08
「キスしろほらしろいますぐしろ!」
切れながらそういわれても、あいにく芳久の欲望は萎えてくれなかった。
抱きつぶされている体勢から、がっしりと両腕をまわして上にいる辰臣を捕まえると、頬を濡らしてわめいていた幼馴染ははっとして黙った。
ちょっと身を引いたところを、芳久は腹筋で上体を起こして下から唇を吸った。
腕のなかの体が震えたのがわかった。
ここまで幼馴染を追い詰めてしまったのは自分が悪い。
理由もろくにいわず距離をとって、辰臣はそうとう悩んだのだろう。
だからこんどはちゃんと理由をいおう。
決定的に別れる必要があることを伝えよう。
最後だとおもって、芳久は吸う力をこめ、上唇もねぶり、角度を変え、抱く力を増して辰臣を引き寄せた。
舌をもぐりこませると胸を押されたので離れると、濡れて少し赤くなった唇をした辰臣は目を丸くしながら芳久をみた。
「よ、よし……!?」
辰臣の上体が反り返ったのを利用して、腹のうえに乗っていた体を横倒しにし、さらに仰向けにして覆いかぶさった。
動く両腕の手首をそれぞれ捕まえ、床に押さえ込んだ。
「――おれ、辰臣にこういうこと、したいねん」
そう見下ろしていうと、辰臣は目と口をあけ、みるみる赤くなった。
「辰臣が傍におると抑えられへんわ。もっとキスしたいし、体さわりたくなんねん。おまえに女の子にすることしてみたぁなるし、どうしたらええんよ……?」
顔を近づけて耳元でやさしいといっていい声でいってやる。
別れのことばになるであろう本心をようやく伝えてやる。
もう傍にはいられなくなるだろうが、今後もこの幼馴染のことは遠くから見守ろうと、芳久はおもった。
いうだけいうと、両手を解放し、腰をあげ、リビングを出た。
階段をあがり、自室に入るとベッドに腰掛けた。
雑然としているが、それなりに整った部屋。辰臣の部屋のような迫力はない。ただただ平凡な主そのままだ。
ドアが開く音がして顔をあげると、汗をかき赤い顔した辰臣が立っていた。
なんで家を出ていかなかったのだろうとぼんやりおもっていると、辰臣が近づいてきた。
「お、おまえ、おれの決意をなんやとおもってんねん。おれのこと捨てんな、ゆうたやろ」
上体を倒して怒鳴ってきた相手を、芳久はまばたきしてみあげた。
「え……?」
「おまえがおれのことどうこうしたい、おもうてんのはわかった。だけどな、それとこれとは別やろ」
「――は?」
「おれはおまえのその根性がゆるせへんわ。捨てるんやったら会ったときに、よろしゅうしたってなんていうなや! 仲良くなんてすんなや。ほんま腹立つわ。おれはもうおまえなしじゃいろいろやっていけへんようなってんねんで。そこんとこわかっとけよ」
「……たっくん。いくらなんでも幼稚園のときから、男同士でもええからキスしたいおもうようなるとはおもわへんやんか」
「せやから、そのことでおまえのこと責めてへんやろ。おれにあれこれしたいんなら、まあ、しゃあないわ。そこそこゆるしたるわ」
芳久は頭痛がする、というように額に片手をおいてうつむいた。
「…………つまり、キスしていいってこと……?」
「さ、さっき、いったやろ……っ」
ちょっと声がうわずった辰臣の腕をつかんで、腰掛けている横に座らせる。ベッドがふたりの重みでたわんだ。
「……おれ、たっくんのことめっちゃ好きやねん」
横に並んだ顔にむかっていうと、いわれた相手はちょっと嬉しそうな表情を浮かべたあと、首筋まで真っ赤になった。目が泳ぎ、唇が乾いたかのように舌で舐めた。
「一生たっくんのこと無視したり、捨てるようなことはしません。……これでいい?」
芳久は辰臣を両腕を回してぎゅっと抱きしめ、そういった。
腕のなかにおさまったまま、辰臣は無言でうなずいた。腕力では差がそうないのだ、それにも関わらず辰臣は逃げない。むしろ近づいてきてこの腕のなかにいる。腕を放すと、捨てるなと怒る。
芳久の胸中では太陽が昇り、上潮になり、鳥が羽ばたき、鯛が釣れた。
***
夏休みに入っても、芳久は辰臣を迎えにやってくる。
いっしょにカフェ&バーの短期のバイトを始めたせいだ。
「たっくん、ああやっぱりまだ寝てる。そろそろ起きて用意しいや」
もっと遅い時間のシフトに入りたかったのだが、遅い時刻はアルコールの入った客に絡まれるといって芳久が反対し、学校に登校しているのとかわらぬ時間に起きるはめになった。
ゆっくり寝たい辰臣にはそれが腹立たしい。
しかし、そのカフェでどれだけ女性客にもてようが、いっさい誘いには乗らず、辰臣を送り迎えしてくれる芳久には満足していた。
「たっくん、朝やで、起きぃや」
いままで足蹴りして朝の挨拶をしてきたのが、ベッドに腰掛けて頭を撫でながらやさしく声をかけてくれるようになったのにもすごく満足している。
芳久は薄手の掛け布団をめくり、起きたがらない幼馴染をなだめ、パジャマのボタンを外しズボンを脱がしていく。
抱き起こされながら、体をまさぐられると、内心、起きないとやばいなと辰臣はおもう。
その手がときどき素肌がぞわりとするようなことをしてきて、詰まった声がもれでる。
「……っぁ、よ、し……」
「起きろ、辰臣」
耳元で、起きないとこのまま食うぞ、と甘い声で脅される。
変な気分にさせられて、どうにか片目を開けると、笑顔の幼馴染がそこにいた。
なんというか、朝からまぶしいばかりだ。
幼馴染の朝の用意の最中、仲直り以来、芳久はいつもご機嫌で、ふらふらしている辰臣をいままでとは違うように抱きしめて、たびたび頬やまぶたにキスをしてくる。
キスは長かったり、深かったりするときもある。
辰臣は芳久がどういう意図で自分にこういうことをしてくるかがわかってから、嫌悪もなく、あまり急いで行為を進められないかぎりはとくに避けもせず、気が向いたら自分からもキスをして受け入れてきた。
まあたぶん、自分もそうとう芳久が好きなんだろうと結論している。
芳久に背を向けられただけで、人生終わった――とおもったものだった。
ふたりが新たな道を踏み出したことを、和解という形で認識した周囲は、胸をなでおろした。
辰臣は冷淡な男前にもどったし、芳久は人好きする男前にもどった。
じつのところふたりは以前のままではなかったのだが、それは周囲にはわからないことだった。
完結




