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Into a Trance 3月 -4-

 一睡もできなかった。風呂に入って、寝着の浴衣姿になっても、テツトは布団に入ることができずにいた。デスクトップPCのモニタの前に座り込み、腕を組んで動けなかった。これからどうすればいいのか。どこから手をつければいいのか。表情は険しく巌のように硬くなっていっていた。本日が日曜日であることに感謝した。


 東の空がうっすらと黄色を滲みだすをみて、重たげに息を吐き出した。ふらふらと振り子のように揺れる頭のまま、改めて風呂場に行き、冷水を被った。


――わからんかったら、先人に聞くしかないやろ。


 幾年か前に片桐禎和から聞いた言葉である。意固地になっていたその時は、聞き流してしまっていたが、今ならよく判る。さらにもう一回と水を被って、呼吸を落ち着かせた。


 顔を洗って、タオルで水気を拭っていると、サナが現れた。タンクトップにハーフパンツのラフな格好をしている。肩口まで伸びている髪を後頭部で一つに束ねてさせていた。肌の色が僅かに赤らんでいるようであった。


「おはよう」

「うん、おはよう。その、お風呂に入りたいから」

「――ん」

 

 タオルを手にしたまま、風呂場の外へ追い出された。


「ゴメンね。アレよ。朝のアレしてきたから」

「アレ言われてもかなわん。ちゃんと言うてくれ」

「口調が砕けたね」

「――さよか」


 返事をしながら、テツトはタオルで顔を強く擦り上げるようにして、水を拭っていった。


「ねえ。買い物につきあってよ。ほら、京都のこと、判らないから」

「――例えば」

「先ず取り敢えず、小さな冷蔵庫と、モンエナ買いたい」


 少し間を置くと、生活雑貨や日用品の単語がぽろぽろと出てきた。言葉に反応して、おおよそ行き先の目途はつけていく。タブレット端末とスマホはすでに所有しており、使用している姿は見かけている。


「カネはあるんか。後、冷蔵庫って、台所のヤツはダメなのか」

「ダメというか、小さいのでいいから、自分用のが欲しい」

「ホテルやないんやから」


 こめかみを掻いた。昨夜は細かい話が全くできなかった。父の秀幸の言葉に、テツトが絶句して、そのままお開きとなってしまった。もっとも、あのまま話を続けられても頭に入っていく自信は欠片もない。


「そういうん、先ず親父に確認してくれないか」


 投げやりにそう応えた後、タオルを首にひっかけて、テツトは離れていった。


 居間では、すでに両親が起きていた。身支度を整えている。ともに渋い模様の着物姿であった。


「古美術クラブに呼ばれてなあ。東京日帰りや。辛気臭い話と拙いメシ喰って来るわ」

「顔を合わせて、付き合いをつなげておくのも商売ですよ」


 ぐちぐちと文句を呟く父に対して、母がばんと肩を叩いてたしなめる。


「はあ、行ってらっしゃい」

「あと、そこに通帳を置いておいた。百万振り込んどいた。それを支度金にして始めや」

「佐那ちゃんの生活費込。何に使ってもいいけれど、それ以上は鐚一文もでないからね」


 母がそう付け加える。机上には確かに赤い帯が目立つ通帳と、錆びだらけの硬貨があった。


「それが鐚や」

 したり顔で秀幸が言った。テツトが手に取り、目を凝らして効果に刻まれた文字を読む」

「――天保銭やないか」


 テツトの返答に、秀幸はさらに口の端を歪ませて笑んだ。


「まあ、なんだ。どう転んでも、最終的に責任は親が取る。テツトと佐那ちゃんの失敗は、ワシらと秋庭のご両親が詰め腹を切るのが筋や。それは変わらん。だからまあ取り敢えず、思い切って、やってみなはれ。相談が必要な時は言え。先ず犯罪と借金以外は許す」


 いうなり父はゆっくりと腰を上げて、荷物を手に取った。


「じゃあ、行ってくるからな」

「はあ、行ってらっしゃいませ」


 テツトは、通帳を握りしめながら、頭を下げて二人を見送った。


「昨日手配したヤツ、頼んだよ」

「判っとるよ」


 売り手が決まった骨董品の梱包と郵送手配を完全に失念していた。


 総務省認定の広告媒体。通称、戦う看板。活動資金として、所属地域の企業から広告費を出させる。CSR活動の肩代わりとともに、宣伝の広告塔として活動する。バス停に掲示されたポスターの少女、深宮綾乃がまさに顕著な例となる。

