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影踏み(3)「誘拐」

「ただいま」

 その言葉を言うようになったのはアリスが来てからだ。

「お帰り瑠流斗様!」

 笑顔のアリスが当然のように出迎えた。

 昼食には少し早い時間に瑠流斗は帰って来た。

 すぐに昼食の準備をはじめる瑠流斗。やはりアリスはなにも手伝わない。

 できあがったパスタをテーブルに置き、黙々と食べはじめる瑠流斗。それをアリスがじっと見ている。

「美味しいですか?」

「美味しいよ」

 これで会話が止まってしまった。

 アリスは少し顔を膨らませて瑠流斗を見ている。そんなことも気にせず瑠流斗はパスタを食べ終え、すぐに皿洗いをはじめた。

 いつもこの調子だった。

 機械人形のアリスは歯痒さを感じていた。

「わたくしのこと無視してませんか?」

「なにがだい?」

「もっと話に乗ってきてもいいと思うんですけど……」

「話をしたいなら、君が一方的に話せばいい。興味のある話題なら耳を傾け、相槌も打つよ」

 なにか瑠流斗の興味を惹こうとアリスはしゃべろうとするが、なにひとつ話題が浮かばなかった。それもそのはず、アリスは瑠流斗に拾われる前の記憶が全く無く、ここに来てからも部屋を一歩も外に出たことがないのだ。

 アリスは外に出るのが怖かった。

 自分がここに来てから、瑠流斗は寝室を自分に明け渡してソファーで寝ている。昨日は大金を払わねば買えない機械人形用のバッテリーを買って来てくれた。そして、なにより自分を拾ってくれた。瑠流斗にはよくしてもらっている。けれど、アリスは外に出るのが怖い。

 一度、この部屋を出て行ってしまったら、赤の他人として扱われそうな気がしたのだ。

「わたくし瑠流斗様のためになにかしたいんです」

「君はなにもしなくてもいいよ。なにもできないのだから」

 機械人形とはいえ、高度な知性を持つ以上、傷つくこともある。アリスの胸に瑠流斗の言葉はいつも突き刺さる。この人形娘は他の機械人形よりも、感情が豊かにプログラムされているようだった。

「わたくしなにかしたいんです。でないとここに存在している理由がなくなっちゃいます」

「人形なのに、己の存在理由を問うのかい。おもしろいことを考えるね」

 淡々としゃべり、淡々と皿洗いを終えた。

「己の存在理由が欲しいなら、ここを出て外の世界で探せばいい」

「イヤです、絶対にイヤです。瑠流斗様の傍にいたいんです」

「それは拾い主のボクへの忠義かい?」

「わかりません」

「ふむ、機械人形の君はある意味人間よりも高度な知性体と言える。だから大抵の機械人形はワザといろいろな感情を欠如させられているんだ。人間とまったく同じ感情を抱けば、人間のように自らの意思で犯罪を犯す機械人形も出てくるだろう。いや、過去の例をあげれば機械人形が人間に対して反逆した例はいくらでもあるよ」

