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第2話 白い少女

 道が急にアスファルトになった、と思ったらトンネルが見えて、入口に『平坂トンネル 長さ3113メートル』という表示があった。


 山を3キロメートル以上突き抜く一般道のトンネルは珍しい。出口が見えないトンネルを父が運転する車がひたすら走ってゆき、後続車もなく対向車と全く()れ違わないのが、何処か違う世界に入り込んでしまったようで、稔流(みのる)はもう二度と引き返せないような気がした。


 やっと行く先に光が見えてトンネルを抜けると、民家と田畑がある集落の風景に我に返った。


「ほら稔流(みのる)、着いたぞ」


 ずっと続いてきた道路から(せま)い私道を上がった所に、立派な日本家屋があった。

 父の実家は、村の中では比較的裕福(ゆうふく)らしい。実は村にたくさん居る『宇賀田(うがた)さん』の本家だ、というのは引っ越しが決まってから初めて聞いた。


「父さん、母さん、ただいま」

 父が玄関のチャイムも鳴らさずにガラリと引き戸を開けたので、稔流はぎょっとした。


 ……そうだった。この村は、田舎(いなか)過ぎて(かぎ)をかけて用心する必要もないし、(むし)ろ鍵をかけているとアポ無しでやって来た客が「水臭(みずくさ)い」と気分を悪くするという、何だか怖い価値観なのだ。


 実は、アポ無しでも玄関から入るのはまだ礼儀(れいぎ)正しい方で、勝手に居間のサッシを開けて入って来るのが当たり前だ。


 二階の部屋を自室に(もら)えないだろうか……と稔流(みのる)は思った。

 流石(さすが)に二階の窓からは入って来ない。と思いたい。


「あらあら、お帰りなさい。真苗(まなえ)ちゃんも稔流(みのる)ちゃんもよく来たねえ」


 暖簾(のれん)をくぐって奥から出て来た祖母は、本当に嬉しそうだった。

 そして、気付いた。

 父は当然のように「ただいま」と言い、祖母は「お帰りなさい」と言うのだと。


 ――――稔流が、ただいまと言って帰ったマンションには、もう帰れないのに。


 母と稔流は「よく来たねえ」という《外》の者なのだ。

 ただし、母の祖父はこの村の出身なので身内感があり、娘に近い感覚で「真苗ちゃん」なのだろう。


「お邪魔します……」


 何だか、他人行儀な挨拶あいさつになってしまった。

 でも、5年の空白の間に、稔流はもう祖母に飛び付いて甘える年齢ではなくなっていて、どう()()えばいいのかわからなかった。


「上がって休みなさいな。お父さーん!(ゆたか)たちが帰って来ましたよ!」


 この『お父さん』というのは、稔流の父・宇賀田豊の父で、稔流の祖父にあたる。

 どうして、年寄りは自分の配偶者のことをお父さんとかお母さんとか呼ぶのだろうか?謎だ。


「お母さん」

 稔流は靴を()いたまま、リュックだけ玄関に置いて言った。


「俺、外にいてもいい?」

「……どうして?」


 いつもは明るい母の表情が、(かす)かに強張(こわば)った。

 母こそ、一体何が気に()かるのだろうかと、稔流は怪訝(けげん)に思った。


「座りっぱなしで(つか)れたから、庭と畑を散歩してくる。あと、ひいおばあちゃんって、まだ古い家にいるの?」

「どうかしら?前もご飯の時はこっちだったと思うんだけど」

「行ってみる」


 夏の日差しが強くて、キャップを(かぶ)ってくるんだったと思ったけれども、あの家に、大人達だけが笑い合う場所に、戻りたくなかった。


 散歩なんて口実で、稔流には違和感しかない場所から、ただ遠ざかりたかった。


 立派な母屋(おもや)の裏には、もう農業の一線を退(しりぞ)いたけれども、まだまだ元 気だという曾祖母(そうそぼ)が手がけている家庭菜園がある。

 面積としては、畑と言った方がしっくり広さだ。


 その曾祖母は、30年ほど前に現在の家を建てたのに、それまでの母屋(おもや)だった古民家(こみんか)に残った。


(ねえ、どうしてひとりでふるいいえにいるの?)

(落ち着くからね。それに……)


 曾祖母が、(なつ)かしそうに(かべ)を見上げていたことを思い出した。


 (かざ)られていたのは、経年劣化(けいねんれっか)でくすんだ色の写真で、紋付袴(もんつきはかま)の花婿と白無垢(しろむく)の花嫁の写真だった。曾祖父母の若き日の晴れ姿だ。


 大正時代に建てられたという古民家は、柱は(すす)けて黒光りしており、家の中は昼でも薄暗かった。

 何だかお化け屋敷みたいだと稔流は少し怖かったけれども、曾祖母にとってその古い家は大切な思い出そのものだったのかもしれない。


 畑に曾祖母の姿が見当たらないので、稔流はそのお化け屋敷みたいな古い家に行ってみようと思った。


(ばあちゃんはね、ひとりじゃないんだよ)

(ほかにだれかいるの?)

