第9話 月影高等学院の裏課程
午前零時の一分前、帝都月影高等学院は息を止めた。
それまで教室には混乱があった。
倒れた椅子。床に散らばったプリント。御門サエの指示。生徒たちの足音。リツの制止の声。泣き出したミオ。床から剥がれたミオの影。そして、ルナの足元から立ち上がりかけていた、自分ではない少女の形をした影。
だが、そのすべてが、ある瞬間に薄くなった。
音が遠ざかったのではない。
世界の方が、音を置き去りにして切り替わった。
教室の時計が、午前零時を示す。
秒針が頂点で止まった。
カチリ、という小さな音がした。
それは時計の音ではなかった。
鍵が開く音だった。
校舎全体が、深い場所で施錠を解かれる音。
蛍光灯が一斉に消える。
窓の外にあったはずの夜の中庭も、向かいの校舎の灯りも、カミハラ区の街明かりも消えた。硝子の向こうに映っているのは、外の景色ではない。ただ、黒い面だった。黒い紙を窓の向こうに貼ったように、光も距離も奥行きも失われている。
床が軋んだ。
机の脚が、少しだけ影に沈む。
黒板の表面を、白い文字列が走った。
深夜課程、出席確認を開始します。
それは校内放送の声ではなかった。
黒板そのものが書いたような、乾いた文字だった。
ルナは動けなかった。
目の前の教室は、さっきまでの夜間部の教室ではない。
壁の色も、机の配置も、黒板も、教師用の机も同じはずなのに、すべてが少しずつ違っていた。机の木目は黒く滲み、椅子の脚は影の中へ沈み、掲示板の紙は白紙になっている。夜間部の掲示物――住居支援、義体メンテナンス、身元相談、機械人形同伴申請――それらの文字が消え、代わりに別の文字が浮かび上がっていた。
影識別番号。
代用人格適性。
義体転写率。
記録核保存状態。
所有者不明個体。
本名消去処理。
出席区分、本人不在。
出席区分、影のみ。
教室の席には、生徒たちが座っているように見えた。
いや、座っていない。
そこにあるのは、人間の形をした影だった。
ある席には、黒い人影だけが座っている。顔はない。制服の輪郭だけがある。別の席には、義体の腕だけが机に置かれ、まるで授業を受けるように指先を動かしていた。後ろの席には、ひび割れた記録核が一つ、教科書の上に載っている。窓際には、機械人形の頭部外装だけが置かれ、青紫の人工眼が瞬きもせず黒板を見ていた。
生徒ではない。
部品だ。
影だ。
記録だ。
それなのに、教室はそれらを“出席者”として扱っている。
ルナの足元で、自分ではない少女の影が揺れていた。
ミオの影は完全に立ち上がっている。
ミオ本人は床に座り込み、両手で口元を押さえて泣いていた。リツはルナとミオの間に立とうとしている。だが、床に走る黒い線が彼の足を何度も止めていた。
「何だよ、これ……」
リツの声がかすれた。
「深夜課程」
ルナは小さく言った。
自分で言ったのに、その言葉がひどく冷たく感じた。
「これが……」
リツは教室を見回した。
「これが、学校かよ」
答えたのは、教壇に立つ男だった。
「学校ですよ」
夜羽先生がいた。
いつからいたのか、誰にもわからない。
黒板の前、教卓の横。夜間部で見せていた柔らかな笑顔を浮かべ、片手には出席簿を持っている。白いチョークではなく、黒い万年筆を持っていた。紙に文字を書くたび、黒板に白い文字が浮かぶ。
「ただし、昼の学院でも、夜間部でもありません。帝都月影高等学院・深夜課程。正式には存在しない教室です」
リツが夜羽を睨んだ。
「夜羽先生……あんた、本当に」
「先生ですよ、月城くん」
夜羽は穏やかに笑った。
「今夜も授業を始めましょう」
「ふざけんな」
「ふざけてはいません。深夜課程の授業は、昼や夜よりも実用的です。社会適応などという柔らかな言葉ではなく、帝都で本当に必要になる技術を教えます」
