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影踏み(2)「影武者」

 この都市は闇を消し去ろうと、眩いまでの繁栄を極めていた。

 24年前の暑い夏の日、世界は変わった。

 黙示の戦いとも云える謎の〈聖戦〉による崩壊。そして、女帝による新たなる都市の創造。

 誰がこの世界で魔導が繁栄すると想像しただろうか?

 帝都エデンは科学と魔導が混在する街。

 魔導炉は原子力発電を凌駕し、都市のエネルギーを賄う。

 この都市が輝けるのはすべて魔導のおかげだった。

 しかし、どんなに輝こうとも、輝けば輝くほどに、闇はその深さを濃くしていく。

 都市の輝きは及ばぬ地域、それがスラム街である。

 スラム街の一区間は〈ホーム〉と呼ばれ、アンダーグラウンドな世界を築き上げている。

 人々の放つ猥雑な価値観が混沌と渦巻き、武器の密輸が平然と行われ、昼間から売春婦たち闊歩し、スラムの地下では新興宗教が密会し、可笑しな実験が四六時中行われているのだ。

 帝都エデンの繁栄の陰で、スラムの闇は濃さを増す。

 都市の電力パイプからエネルギーを失敬して、夜でもスラムは妖しい輝きを放っている。

 路地に立ち並ぶ仮設テントから微かな光が漏れ、左右に建つビルは廃ビル寸前だ。基本的にビルに住む人々のほうが、ここでは上層階級と言えるだろう。

 買い物帰りの瑠流斗は紙袋を抱えながら、スプレーアートに埋め尽くされたボロアパートに入っていった。

 エレベーターはいつから故障しているのかわからない。瑠流斗はエレベーターを素通りして、ゆっくりと階段を上がった。

 3階のフロアに出て、短い廊下を進む。

 廊下の左右にある玄関のナンバーが増えていく。

 歩き続ける瑠流斗の耳に、ヒステリックな金切り声が届いた。

「殺してやる殺してやる!」

 若い女の声だ。

 次の瞬間、ドアの向こうから銃声が聞こえた。

 あの部屋に住んでいたのは若い男だったと思う。女の出入りが激しく、瑠流斗が覚えている限りで十人以上の女が出入りしていた。

 銃声の聞こえた部屋のドアが開かれ、苦痛に顔をゆがませながら、腹から滴る血を押さえる男が這い出てきた。

「た、助けてくれ」

 涙目を浮かべる男の視線の先に立っていたのは瑠流斗だった。

 しかし、紅い尾を引いて床に這い蹲る男を見る瑠流斗の眼差しは、夏の夜風のように涼しげだった。

「すまないね、ボクの職業は人の命を救うことじゃないんだ」

 それだけを言い残して、瑠流斗は男の倒れるすぐ横で、自分の部屋のドアを開けて入って行った。

 そして、瑠流斗の背後でまた銃声が響き渡った。

 1発、2発、3発……。

 銃声は恨みの数だけ聞こえた。

「おかえりなさい瑠流斗様!」

 部屋に入ったとたん、弾んだ声が響き渡り、小柄な少女が笑顔で瑠流斗を出迎えた。

 少女は質素なドレスの裾を揺らしながら、眉を軽く上げた瑠流斗に飛びついた。

「隣の部屋で銃声が聞こえたけど、なにがあったんでしょうね?」

「男がついに撃たれたよ」

 淡々と語る瑠流斗の顔を透き通った大きな蒼い瞳が覗き込む。

「瑠流斗様は隣人が殺されても動揺ひとつしないんですね」

「このアパートは壁が薄いからね。これで騒音公害がひとつ減ったよ」

「平気な顔をしていつもそんなことを言う。瑠流斗様はいつも仮面を被っているの」

「それに比べて君は表情も感情も豊かだね」

「ありがと瑠流斗様!」

「――機械人形なのにね」

 そう、瑠流斗の目の前にいるのは人間ではなく、機械人形だったのだ。

「瑠流斗様、あれちゃんと買って来てくれました?」

 瑠流斗は紙袋の中から、20センチほどの円柱型の物体を取り出して、人形娘アリスに手渡した。

