2.出会い
「え?」
突然声を掛けられた女性は、驚いた顔で俺をみた。
「あ、えっと…。」
しまった!知らない人に声を掛けてしまった。しかも久しぶりに地元の言葉で。
俺不審者じゃん!
振り返った女性は、会社帰りなのだろう。紺色のスーツに白のシャツにパンプスを履き、肩掛けカバンは大きくふくらみ、中に何が入っているんだ?と、眉をしかめるほど重そうだった。カバンの持ち手が肩にくいこんで痛そうにみえる。肩まで伸びた髪の毛は、軽くパーマをかけてふわふわしていた。眼鏡越しに俺の顔を不思議そうにみている。
「茨城のてぇ?」
彼女はそう言った。
確かに、今「しっぱねる。」って言ってたのに……
「すみません。突然。あの…茨城の人かと思ってしまって…。」
慌てて謝った。
「ああ。茨城の人って意味か…。」
小さくつぶやく。それから、
「あなたは茨城から来たの?」
と質問を受けた。
この人、背が小さいな。頭のてっぺんしか見えない。
「はい。そうです。突然すみませんでした。」
勘違いかと頭を下げて歩き出そうとすると、
「私の母が、茨城の人なの。」
「え?」
俺の足は止まった。
彼女は続ける。
「母がいつも雨の日とか、水たまりとかを歩いていて、ふくらはぎに水が跳ねると“しっぱねちゃった”っていうものだから、ずっとそう言ってきたの。『こういう時は“しっぱねた”っていうのよ』って母が何度も教えてくれるものだからそうなんだと思ってた。でも、学校でも職場でも笑われたり、『東京生まれの奴がわざと方言を使って馬鹿にしてるのかー!』とか言われて、そんなつもりはないのに、傷つけたり傷ついたりしちゃって。でも、もう小さいころからずっと、いまだに母は茨城弁を話すから、私もどうしても話してしまうし、家で当たり前に話してきたから、よもやどれが茨城弁なのかすらも自分では分からなくて困っているのよ。」
一気にしゃっべて息が切れたらしく、一呼吸置いた。
「だから、誤解しないでね。とっさに出た言葉だし、この状況を“しっぱねる”以外で表現することができないの。マネてどうこうとかではなくて、東京生まれだけど、茨城育ちの母に育てられているだけなの。だから、気を悪くしないで欲しいの。これは、私の生き方というか、育ちがそうさせるというか・・・」
なんだ、この人。
ぷっ、くくくっ。
やばい、なんか笑いが止まらない。
「え?なんで笑ってるの?私、何かおかしなこと言ったかな?」
おろおろする彼女を見て、ますますおかしくて、腹を抱えて笑ってしまった。
期待を胸に、地元を旅立って以来、こんなに笑ったことは始めてだ。
「やだ、もう!笑いすぎです!私は真剣なんですよ!」
そのうち、なかなか笑いやまない俺に腹がたったのか、怒りだした彼女がますます可笑しくて、涙が出てきた。
どうしよう。楽しくて苦しい。
見ず知らずの男が突然声を掛けて困らせているのに、彼女はその場に、一緒にいてくれるているのだ。
「すみません。真剣だからこそ可笑しくて。」
やっと笑いがおさまってきて、途切れ途切れでも言葉を紡ぐことができた。
「そうですか。怒るよりは笑っていただけた方が嬉しいですが、大丈夫ですか?笑いすぎでは死なないと思いますが、顔が真っ赤でちょっと心配です。もし、お時間があるなら一緒に絵画教室に行きませんか?というか、これから絵画教室なんですが、もう遅刻なんです。絵に興味はありますか?」
突然の誘いに驚いたけど、俺の口は自然に、
「あっ、あります!習ってみたいと思っていました。」
と言っていたのだ。
反射的に、口が勝手にそう答えていた。
絵なんか小中学校の美術の時間でしか描いたことがないくせに。
美術館?
そんなところ行ったこともない。
でも、このまま家に帰りたくなかった。
心の底から今一人になりたくなかった。
そんな心が彼女に伝わったのだろうか。
そんなことはどうでもいい。
「じゃあ、よかったら見学して行ってください。先生も喜びます。」
俺の目の前に立つ、たった今出会ったばかりの女性は、なんだかホッとしたような、そんな表情を浮かべたような気がした。