 皿洗いは終わったというのに、瑠流斗はまだ入念に手を洗い流していた。

「自分の存在理由を問う君は変わっているよ。君を作った人はなにを考えて、君という存在を作ったのだろうね」

「機械人形がこんな感情を抱いちゃいけないの?」

「さあ、ボクには関係ないことさ。君の勝手だ」

「瑠流斗様は自分の存在理由を考えたことはないんですか?」

 答えまで少し間があった。

「――あるよ、いつも考えている。君は誰かに生かされてると考えたことはあるかい?」

「今わたくしは瑠流斗様に拾われて面倒を看てもらってます。瑠流斗様に捨てられたら、どうしていいかわかりません」

「ボクはね、人をこの手で殺し、人の命がこの世から消える瞬間、もっとも自分の存在理由を感じるんだ」

「よくわかりません」

「わからなくていいさ」

 洗い終わった食器を拭いて戸棚にしまった瑠流斗は、静かにこの場から歩き去ろうとした。

「――あの、瑠流斗様」

「出かけてくる。またいつ戻るかはわからない」

 身支度を済ませ玄関に立った瑠流斗は、背後にいるアリスに声をかけた。

「昨日取り替えた君のバッテリー。ボクが帰るまでに〈ホーム〉の廃棄処分場に捨ててきてくれるかい?」

「わかりました!」

 アリスは声を弾ませて答えた。しかし、その声を出す前に瑠流斗の姿は消えていた。


 まるでそれは、はじめてのお遣いを頼まれたときの心境。

 嬉しさの反面で、アリスは戸惑いと不安も覚えていた。

 ――外の世界。

 この部屋の外にはどんな世界が広がっているのだろう?

 大よその検討は付く。まるで見たことのない風景というわけでもない。

 インプットされた景色、テレビを通して見る景色、窓の外に見える景色。

 この部屋を出て、果たして戻って来られるだろうか?

 ドアの前に辿り尽きたとき、そのドアは再び開かれるのだろう?

 しかし、アリスは瑠流斗の期待に応えたかった。

 バッテリーを脇に抱え、アリスはついに外の世界への一歩を踏み出した。

 部屋のカギを閉め、振り返って廊下を見る。とても廊下が長く感じた。

 立ち入り禁止のテープが張られた部屋の横を通り、アリスは階段で下りた。

 アパートのビルを出ると、少し風が強いように感じた。

 廃棄処分場の場所はどこだろう?

 アリスは瑠流斗にある隠し事をしていた。不良箇所があるのだ。

 帝都のマップ機能とGPS機能が働いていない。

 ここが〈ホーム〉であることは、瑠流斗の話で聞いていたが、それ以上のことはなにもわからなかった。

 アリスは路地でボール遊びをする子供たちに尋ねることにした。

「遊んでいるところ悪いんだけど、廃棄処分場の場所を教えていただけませんか?」

 鋭い眼つきの少年はアリスの顔を見て、すぐに遊びに戻ってしまった。

 メイド服を着たアリスと、粗末な服を着ている〈ホーム〉の子供たち。貧富の差は明らかだった。

 アリスは尋ねることを諦めて歩き出した。

 すれ違う男が嫌らしい眼つきでアリスを見ている。なるべくアリスは顔を合わせないように歩いた。

 後ろから誰かがつけてくる気配がした。

 怖くてアリスは振り向けなかった。

 歩く早さを上げたが、追跡してくる足音も早くなった。

 何度も何度の角を曲がり、ついにアリスはアパートの前まで戻ってしまった。

 まだアリスの脇には空のバッテリーがある。

 しかし、これがアリスの限界だった。

 バッテリーを捨てることもできず、アリスはアパートの中に逃げ込んだ。

 わき目も振らずアリスは瑠流斗の部屋に戻った。

 カギを開けようとドアノブに手を掛けると、なぜかドアが開いた。

 不思議さよりも恐怖感がアリスを襲う。

 しかし、中を確かめないわけにはいかなかった。

 これでも主人の留守を任された身である。アリスは部屋の中に踏み込んだ。

 部屋の奥で物音がした。けれど、アリスがドアを開けた瞬間、静かに静まり返ってしまった。

 何者かが部屋の中にいることは明らかだ。

 奥の部屋に行くと、下手な泥棒が入ったように物が散乱していた。確実に誰かが荒らした痕跡がある。

 閉めてあったハズの窓が開いている。

 アリスが窓の外に顔を出した瞬間、何者かの殺気が部屋に満ちた。

 瞬時にアリスは飛び掛ってくるスーツの男を避けた。

 そして、自分でも意識しないうちに男に華麗な蹴りを喰らわせていた。まるで格闘技でも習っているような蹴りだ。

 蹴られた男は壁にぶつかりぐったりと倒れ、アリスがその男に静かに近づこうとした瞬間、火花の散るような音が聴こえた。

 アリスの頭に殴られた衝撃と、電気的な衝撃が躰を駆け巡った。

 そのままアリスの電脳は停止して床に倒れた。

 その傍らに立っている男の手には、電磁ロッドが持たれていた。男は二人組みだったのだ。

 しかし、なぜ男たちが瑠流斗の部屋に?