夜羽は黒板に文字を書いた。
第一講義、身代わり実践論。
文字が浮かぶ。
続けて、第二講義。
本名秘匿と記録上の生存。
第三講義。
影を本体の代わりに動かす方法。
第四講義。
記録だけで人間を作る方法。
ルナの指先が冷たくなった。
機械人形なのに。
温度制御は正常なはずなのに。
自分の内部のどこかが、凍るように冷えていく。
「昼の学院は、帝都の未来を育てる場所です」
夜羽は、いつもの授業のように話し始めた。
「夜間部は、行き場のない若者を受け入れる場所です。では、深夜課程は何か」
彼は教室を見渡した。
「行き場のない影に、使い道を与える場所です」
ミオが震えた。
「やめて……」
「影山ミオさん。あなたは、この授業の中心にいるべき生徒です」
「やめて!」
「聞かなければ、あなたは自分の影に名前を奪われるだけです」
夜羽の声は優しかった。
優しいからこそ、残酷だった。
彼はリツへ視線を移す。
「月城リツくん。あなたもです」
「俺?」
「ええ。あなたは影山奨学生として、複数回の適性検査を受けていますね」
「健康診断だって聞いてた」
「健康も重要です。身代わりは、健康でなければ長持ちしません」
リツの顔から血の気が引いた。
「何だよ、それ」
夜羽は出席簿を開いた。
黒板にリツの名前が浮かび上がる。
月城リツ。
旧支援登録名、影山リツ。
出身、〈ホーム〉周辺保護区。
家族関係、希薄。
保証人、不安定。
義体適性、中。
魔導適性、低。
影干渉適性、高。
身代わり運用適性、当主補助影候補。
リツはそれを見上げた。
自分のことなのに、知らない言葉で書かれた自分。
その異様さに、彼はしばらく声を出せなかった。
「……何だよ、当主補助影候補って」
「影山家には、表へ出る当主の影が必要です。顔を完全に同じにするには時間も費用もかかりますが、影の癖、間合い、恐怖への反応、従順性、逃走傾向は若い頃から測れます。あなたは非常に良い数値を出していました」
「ふざけるな」
「ふざけていません」
「俺は、学費を出してもらってただけだ。夜間部に通って、仕事して、卒業して、それで……」
「卒業後は、影山グループ関連施設へ進路支援の名目で引き取られる予定でした」
リツは一歩下がった。
床の影が、靴底にまとわりつく。
「俺に、何をさせる気だった」
「影山雄蔵系列の補助影。あるいは予備人格の外部行動支援。表に出る個体が不安定になった時、周囲の影として動く役割です」
「人間の仕事じゃねえだろ、それ」
「帝都には、人間でなくてもできる仕事が多い」
夜羽は微笑んだ。
「そして、人間だからこそ都合のよい仕事もある」
リツの手が震えていた。
怒りか。
恐怖か。
その両方か。
彼は夜羽へ殴りかかろうとした。
だが床から伸びた黒い線が足首に絡みつき、彼の身体を止めた。リツは膝をつきかけ、歯を食いしばって踏みとどまる。
「リツさん!」
ルナが声を上げる。
「来るな!」
リツは怒鳴った。
ルナは足を止めた。
リツは、初めて見る顔をしていた。
いつもの眠そうな皮肉屋ではない。夜間部の説明役でもない。〈ホーム〉出身の少年が、自分の知らないところで値踏みされ、進路という名の檻に入れられていたと知った顔。
「……俺は、奨学生じゃなかったのかよ」
声は低かった。
「俺は、助けてもらってたんじゃなかったのかよ」
夜羽は静かに答える。
「助けられていましたよ」
「これのどこが」
「学費は出た。食券も出た。住居支援も受けた。夜間部へ通えた。君がここまで生き延びるために、影山基金の金は確かに役立った」
「その代わりに、俺の影を測ってた」
「救済と選別は、同じ場所に置けるのです」