 年間の総稼ぎとともに試合内容も評価の軸として設けられており、所属地域の一位はすなわち、その地域の顔としての存在と成る。


「彼女だったら月十万円は容易いんやろうな」


 旅行代理店に、寺社仏閣、化粧品や美容室までも彼女を起用していた。地下鉄のつり広告などには毎週のように新しい彼女の顔が掲示されている。美麗な容姿に加えて、武道を嗜んでいるらしく、身の捌き方にしなやかさがあるを思い出した。昨秋に催された彼女の試合を思い出した。テレビで放送されていたのを、父が観ていたのだ。流水の如くの身体捌きで、相手に一本も取られることなく、全くの完勝をしていた。勝ちて尚、破願することはなく、楚々と控えめな笑みを浮かべていた。


「どうしたの?」


 ジーンズに無地のTシャツを着たサナが居間に入ってきた。じっと彼女の顔を見つめてみる。――面食いのお前でも、と父は言っていたが、テツトの表情は緩まない。顔立ちはなるほど整っているかもしれないが、眼を逸らせばすぐにでも日常に溶けて忘れてしまいそうな、茫洋さである。ただ三白眼が引っ掛かる。また掠れた声音も、首を捻らせる。


「そうまじまじと観られると、照れるじゃないか」

「いや、どうしていくかって考えとったんや」

「なに、為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、だよ」

「成らぬは人の為さぬなりけり、ねえ」

「何それ?」

「知らんで言ったんか」


 呆れに声を上げた。苦笑いのつもりなのか、口だけ歪めさせて頭を掻くサナの姿があった。テツトの履きだした息は重たかった。


 朝食を済ませる。その際に、サナには通帳の件や冷蔵庫の設置についての話をしておいた。破れかぶれな勢いはあるが、うだうだと一人悩んでいるだけでも進みはしない、と意思を決めた。


 支度を整えて、十一時頃に出る手はずとなった。行き先は京都駅と、四条河原町。四条大橋西詰のレトロな商館に京都の広告媒体管轄局が設けられているからである。


「この辺りじゃないんだね」

「家電屋やスーパーはあるかもれんが、何をするにつけても、京都駅前と三条四条は歩いておいた方がええやろう。少し歩くけど、ええか」

「ついでに、学校も観ておきたい」

「――荷物が嵩張らなければ、ええよ」


天気が良かった。陽光が射し込んでくる。徹夜明けのテツトの頭にはこれがくらくらと効いた。それでも、食器の片付けなどを済ませていく。


「布団、干すからな。部屋に入らせてもらうよ」

「ん、判った」


 言えば、きちんと反応をする。手助けもしてくれる。その点には感謝しながら、テツトは家事を進めていった。


「埃臭かったやろ、申し訳なかった」

「仕方がないよ。準備できなかったのだから」


 もっとも、テツトが家事をしている間、サナは居間や台所に居た。スマホを片手に、テツトの背中を見ているようだった。声をかけて、気安い返事で引き受けた。――まあ、客人だし、とテツトは気に留めることを辞めて、手を動かしていく。どこに行くのか、鴨東高校の側に何があるのかなど、傍で色々と訊ねられていたのだが、それらは思考することなく応えていく。


 家事が終われば、今度は骨董品の梱包と伝票書き。蔵に入り、メッセージに記された番号と名称を頼りに品を出す。写真はない。ポストイットに記された番号と、古伊万里花鳥図沈香壺やら、ガンダーラ仏残欠といった名称から、ナリを想像して取り出すのである。


「判るの?」

「少なくても平皿やないからな」


 箱や次第の確認とともにエアパッキンで包んでいく。小学生の頃から手伝わされていた。二つの品をまとめるのに時間はかからなかった。忘れぬようにと玄関先に置いた。


 ひと段落着くと、自室のPCの前に座った。表計算ソフトを立ち上げて、資本金100万円と記載する。後は出納帳としての体裁を整えていった。父はああ言っていたが、それは前提条件の元での言葉であると、テツトは察していた。


――当座の目標は、一年間で百二十万、家に納める。


 その他にも、服飾やら食事やら、彼女自身が自由に使うカネも必要となるだろう。プラス収支になるのはいつだろうか。そもそも、広告を出してくれるだろうか。

 手が止まり、腕を組む。白紙に近い表計算の画面をじっと見つめていた。


「ねぇ、そろそろ時間」


 ノックとともにサナが部屋に入ってきた。

 テツトは振り返り、サナの顔を見た。


「頑張ろうな」


 そんな言葉が出てきた。


「そうだね」


 表情を引き締めて、サナが力強く応えた。テツトはその表情に精悍さを覚えた。

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