4.歓迎します
奈良先生は、アッシュグレーの髪に、黒縁の眼鏡をかけて、グレーのTシャツの上に綿シャツをラフに羽織り、黒のジーンズにスニーカー。すらっとした体型で、なかなかおしゃれな人だった。
声も低いトーンで優しく響く。
「はい。戸ノ岡と言います。突然すみません。見学させていただけますか?」
立ちあがり、挨拶をする。
「歓迎します。どうぞ見学してらしてください。当塾のご案内などさせていただいてもよろしいでしょうか。」
どこまでも丁寧で、奈良先生の声は心地いい。
―歓迎します―
この場所を、おれの居場所にしてもいいかな?
絵なんか描けないけどいいかな?
いいのかな・・・?
奈良先生の話をゆっくり聞きながらそんなことを思っていた。
「…ご案内は以上となりますが、何か分からないことなどありますか?」
案内をし終わってパンフレットなどを手渡しながら聞いてくれた。
「えっと…、俺、絵を描いたことがないんですが、大丈夫ですか?」
周りの人が描いている絵が目に入る。とても上手で初心者なんかいなそうだった。急に場違いのところに来てしまったのではと、不安な気持ちと恥ずかしい気持ちが沸いてきて止められなくなりそうだった。
どうしよう・・・
うつむいてしまった。
すると、
「みんな初めは初心者です。」
「え?」
びっくりして顔を上げると、そこには、とても優しい笑顔があった。
「みんな初めがあって今があるんですよ。ほら、あそこで色を塗っている女性は、もう30年近くここに通ってくれています。その隣の男性は15年。今日一緒にいらした松本さんは2年目ですよ。松本さんも最初にここにいらしたときは、同じように初めて絵を習うとおっしゃって、とても不安そうでした。」
「…。」
「みんな最初はできなくて当たり前なんです。比べることでもありません。戸ノ岡さんは戸ノ岡さんの絵が描ければ嬉しいなと思います。戸ノ岡さんが描いてみたい絵のお手伝いがしたい。絵は自由です。描き方の正解もありません。自分を好きに表現できるものだと思います。そうできるように、絵の具の扱い方など知っていけば、面白くなっていくと思うんです。」
一度言葉を切り、それからゆっくりと俺の目をみて、言葉を紡いだ。
「一緒に絵を描いてみませんか?」
なんて優しい声なんだろう。
なんて優しい言葉なんだろう。
なんて優しい表情なんだろう。
なぜか、自然に涙が出そうになり、ぐっとこらえる。
「あ、あの…あまりお金がないので、月2回のコースでも大丈夫ですか?」
「もちろんです。いつでもコースは変更できますし、大学の勉強もあるかと思いますので、無理のない形でいらしてください。」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします。」
おれはこの日、武蔵丘森美術塾に入塾した。
「まずは、鉛筆デッサンをしますので、鉛筆とスケッチブック1冊あれば十分ですよ。受付でも買えますし、ご自身でご用意いただいても構いません。ここで買うと塾生割引がありますので、よかったらご利用ください。」
「はい、ありがとうございます。では、受付で買って帰ります。」
「ああ、ここで買うならいつでも在庫がありますので、次回少し早めにきて受付で購入してもいいですし、ここの塾は、画材を置いておくスペースがあって手ぶらでこられるんです。今受付で買って教室に置いて行ってもいいですよ。」
「そうなんですね。では次回購入します。今日はありがとうございました。」
先生にお礼を言い、すぐ前の席に座っていた松本さんにも挨拶をした。
「これからよろしくね!」
にこっと笑う松本さんの顔を見たら、
「はい!」
テンションが上がって大きな声がでた。
「で、では失礼します。」
恥ずかしくなって、慌てて教室を後にした。
背中から
「また来週お待ちしています。」
奈良先生の声が聞こえた。
帰り道。
手ぶらで行けるのはいいな。松本さんの荷物見てたら、大学に持って行くのもしんどそうだったし、重いから一度家に取りに帰るっていうのもかったるいなと思ったんだよな。
そこまで考えてふと疑問に思った。
あれ?
荷物全部教室においておけるんだよな?
それなのになんであの人のカバンあんなにぱんぱんに画材が入っていたんだ?
ぷっ
思わず吹き出してしまった。
あの人、本当に面白い!!
来週また会えると思ったら、なんだか胸が弾んだ。
俺が絵を習うのか…。
なんだか不思議だった。
でも、やってみたいと思いはじめていた。
それから一週間。
待ち遠しくて長かった。
でもあと2日だと思ってからは、なぜかあっという間だった。
そして、当日。
いつになく緊張して、足がすくみ、建物の中に入れないでいる俺がいた…。
今までに、こんなに緊張したことあったかな……
奈良先生が戸ノ岡君に話した言葉
絵は自由!絵だから描ける何かがある!
絵を描くことが大好きです。