 夕方になりアパートに帰ってきた瑠流斗は、その光景を目の当たりにした。

 荒らされた部屋と、消えたアリス。

 無表情のまま淡々と部屋を見渡し、アリス以外になにかなくなった物はないかと、簡単な片づけをしながら歩いた。

「これだけだな」

 アリス以外になくなっていた物は、パソコンのハードディスクだった。

 ハードディスクと言えば情報の宝庫である。個人情報から、仕事に関する情報、ありとあらゆる情報が入っていたに違いない。

 しかし、瑠流斗は平然としていた。

 デスクの脇にある本棚から分厚い百科事典を取り出し、瑠流斗はその表紙を開けた。すると、中にはなんと外付けのハードディスクが入っていた。盗まれた物はダミーだったのだ。あちらには基本的なシステムしか入っていない。

 部屋の現状を見終わった瑠流斗は、何事もなかったようにコーヒーを淹れはじめた。しかも、豆からだ。

 出来上がったコーヒーの香を確かめ、瑠流斗は静かなひと時を味わった。

 アリスが攫われ、部屋が荒らされたというのに、焦るような気配はまったくない。異常なまでに落ち着き払っている。

 部屋はとても静かだった。

 明るく元気なアリスもいない。

 隣人の男も死んだ。

 瑠流斗は目を閉じて思考を巡らす。

 部屋を荒し、アリスを攫ったのは何者か?