リツは夜羽を睨んだ。
「最低だな」
「最低でも、機能します」
その言葉に、ルナの胸が痛んだ。
機能する。
役に立つ。
使える。
価値がある。
その言葉たちは、いつも人の形を削っていく。
夜羽はミオへ視線を戻した。
「次は、影山ミオさん」
「いや……」
ミオは首を振った。
「わたしは聞きたくない」
「聞かなければ、影が代わりに答えます」
夜羽が黒板に万年筆を向ける。
ミオの記録が浮かぶ。
影山ミオ。
旧名、複数。
血縁照合、影山雄蔵系列適合。
親権記録、封鎖。
本人出席、夜間部。
影出席、深夜課程。
器適性、最上位。
用途、影継承器。
ミオは両耳を塞いだ。
「違う……」
夜羽の声は、淡々としていた。
「あなたは影山雄蔵の血縁者です。ただし、娘として守られたわけではありません。影山家に必要だったのは、血ではなく、影を受け入れる器でした」
「違う!」
「あなたの影が勝手に歩くのは、影山家の本体が、あなたの影を通じて外へ出ようとしているからです」
教室の影が揺れた。
ミオの足元に立つ影が、背筋を伸ばす。
顔のない黒い輪郭。
それなのに、笑っているように見えた。
「お父様が呼んでいる」
影が言った。
ミオは泣きながら叫ぶ。
「わたしは、お父様の影じゃない!」
その瞬間、ミオの影が完全に分離した。
床から剥がれ、ミオの身体から離れる。
形はミオそのものだった。
だが、立ち方が違う。
ミオ本人は震え、涙を流し、椅子にしがみついている。影のミオは、背筋を伸ばし、顎を上げ、冷たい威厳をまとっていた。
影が口を開く。
「おまえは器だ」
声はミオのものではない。
古い男の声。
あるいは、何人もの影山雄蔵の声が重なった声。
「影山の名を継ぐための、薄い皮だ」
ミオは息を呑んだ。
影は続ける。
「泣くな。器が水をこぼすな。名を受け入れろ。影山を受け入れろ。おまえの顔も、声も、血も、影も、そのために残された」
「嫌……」
「嫌ではない。選択権はない」
「嫌!」
ミオの叫びで、教室の窓が震えた。
黒い窓の向こうに、何かが映る。
庭ではない。
街でもない。
大量の顔が映っていた。
影山雄蔵の顔。
一つ、二つ、三つ。
年齢の違う顔。眠っている顔。笑っている顔。泣いている顔。記者会見で話す顔。病院のベッドで横たわる顔。培養槽の中で目を閉じる顔。
そのすべてが、窓の黒に浮かび、教室の中を見ていた。
リツが呟く。
「気持ち悪……」
ルナは、自分の影を見た。
自分ではない少女の影。
まだ足元から完全には離れていないが、いつでも立ち上がれるように揺れている。
夜羽がルナへ向いた。
「そして、ルナ」
彼は少しだけ笑った。
「君は、自分の記録を見たいでしょう」
「……見たくありません」
「見ない方がよい記録ほど、人は見てしまうものです」
「わたくしは」
「怖いのですか」
ルナは答えられなかった。
怖い。
とても怖い。
記録を見れば、自分が何のために作られたのか、また突きつけられる。月影試作零号。失敗作。誰かの影を入れるための器。登録名ではない名前。
それでも、見なければ、この恐怖はずっと足元に残る。
知らないまま、自分の影を怖がり続ける。
夜羽が黒板に万年筆を向けた。
ルナの名前が浮かんだ。
ルナ。
現行呼称。
その下に、別の文字が浮かぶ。
月影試作零号――不一致。
ルナは目を見開いた。
不一致。
月影試作零号ではない。
では、自分は何なのか。
黒板の文字が書き換わる。
LUNA-00 影代用人格実験機。
登録区分、月影試作系列派生個体。
用途、影代用人格受容。
所有者、未登録。
保護責任者、未設定。
記録核、空白領域あり。
感情反応、過剰。
自己名乗り反応、異常増幅。
運用評価、保留。
処遇、回収対象。
ルナは文字を見つめた。