「機械人形のためのエネルギー炉。安物が品切れでね、最高級の物を買って来てしまったよ」

「あとで取り付けてくださいね」

「あとでね。ボクはこれから夕飯の支度をしなきゃいけないから、家事がなにひとつできない君の変わりに」

「ひっど〜い」

 機械人形の少女は人間のように顔を紅くして頬を膨らませた。

「人間らしい表情だね。そういう表情が組み込まれているということは、接待業か、メイドアンドロイドだと思うのだけれど、それにしては家事もできないなんて、やはり廃棄処分のためにこのスラムに捨てられたのだろうね」

「それを拾ってくれたのは瑠流斗様です」

「自分でもなぜ拾ったのか理解できないよ」

 それは雨の降る昼下がりだった。壁に持たれかかり座っていた小柄な少女。薄汚れたドレスが雨を十分に吸い込み、まるで捨てられた仔猫のようだった。

 瞬き一つしない蒼い瞳は、虚空を映していた。それが人間の眼でないことは、すぐにわかった。

 そして、気づくと瑠流斗は自分の家に、泥だらけのアリスを運び入れていたのだ。

 なぜ拾ってしまったのか、本人の瑠流斗ですら理由がわからない。

 そう言えば、前にも捨てられた猫を拾ったことがあったような気がする。

 瑠流斗は過去を回想しながら、ぼんやりと遅い夕食を済ませた。すでに時計は深夜3時過ぎを示している。

 皿洗いをする瑠流斗の横で、椅子にちょこんと座り、床に届かない脚をバタつかせるアリス。その姿はまるで本物の少女のようだ。

「瑠流斗様、早くバッテリーの交換してくださいよ」

「君が皿洗いを手伝えば、早く替えてあげられるよ」

「だって瑠流斗様が洗い物をするなって言ったんだもん」

「そうだったかな」

 そうだったような気がする。料理を任せれば味付けに消火器の粉を振りまけ、皿洗いを任せれば豪快な音楽を奏でてくれた。それ以来、瑠流斗はアリスに家事をやらせていない。

 皿洗いを終えた瑠流斗はアリスを寝室に招き入れた。

「上半身裸になって、ベッドに横たわってくれるかな?」

 と言われた人形娘アリスは顔をほのかに赤らめた。

「恥ずかしいです」

「思考停止状態の君に、ボクがなにか変な真似をすると思っているのかい?」

「瑠流斗様はわたくしにとってご主人様ですけど、瑠流斗様は仮にも男性だし……」

「たしかに機械人形の所有者の中には、性欲を満たすために人形を使う者いるだろうね。でもね、ボクは君のことをただの人形としか見ていないよ。君は女性じゃない、人形さ」

 アリスは少し哀しそうな顔をしてから、瑠流斗に背中を向けてから上着を脱ぎはじめた。

 陶器のような白い背中を露にした少女の模造品は、小さな胸元を両手で隠しながらベッドにうつ伏せになった。

 瑠流斗の繊手が背中に伸びた。

 微かに震え、陶器のような肌に赤味が差す。

 指でやさしく背中をなぞり、瑠流斗は囁くように呟いた。

「ここだね」

「そこです」

 人の肌と寸分変わらぬその下に、微かに硬いボタンのようなモノを感じた。

「しばらくの間、おやすみ」

 そこでアリスの思考回路は停止した。

 目に見えないほど細い切れ目が開かれ、機械人形の背中は見た目とはアンバランスな機械の部分をあらわにした。

 中に入っていた20センチほどの筒を取り出した瑠流斗は、それに刻まれた年号とエネルギー残量メーターに目をやった。

「ふむ、たった1ヶ月でエネルギー残量がゼロに近い。ボクが買ってきたバッテリーと同じ商品なのにも関わらず」

 瑠流斗の買ってきたバッテリーは最高級品であった。通常の動きをする機械人形であれば、10年は稼動可能だろう。それと同じバッテリーが組み込まれているのも関わらず、1ヶ月たらずでバッテリーは寿命を迎えようとしていた。

