Into a Trance 3月 -3-
テツトの両親が帰ってきたのは、午後十時を過ぎてからだった。ともに顔を赤くして、クルマを代行に運転させて帰ってきた。テツトは二人を腕組みで迎えた。
食事はとうに済ませている。皿の片付けも、台所の拭き掃除も終わった。2階の客間を軽く掃除をして、予備の布団を引っ張り出して、軽く叩いた後に布団乾燥機を仕掛けた。テツトは黙々と支度を進めていた。作業をしていれば、サナの相手をしなくて済むと考えていたからだ。
始めは居間の座布団に胡坐をかいていた。しかし、台所の片付けが進めている最中に、ひょっこりと顔をだした。手伝う、と申し出てきた。客人にそれは申し訳ない、とテツトは慇懃な態度で断りをいれた。サナは顔をむっと顔を尖らせる。その時は、それで引き下がった。テツトは少しばかり心に痕を残しながらも、掃除を続けた。五分も経たずに、彼女は再び現れた。ため息を吐いてから、片づけを手伝ってもらった。その際、彼女の口数は少なかった。
今は、客室で転がしてきたキャリーケースを広げて、荷ほどきをしている。
「さて参ったな。どこから説明すればええやろうな」
「どこからって、始めからや。そんなん決まってるやろう。何も聞かされてんぞ」
「そら、そうよ。言うとらへんもんな」
「なんでや、確信犯か」
夜は更けている。風呂の準備もできている。それでも、家の最奥に設けられた畳部屋で、家族会議となった。床の間にもなにも用意されていない、殺風景な薄暗い部屋に申し訳程度に座布団を用意して、面と向かって父と対峙した。
「雪江さん、佐那ちゃんに来て貰うように。後、お茶を」
「はいはい」
テツトの後ろに居た母が腰を上げて出ていった。向かいには白髪混じりの顔をぼりぼりと掻く初老の男が座るのみとなる。吐き出される息のアルコール臭さは耐えることにした。テツトは正座のまま、眼を怒らしめて、身を前に乗りだした。
父――秀幸はほくそ笑んで答えた。
「驚いたやろう」
テツトは咄嗟に尖りを剥いて舌を打ちつけた。丸々と恰幅の良い背格好の秀幸に対して、ぎりぎりと歯を軋ませていた。
「そう怒りなさんな。悪いとは思うとるよ。ただ、黙っといて、反応をみたかったのもあった。それだけや。これも一つの親の役得。孝行だと思ってくれや」
どんなに怒りを表したところで、秀幸には欠片も通用しない。彼は赤い顔のまま、鼻を突くアルコール臭を放ち、歯を剥いて、眼を糸のように細めて、肩をくつくつと揺らしている。
「そうか。それはよかったなあ。でも、それではた迷惑を被るんは、自分と秋庭さんなんやけどな」
「それは済まんかったな。家賃の一つと思って納めてくれな」
手を合わせて、頭をひょっこりと下げる。謝っているつもりなのだろうか。テツトは頭を抑えた。奥でじりじりとした痛みを覚えていた。
彼女が今日、家を訪ねてくることは知っていた。スマホのスケジュール帳にも記録がされていた。それでいながら、休暇の蔵が開くこと、懇ろの客からの注文品を競り落とすこと、片桐邸に京焼の角皿を貸し出すことなどで、失念していた、と言い訳がましく言葉を並べた。
「ずっと外で待っておった。何時間待っておったと思うとる。ちゃんと連絡しとったら、こんなことはなかった。余りにも可哀そうやないか」
「憐憫とは、愛情とさも似たりってヤツやな」
軽口は放った父に向けて、テツトは思い切り畳を叩いて睨みつけた。ばんと炸裂音のような響きが効いたか、さすがの秀幸も背筋を伸ばした。
「なんやそれ。それが応えになるんか。酔っ払いで誤魔化そうとしとるんですか。それなら大人として、情けない違いますか。不誠実や」
「そら、そうやな。ちょっと良くないな」
「ちょっと処やない思います」
父の声を聴けば聞くほど喉奥から言葉が込み上がってくる。口を開けば開くほど、言葉が尖りを帯びていくのを感じる。喉元に粗い熱が沸いてくるのが判った。
「それに、綺麗に育ったろう。佐那ちゃん」
「はあ、そうですか。それがなんや」
「いや、面食いのお前でも、ぐっと来たはずやろう」