LUNA-00。
アルファベットと数字。
登録名。
実験機。
誰かの影を入れるための器。
誰かの代わりになるための人形。
自分の名前が、そこにはなかった。
いや、ルナという響きはある。
だがそれは、ルナではなく、LUNA-00。
型番だった。
記録名だった。
製造時に貼られたラベルだった。
「違います……」
ルナの声は、小さかった。
夜羽は優しく言う。
「何が違うのです」
「わたくしは」
言いかけて、詰まる。
わたくしは、ルナです。
それは何度も言ってきた。
でも今、黒板の文字がその言葉を押し潰してくる。
自分の感情は本物なのか。
ルルトの役に立ちたいと思ったことは、本当に自分のものなのか。
彼の部屋へ帰りたいと思ったことは、帰巣機能なのか。
バッテリーをもらって嬉しかったことは、所有者への依存反応なのか。
リツに名前を聞かれて嬉しかったことは、自己名乗り反応の異常増幅なのか。
ミオを助けたいと思ったことは、影を持つ器同士の共鳴なのか。
全部、設計された反応なのか。
全部、誰かが作った影なのか。
ルナの足元で、別の少女の影が立ち上がった。
完全に。
その影は、ルナより少し幼く見えた。
顔はない。
だが、泣いているように見える。
そして、ルナを見ていた。
ルナは後ずさった。
「来ないで……」
自分の影に向かって、そう言った。
言った瞬間、胸が痛んだ。
この影は、怖い。
けれど、拒むことがひどく残酷な気もした。
影は何も言わない。
ただ、手を伸ばす。
何かを返してほしいように。
何かを思い出してほしいように。
リツが床の拘束を振り切ろうとする。
「ルナ!」
ルナは彼の声を聞いた。
リツ。
彼は、自分を「ルナ」と呼んだ。
影山の名簿でも、回収部隊の端末でも、研究員の記録でもなく。
ルナ。
呼ばれているだけではない。
名乗ればいい。
そう言ってくれた人。
その声で、ルナは少しだけ息を吸った。
必要のない呼吸。
でも、今は必要だった。
「わたくしの感情が」
ルナはゆっくりと言った。
「作られたものかどうか、わたくしにはわかりません」
夜羽は黙って聞いている。
ミオの影も、少女の影も、動きを止めていた。
「ルルト様の役に立ちたいと思う気持ちが、設計されたものかもしれません。ミオさんを助けたいと思う気持ちも、リツさんに名前を呼ばれて嬉しかったことも、全部、何かの反応なのかもしれません」
ルナの声は震えていた。
それでも、続けた。
「ですが、今、怖いのはわたくしです」
少女の影が、揺れる。
「今、嫌だと思っているのは、わたくしです」
ミオが顔を上げる。
「今、ここから出たいと思っているのも、わたくしです」
夜羽の表情が、ほんの少し変わった。
彼は興味深そうに目を細める。
「自己名乗り反応の強化。実に興味深い」
「記録しないでください」
「記録は残ります」
「なら、残してください」
ルナは黒板を見た。
「わたくしが嫌だと言ったことを、残してください」
教室が、微かに震えた。
黒板の文字が乱れる。
LUNA-00の記録の下に、新しい行が浮かんだ。
本人拒否申告、継続中。
夜羽が笑った。
「厄介ですね、君は」
「よく言われます」
その言い方は、少しだけルルトに似ていた。
リツが小さく笑いかけ、すぐに苦痛で顔を歪める。
ミオは涙を拭わず、自分の影を睨んだ。
「わたしも……嫌」
影のミオが振り返る。
「器に拒否権はない」
「ある」
ミオは立ち上がった。
足は震えている。
声も震えている。
けれど、立った。
「わたしは、お父様の影じゃない。影山の器でもない。薄い皮でもない」
「ならば何だ」
影が問う。
ミオは息を吸った。
「わたしは、ミオ」
たったそれだけ。
名字もない。
家系もない。