「10年分の働きを1ヶ月でするのか、それともエネルギー漏れをしているかだね」

 エネルギーが漏れていた様子はない。

 それほどのエネルギーを使用する片鱗すらアリスには見られない。

 一般に出回っている機械人形に比べて、超高性能の高級品、魔導式機械人形では最高峰のレベルだろう。何億するかわからないような代物だ。軍用のジェット機より高いだろう。

 だからといって、このエネルギーの消費量は異常だ。

 なにかアリスには秘密があるに違いなかった。

 アリスを拾ったあの日、変わったことはあっただろうか?

 なにもなかった。

 それどころか、拾った後にもなにもない。

 こんな代物が『行方不明』になれば、なんらかのアクションを起こす者がいるはずだ。

 瑠流斗からアクションを起こす気はなかった。いつの日か正当な持ち主が尋ねてくれば、すぐに返す気でいる。だが、自ら持ち主探しをする義理はなかった。

 バッテリーを取替え、背中の蓋が閉められた。

 数秒の間を置いて、アリスは深い眠りから目を覚ました。

 アリスは胸元を隠しながら状態を起こし、辺りを見回したが、すでに瑠流斗の姿はない。

 いったい瑠流斗はどこに消えてしまったのだろうか?


 冬の朝日は遅く昇る。

 天を突く摩天楼。ビル街の窓が日差しを反射する。ヒラリーマンの出勤時間はすでに過ぎている。都心に向かう満員電車も、今は解消される頃合だ。

 邸宅から会社に向かうロールスロイス。

 車は閑静な住宅街を抜け、ホウジュ区のオフィス街までやって来た。

 超高層ビルの高みから、瑠流斗は目を細め地上を見下ろしていた。その瞳に映るのはロールスロイス。

 強風の吹き荒れる屋上に立った瑠流斗は、空を羽ばたく鳥のように両手を大きく広げた。

 そして、本当に羽ばたいたのだ。

 地上に落下する瑠流斗はどんどん加速し、地表にぶつかればどうなるかは目に見えている。

 だが、結果は予想を反した。

 雷鳴でも落ちたかの地響きが鳴り、超合金でできた特別製のロールスロイスは、そのフロント部分を見るも無残に大破させられていた。そこに立っていたのは、瑠流斗。

「ごきげんよう」

 なんと、この状況には似つかわしくない挨拶であろうか。瑠流斗は平然とした顔で優雅に片腕を広げ会釈をした。

 挨拶をした相手はロールスロイスの後部座席に乗っている男だ。

 すでに運転手役を務めていたボディーガードは、瑠流斗飛来により衝撃でショック死して、助手席に乗っていたボディーガードは、顔中に血化粧をして意識朦朧としている。残るボディーガード二人は瑠流斗のターゲットを挟むように左右に座っている。

 かなり厳重なガードだが、これは普段からのものなのか、それとも誰かの手の者を恐れてのことか?