(いるよ)


 井戸で冷やしたスイカを切り分けて皿に()せると、曾祖母は家族の分とは別に広縁(ひろえん)に置いたのだった。


(時々、食べに来よる)

(いっしょにすんでるひと?)

(そうだよ)

(だれ?)


 伝統的な古民家は、夏の昼間は(ひさし)(さえぎ)られて室内に直射日光は入らない。障子(しょうじ)を開け放ってセミの声を聞きながら、少しひんやりする(たたみ)の上に座ってスイカを食べたものだった。


 そう言えば、幼い頃の自分も、玄関ではなく()(えん)で靴を脱いで出入りしていたなあと思い出した。

 その方が気軽であったのだし、現在でも他人がリビングに上がり込んでくるのはその延長線上(えんちょうせんじょう)の習慣なのかもしれない、と気付いた。


 (もっと)も、稔流の場合は古い家の玄関から入った土間に、魔除(まよ)けに般若面(はんにゃめん)(かざ)ってあるのがとても怖くて、避けていたという理由が大きかったのだが。


「……驚いた。まだ私が見えるのか?」


 小鳥のような、鈴を振るような声がそう言った。

 さっきまで誰もいなかったはずの濡れ縁に、小さな女の子がちょこんと座っていた。


 5、6歳だろうか?とても綺麗(きれい)な子だ。

 (そで)(すそ)椿(つばき)(がら)がある白地の着物を来て、紅い帯を蝶々(ちょうちょう)に結んでいる。


 肩にかかる長さで切り(そろ)えられた髪は真っ白で、赤い椿の花が雪の中に咲くように飾られていた。


 幻想的な姿をしているのに、真っ直ぐに稔流を見つめる黒い瞳が、これは確かに現実なのだと、稔流と少女をこの世界に(つな)ぎ止める。


()()()()()()()()()()()()()()()……5年ぶりか?数え十二……ああ、今時の数え方なら(とお)か。ずいぶん大きくなったな。前は私より小さかったというのに」

「…………」


 言葉も出ずに立ち尽くす稔流を見上げて、少女はじーっと稔流の瞳を見つめた。その仕種はあどけないのに、黒い瞳は夜空のように美しく、そのまま吸い込まれてしまうような気がした。


「ふうん……?見えてはいるけれども、私のことは忘れているか」

「…………」

「そんな顔をするな。人間は、成長して大人に近付けば、私の姿が見えなくなる。私はそれでも良い」


 それでも良い、と少女は言ったのに、その微笑が少し寂しげに見えたから、胸の奥がチクリと痛かった。


 そして、どうやら稔流を子供扱いしている様子の少女は、稔流の半分ほどの年頃に見えるのに、口調も言葉も大人びているのが不思議だ。

 不思議なのに、不自然ではないのが、やはり不思議で――――


 稔流が返答に困っていると、少女はくすりと笑って、白い髪がさらりと揺れた。

 老いた者のそれとは違う、深く降り積もった雪のような、淡い光を(まと)うような、影になると青みを帯びて透き通るような、美しい白。


「前に、会ったことがあるの……?」

「気にするな。今のお前が思い出せなくても、あの時のお前が(うそ)()いた(わけ)ではないことくらい、私は知っているし信じているから。……それで十分だよ」


(お前は、嘘を吐いてはいない――――)


 稔流は、立ち尽くした。その言葉には聞き覚えがある。

 真っ白な髪も、出会った瞬間は、初めて見たとても綺麗なものだと思ったのに。


 ――――きっと、初めてじゃ、ないんだ。


(ゆきの、いとみたい)


 稔流の脳裏(のうり)に、あどけない声が遠く響いた。

 自分の声だ。稔流の唇は、無意識にひとつの名を(つむ)いでいた。


「さくら……?」


 髪に赤い椿の花を飾っているのに、椿という名は嫌いだと言ったから。

 真っ白な髪は、夜の闇の中でも雪のようにきらきら淡い光を揺らすのに、雪も冬もあまり好きじゃないと言ったから。


 だから、稔流は彼女に春の花の名前を付けたのだ。


 さくら、と呼ばれた少女は、意外そうにつぶらな黒い目を見開いたが、ふわりと柔らかな蕾がほころぶように、綺麗に笑った。


「そうだよ。稔流」

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