正規の記録もない。
けれど、それが彼女の名乗れる名前だった。
影が、初めて黙った。
夜羽が手を叩いた。
一度。
二度。
三度。
「素晴らしい。やはり、夜間部は優秀な素材を集めている」
「素材じゃない!」
リツが叫んだ。
「おまえ、まだそんな言い方すんのかよ!」
「教師は、生徒の可能性を評価するものです」
「可能性じゃねえ。値札つけてるだけだろ!」
夜羽は微笑む。
「値札がつくということは、価値があるということです」
「最低だな」
「最低でも、機能します」
「その言い方、二度目だぞ」
「重要なことは反復します。授業ですから」
その時、教室の後ろの扉が開いた。
開いたというより、影を縫われた。
黒い針が扉の影へ突き刺さり、内側から外側へ縫い目を作る。黒い糸が引かれ、扉の輪郭が裂けた。ダーククロウで切り裂く荒々しさとは違う。もっと精密で、もっと不気味な開き方だった。
裂け目の向こうから、ルルトが入ってきた。
黒いコート。
白銀の髪。
胸元には包帯。その下で、十字刻印がまだ痛々しく歪んでいる。顔色は悪い。唇も、いつもの紅ではない。だが、彼は立っていた。
右手に持っているのは、黒い爪ではない。
細い針だった。
影縫いの針。
影山家から持ち出した古い手術道具。
その針の先には黒い糸が通っている。
夜羽が笑った。
「殺し屋が学校に来るとは」
ルルトは教室を見渡した。
影だけの生徒。
義体の部品。
記録核。
黒板の名簿。
ミオから分離した影。
ルナの足元に立つ少女の影。
床に拘束されたリツ。
そして教壇の夜羽。
彼は少しだけ肩をすくめた。
「ここが学校なら、出席簿を見に来ただけだよ」
夜羽は目を細める。
「深夜課程は部外者立入禁止です」
「生徒を勝手に出席させる学校に、部外者という概念があるのかな」
「あなたは負傷している。影縫いの針を持っていても、ここでは長く持ちませんよ」
「長居する気はない」
ルルトは黒板へ歩いた。
床の影が彼の足首へ絡みつこうとする。
彼は針を軽く落とした。
黒い糸が床の影を縫い止める。
絡みつこうとした影が、逆にその場で固定された。
リツが目を見開く。
「何だ、それ……」
「影の手術道具だよ」
ルルトは淡々と言った。
「本来は、人に使うものじゃない」
「じゃあ何に使うんだよ」
「人を人でなくすため、かな」
教室の空気が重くなる。
ルルトは黒板の出席簿を見た。
そこには、深夜課程の名簿がずらりと並んでいる。
影識別番号。
影山雄蔵系列。
影山リツ。
影山ミオ。
LUNA-00。
月影試作零号。
記録核保存個体。
本人不在。
影のみ。
そして、最後の行。
その名を見て、ルルトの目が止まった。
影山源三郎。
出席状態――影のみ。
教室の中が、さらに静かになった。
リツが呟く。
「源三郎……?」
ミオが震える。
夜羽の笑みが深くなる。
ルナは黒板の文字を見た。
影山源三郎。
出席状態、影のみ。
それはつまり、何を意味するのか。
源三郎本人はどこにいるのか。
ルルトが会った老人は、本当に本体だったのか。
影山家に本体は残っているのか。
ルルトは、黒板の文字を見つめたまま、静かに笑った。
「なるほど」
その声は、ぞっとするほど冷えていた。
「事件は複雑じゃない。複雑に見えるよう、犯人が努力しただけだ」
夜羽が言った。
「では、答えは見えましたか」
「まだ半分だね」
ルルトは影縫いの針を指先で回した。
「だが、少なくとも一つわかった」
「何でしょう」
「この学校の出席簿は、死人より嘘つきだ」
黒板の文字が、ざわりと揺れた。
まるで、出席簿そのものが傷ついたように。
深夜課程の教室で、影だけの生徒たちが一斉にルルトの方を向いた。
授業は、まだ終わらない。




