人の話なのに、なぜか、松本さんが『えへんっ』と胸を張り自慢げだった。
そんな話をしながら歩いていたら、受付の前に着いていた。
「こんばんは。なにか御用ですか?」
口を開こうとしたら、先に受付の斉藤さんから声を掛けられて、なぜか口を開けることができなくなった。
『デッサンに必要なスケッチブックと鉛筆をください。』というだけだというのに。
さっき、松本さんには自然に話せていたのに。
ちらっと横を見ると、少し離れて松本さんがこっちを見ている。
それを見たら余計言葉が出てこなくなった。
変な汗までかきはじめていた。
どうしよう。早く何か言わないと。
口が開かない。
なんで!
早く何か言わないと!!
すると、ふとラベンダーの香りがした。
「戸ノ岡さん、今日デッサン初日なんですよ~。」
気づけば松本さんが俺のすぐ隣に立ち、斉藤さんに話しかけていた。
「そうなんですか?」
「…は…い…。」
なんとか返事をする。
緊張で息を吸っているのかはいているのかも分からない。
鉛筆はともかく、デッサン、スケッチブックなんか言いなれてなくて、ど素人がこんな立派な絵画教室で言うのが恥ずかしくなって俯いた。
「私も最初全然分からなくて、ここでデッサン一式くださいって言って道具揃えてもらったんですよって、戸ノ岡さんに話していたんです。」
「そうだったんですね。戸ノ岡さんも一式ご購入されますか?」
斉藤さんから聞いてくれた。
「はい。よろしくお願いします。」
今度は、きちんと返事をすることができた。
「かしこまりました。少々お待ちくださいね。」
「はい。」
ほぉ…。なんとか今日必要な道具が買えそうだ。
松本さんは、何も言わず、隣で斉藤さんが戻ってくるのを待ち遠しそうに待っている。
「あの、ありがとうございます。」
「ね!!やっぱり斉藤さんってすごいでしょう?一式お願いしますっていうだけで、揃えてくれるんだから。早く戻ってこないかな。戸ノ岡さんの最初の真新しい画材を早く見たい。」
屈託なく笑うのだった。
俺の画材が見たい?
なんで?
同じものを購入したって、さっき言ってたよな?
「松本さんが買ったのと同じでしょう?」
皮肉めいた言い回しになってしまったが、
気分を害した様子はなく、ぷっと頬を膨らまして、
「そうだけど、全然違うよ!」
と言った松本さんの顔には『同じにしないで!』って書いてあるけど、俺にはさっぱり意味が分からない。
数分後、スケッチブックの上に数本の鉛筆を乗せて、斉藤さんが受付に戻ってきた。
「こちらが初めてのデッサン一式になります。今日先生が鉛筆の種類について教えてくれると思うので、描いていて足りないものはその都度買い足していってください。単品でも買えますので、いつでもおっしゃってくださいね。」
お金を支払い、「デッサン一式」を受け取った。
横では、松本さんが、キラキラした目で俺が今受け取ったばかりのまだ削られていない鉛筆たちをうっとりみている。
なんだ?なんなんだ?
とまどっていると、
「松本さんは文房具お好きなんですよね。私と趣味が合うんです。時々文具店情報を交換したりしているんです。」
斉藤さんが小さな声でこっそりとそう教えてくれた。
「そう…ですか…。」
よく分からないが、文具を見るのが好きなんだな。
俺が手に持つ真新しい文具に釘付けになっている。
どうしよう。
動きづらい。
教室に向かわなくて大丈夫なのだろうか。
俺の困った様子に気づいた斉藤さんが、助け舟を出してくれた。
「松本さん、もうすぐお教室が始まりますよ。教室に行かないと。」
斉藤さんのその声で我に返った松本さんは、
「お金払った?足りた?大丈夫?」
急にお母さんみたいなことを言い出した。
「え!?ぷっ…あははは。」
思わず大笑いしてしまった。
本当に、この人は何なんだ?
可笑しくて笑いが止まらない。
「また、私のこと笑う!私おかしなこと言ったかな?」
松本さんは、ちょっと不安そうな顔でそういった。




