32.聞こえる
今まで全然気づかなかった。
レポートを書くために、大学の図書館に向かっているところだ。
校門をくぐり、構内を歩くと、キャンパス中にセミの声が響いていた。
自然と、校内の中央にある中庭へと足が向かっていた。
木々が青々と繁り、たくさんのセミが鳴いている。
木陰に入ると少しだけ風が涼しかった。
中庭の木陰のベンチに座った。
涼しい風が、駆け抜けていく。
気持ちいいな。
暗い暗い2年間。
東京に、大学に、馴染めず、自分は受け入れられてないのではないか、と思っていた。
居場所がない。
苦しい。
苦しくて、辛くて、どうしていいかわからなくて…
何を見ても、白黒に見えて、音も聞こえない。新聞紙の中に住んでいるみたいな感覚で、毎日がただただ過ぎていた。
何とか大学には通っていたが、だんだんだんだんそれも苦痛になってきていた。
さぁっと涼しい風が、俺の髪を優しく揺らす。
そうだ。
かのこさんに初めて出会ったあの時…
水溜まりに浮かぶ桜の花びらが、目に入ったんだ。
水溜まりに映る雨上がりの水色の空色に、薄いピンク色の花びらが浮かんでいた。
白黒だった俺の世界に、色がさした瞬間だった。
そうだ。
あの空色に浮かぶ桜の花びらは、儚く綺麗で…
東京での春が動き出した瞬間だったのかもしれない。
ずっと白黒だった俺の世界に、かのこさんとともに、色づく季節が訪れた最初の瞬間だったかもしれない。
そしてこの間、倉島の野球の試合を見に行ったとき、東京にセミがいることに気がついた。
東京での夏が動き出した瞬間だったと思う。
東京に出て初めて夏を感じた瞬間だったと思う。
そして、小さな胸の痛みとともに、地元が懐かしいと感じた。
そっと目を閉じ、耳を傾ける。
セミの大合唱と、グランドで活動している運動部の学生たちの掛け声が、風に乗って、不思議なハーモニーを奏でている。
ああ……俺の世界にも、こんなに音があったんだな……
こんなに…
俺は、自ら、身近な場所の景色さえ、遮断していたのかもしれない……
セ ミ の 鳴 き 声 が
聞 こ え る