「やかましいわ!」
苛立ちがそのまま声に出た。膝を立てて厳めしい顔を突き出す。手が伸びていた。頸を掴む前に握り拳になっていた。秀幸が途端に顔の色をなくして、人差し指を口前に立てた。
「おい、今が何時だと思ってん。余り荒げるなや」
「一体全体、誰が荒げさせとるんですか」
「――悪かった。謝る」
言葉をゆっくりと吐き出すように言った。テツトはそれを受けて、口を閉じてしばらく父の眼を見た。僅かに左右に揺れている。まだ酔いから醒めていない。顔も赤く、アルコールの甘ったるい匂いが鼻腔をねっとりと触っていく。
「納得はできとりません。でも、これで以上は堪えます」
「正直、済まんかった」
身を引かせて、深呼吸をする。自身の顔も赤くなっていたのだろうと想像する。父は俯き加減に決まりの悪そうな顔で、首裏をぼりぼりと掻いていた。
秋庭佐那が桑嶋家に居つくことは、年越ししてすぐに決まっていたそうだ。彼女からどうしても京都に移りたいとの打診があった。
「親御さんは?」
「是非もなく。佐那ちゃんの言葉を聞いてやって欲しい、との一点張りや」
「はあ」
横浜に暮らしている商社マンで、父の得意先の一つでもある。付き合いは、テツトやサナが生まれる前からであるそうで、――間違えのないご両親だ、と秀幸は言い切った。
「それにしては、思い切った選択や。娘を一人、それも知り合いとはいえ、他人の家に住まわせるなんて」
「条件はだしたが、それでええ、と佐那ちゃんが決めた。そしたら、それでお願いします、と」
「弱みでも握られとる違うか?」
訝しげにテツトは返した。秀幸は首は捻るだけで、話を続けた。
「で、通っていた高校を辞めて、こっちで一年からやり直しだそうだ。お前と同じ、洛陽大学附属鴨東高校だ。特別進学コースだけどな」
目を丸くした後、素っ頓狂な声を上げていた。
「先輩やったんか」
「いうに事欠いて、先ずそれかい。まあ、一つ違いもいい処。生まれじたいは、十日も離れていないけどな」
「そうですか」
肺の裏から絞るような声が出てきていた。
「勉強もできるんやな」
「学校から奨学金を貰うことになっている。連帯人の名前を書いたが、まあ、その辺りは安堵やろう。万が一は親を捕まえにいくだけや」
「さよか」
襖が開かれた。盆に湯飲みを乗せた母と佐那が畳部屋に入ってきた。
「夜分に申し訳ないね」
「いえ、私は平気ですので」
掠れた声ながら、猫を被ったような穏やかな口調で、サナはぺこりと頭を下げた。三白眼ながら、瞳の色を潜めさせているようだった。そして、母は父――秀幸の隣に、サナはテツトの隣に座した。
「改めて、佐那ちゃん、お久しぶり。今日の処は申し訳ございませんでした」
そう言って、額が畳につきそうなほど深く秀幸は頭を下げた。
「こちらこそ、ちゃんと到着の時間を伝えればよかったのに」
手を振りながら謙遜をする。テツトは鋭い眼差しのまま、その様子を横目で見た。
「もう夜更けやし。余り長くなるのもアレやからな」
そう言いながら、秀幸は傍らに置かれた湯飲みを手に取って、一口啜った。
「佐那ちゃんが、ここで暮らすための条件を、確認しよか」
声質に重みがあった。テツトは姿勢を正して座り直した。隣のサナも表情を引き締めて、秀幸に視線を向けている。
「三年で三百六十万を納めてもらう。ざっと月十万だな。卒業までは保証するが、その代わりにここから出ていく前に必ず返してもらう。以上だ」
「――畏まりました」
噛み締めるような口調でサナが返事をした。しかしテツトは首を捻らせた。
「それは秋庭さんのご両親が――」
「いや、佐那ちゃんが稼ぐんや。働いて」
「勿論です」
力強くサナが応える。――広告媒体認定書。テツトの脳裏に食事前に机上に置かれていた文書がよぎった。
「稼ぎの当てはあるってことやな。それはよかった」
「いや、当てはない。これから当てを作るんや」
秀幸の言葉に、肝が冷えていく心地がした。眼差しが再び厳しさを含みだしていく。
「哲人、お前が面倒見てやれ」
テツトは喉が擦り切れそうな声を上げた。