 しかし、どんな厳重なガードをしようと、瑠流斗を前には無意味だ。

 後部座席から拳銃が火を噴いた。

 一発、二発、三発と、全ての銃弾は確かに瑠流斗の身体を貫いた。

「それで終わりかな?」

 平然とした顔で瑠流斗は聞いた。

 また銃口が火を噴くが、瑠流斗は避けることもなく、身体を貫く銃弾を感じる。

 引き金を引くが、カチカチと虚しい音が鳴り響くだけ。

 弾倉をすぐに取り替えることもできただろう。

 普段ならば自分が撃った弾の数を把握し、弾切れを起こすこともなかっただろう。

 しかし、目の前の若者は人にして人にあらず。その内面から溢れ出す鬼気に押され、ボディーガードの思考は使い物にならない状態だった。

 ボディーガードの雇い主は全身から恐怖を噴出させ、服はすでにびしょびしょに濡れて冷たくなっていた。

 全身を凍えが襲い、ついに男はボディーガードを捨てて車外に逃げ出した。

 車外に出た男は勢い余って地面に躓いた。

 アスファルトに腹ばいになった男に手を差し伸べる者はいない。渋滞になりかけていた車も、銃声が響きはじめてすぐに逃げるように去って行った。

 男の荒い息使いと、ブーツの鳴り響く音。

 充血した眼で男はブーツから上を見上げた。

「逃げても無駄だよ。地獄の果てまで追いかけるから」

 陽光の下でありながら、まるで夜を背負っているような男。微笑みはまるで天使のようでありながら、その翳に潜む狂気の沙汰。

影山雄蔵かげやまゆうぞう氏だね。ご依頼により、あなたの命を貰い受けに来ました」

 その口調はあくまで淡々としていた。そこに感情などない。雄蔵は戦慄した。

 このままでは確実に自分は殺されてしまう。

 わなわなと震える口を抑え、雄蔵は上ずった声を発した。

「わ、私は違うんだ。私は影山雄蔵ではない!」

 実に陳腐な言い訳だった。もっとマシな言い訳は思いつかなかったのだろうか?

「ふむ、あなたは自分を影山雄蔵氏ではないと言うのかい?」

 そんなはずはない。影山雄蔵の顔はマスメディアによって知れ渡っている。

 魔導産業で莫大な富を築き上げた影山源三郎氏が隠居し、そのあとを継いだ雄蔵氏の顔は業界の者ならば誰でも知っている。専門誌で顔写真つきのコラムもやっていて、その写真の顔と今ここにいる顔は瓜二つ。見間違うはずがない。

 しかし、別人であるという可能性がないわけではない。

「影武者なのかい?」

 整形技術を頼れば、同じ顔や体型などいくらでも量産できる。もしくはクローン技術で作られた身体に別人の脳を移植することも不可能ではない。それには莫大な資金と非合法な技術に手を染めるというデメリットがあるが、影山氏ほどの大富豪となればやるだろう。

「私は雇われただけなんだ。本物の代わりに表舞台に立って会社を運営し、メディアへの対応もした」

「ふむ、つまり本物の影山氏は常に影に潜んでいるわけだね。それであなたは本物に会ったことはあるのかい?」

「会ったと言えるかはわからない。声だけしか聞いたことがないのだよ」

「では、顔もまったく知らないわけかな?」

「そうだ、顔もまったく知らない」

「今のあなたの顔は生まれたときのまま?」

「そうだ、これは私の自前だよ。本物の影山雄蔵は表舞台に立つことは決してない。だから、本物の顔に似せる必要などないのだよ。社会では私が影山雄蔵なのだから」

 瑠流斗の問いかけに答えながら、自称雄蔵のニセモノは心底から身体を震わせ、心臓は激しく脈打ち心臓発作も起こしかねない状態だった。

「なるほど」

 と頷いて、瑠流斗は怯える襟首を掴み、無理やり男を立たせた。だが、男は脚に力が入らず、まともに立てる状態でなく、脚はだらしなく折曲がったままだった。男を支えているのは瑠流斗の片腕の力だけだ。

「ふむ、君には影があるようだ」

 摩天楼に反射する光でできた男の影を見ながら、瑠流斗は少し動きを止めた。その耳が微かに動く。

 遠くからサイレンの音が聴こえる。

「帝都警察のご登場か……」

 男は襟首を突き放され、その勢いで地面に尻餅をついた。固唾を呑み込んですぐに辺りを見回すが、瑠流斗の姿はすでにどこにもなかった。

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