 これが1番の問いだろう。

 瑠流斗が狙われる理由は山のようにあり、狙う者の数も知れない。選択肢と可能性はいくらでもあった。

 現在、瑠流斗が抱えている依頼は一つだけである。

 影山雄蔵の殺害。

 推測だけではなにも解決しない。

 次のアクションが起こることを瑠流斗は待つほかない。

 冬の夜は長い。

 瑠流斗は何もせず、ただじっと椅子に座って目を閉じていた。

 どれくらいの時間が過ぎ去ったのか、電話のベルが鳴った。

 慌てずに瑠流斗は受話器を取った。

「もしもし」

『オートマタを預かっている』

 機械人形、自動人形、魔導人形、呼び名はいくつもある。アリスを攫った奴らからの電話だった。

「取引条件は?」

『今抱えている依頼から手を引け』

「今といわれても、『どの』依頼から手を引けばいいんだい?」

『とにかく全ての事件から手を引け』

 鎌には掛らなかったが、どの道、遂行中の依頼は1つしかない。

「それでオートマタはどこに取りに行けばいい?」

『お前が依頼から手を引いたという証を立てるのが先だ』

「難しい注文をつける……」

 職業柄、契約書などの書類は残さない。契約は口約束だ。

「わかった。今抱えている依頼の契約書を全て持って行こう。それを渡すから、破棄するなり好きにすればいい」

『マドウ区の246号線沿いに改装中の大型スーパーがある。店名は××だ。そこに22時に来い』

「22時とは早めの時間だね。ところでハードディスクも返して――」

 通話が切れる音がした。

「……不躾な人だ」

 瑠流斗の棲んでいるアパートはホウジュ区にある。指定場所のマドウ区はホウジュ区と隣接した都市だ。

 まだ指定の時間まで余裕がある。

 キッチンに立った瑠流斗は包丁を握り夕食の準備をはじめた。

 切った玉ねぎをなべ底で炒める。他に牛肉やジャガイモ、ニンジンなど材料が見受けられる。どうやら今日はカレーらしい。

 カレーを煮込みはじめると、瑠流斗は荒らされた部屋を几帳面なまでに片付けはじめた。

 黙々と片付けられた部屋は前と寸分違わない。まるで時間を巻きも戻ししたような片付けようだ。

 掛け時計は19時を回っていた。

「さて……」

 カレーはまだ煮込んだままだ。

 瑠流斗は鍋に火をかけたまま部屋を出た。

 近くに借りている倉庫からオートバイを出し、瑠流斗はマドウ区に向かって走り出した。

 瑠流斗が跨っているオートバイは魔導式のエンジンを積み、小型軽量ながら800ccの排気量を誇るデュアルパーパスだ。

 デュアルパーパスとは、舗装路おんろーどでも未舗装路おふろーどでも走ることができるオートバイのことである。

 オートバイの紅いフォルムに合わせて、瑠流斗が被っているフルフェイスヘルメットも紅だ。

 躰に受ける風は少し湿気を含んでいた。夜空を見上げると星一つない曇天だった。今にも雨が降って来そうな天気だ。

 指定された場所は車の通りが多い道路だった。国道を曲がってすぐの場所にあり、おそらく深夜帯になっても車のライトが途絶えることはないだろう。

 オートバイを駐車場に停め入り口を探した。ひと目に付かない職員用のドアの鍵が開いていた。

 建物の中に入ると、商品棚も全て撤去されており、壁に貼られた透明のビニールシートやペンキの缶が目に入った。

 道路沿いはガラス張りの壁で、夜明かりが多少は入ってくるが、店の奥となると暗闇に包まれている。

 瑠流斗は構わず暗闇の中を進んだ。

「そこで止まれ!」

 男の声が闇に響いた。

 すぐに、

「瑠流斗様!」

 アリスの声も聴こえた。

 最悪のケースとして人質がいないただの罠、という可能性もあったが、少なくとも人質は確認できた。次は取引をする意思が相手にあるかだ。

 瑠流斗はスーツケースの中から数枚の書類を出した。

「現在、依頼を受けている契約書を全て持ってきたよ。アリス君を返してもらおう。あとハードディスクも」

 ハードディスクは重要ではない。あたかも重要であると思わせているだけだ。

 そして、契約書などはじめから1枚もないので、全てとはゼロ枚である。瑠流斗は適当な書類を印刷して持って来たのだ。

「スーツケースごと書類をこっちに投げろ!」

 要求してきた男に瑠流斗は平然と答える。

「無理だね。暗闇でなにも見えない。どこに投げていいかわからないよ」

 瑠流斗の眼前に広がっているのは闇。声はその中からしていた。

「声のする方向に投げろ!」

「ボクは『君たち』を信用していない。先に投げてちゃんとアリス君を返してもらえる保障はない」

 先ほどから会話をしているのは男ひとりである。『君たち』という言葉は、男が所属する組織を指してのことか、それとも……。

「いいから早く投げろ!」

「仕方がない。投げるからちゃんと受け取りたまえ」

 まるでハンマーを投げるように、スーツケースは力いっぱい投げられた。

 豪速で飛んだスーツケースはアリスを捕まえていた男――それも暗視ゴーグルをつけた顔面にヒットした。

 骨が折れる音が響くよりも早く、瑠流斗はアリスに向かって走りながら、もうひとりいた男に向かって呪弾を放っていた。

 暗闇の中に怨霊の声が木霊した。

「グァァァッ!」

 胸から血噴いた男が声にならない叫びを発した。

 瑠流斗はすでにアリスを抱きかかえていた。

「来てくださったんですね♪」

 アリスはドキドキだったが、返ってきた言葉は皮肉たっぷりだった。

「廃棄処分場へのお遣いが、とんだ遠出になったものだね」

「ひっどーい、瑠流斗様なんですかその言い方。わたくしが捕まったのが悪いみたいな言い方」

「そのとおりだよ、君が捕まったことでボクは無駄な労力を使った」

「……もういいです、わたくし独りで帰ります!」

「一人じゃ帰れないくせに」

 瑠流斗の言い方にアリスは居た堪れなかった。

 なにも言えず、哀しい胸を押さえて立ち尽くすことしかできなかった。

 瑠流斗はアリスのことなどほっといて、殺した男たちの物色をはじめていた。

 男たちの身元を辿れるような物はなかった。

 そして、アレもなかった。

「……ハードディスクがない。これじゃあ取引が破綻するのも当たり前だ」

 先に仕掛けたのはスーツケースを投げた瑠流斗だ。

「さあ、帰るよアリス君」

 歩き出す瑠流斗のシャツの背中をアリスは掴んだ。

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