Act of Violence 7月-3-
牙を剥く狼のような、顔だった。中央で片足を引いての半身で構えるサナまで距離はある。それでも、歯を軋ませている、その音すら聞こえてきそうだった。テツトは口を厳しく噤んで腕を組み、どっかりと腰を据えて、試合を見つめた。
綾乃も被衣を脱いで、腰まで届くような長い黒髪をさらと披いた。切れ長の瞳を、更に細く尖らせている。ただ、端正な顔立ちだが、片頬が赤く腫れ染まっていた。先ほどのサナの平手打ちのためであるのは、会場の皆が見ていた。
審判から注意を受けている。次、注意を喰らえば、没収試合となり、負担は全てサナの――テツトが被ることになる。致し方なしとして、テツトは自身の二の腕を、爪を立てて鷲掴んでいた。
動きはピタリと止まっている。四方を囲んだ観客は固唾を飲んで、中央で構える二人を凝視する。三脚台の上に据えられたカメラも、ケーブル線を生やして肩に担がれた移動カメラも、ピタと動きを止めている。
綾乃は黒い袴に白い胴着の姿。胴着には市内に本社を構える大手企業のログが縫い付けられている。一方のサナはオレンジのラインが黒のセパレート。肘から先、膝から下、へそ周りをだいたんに出した、上下で、胸元に片桐の家紋が施されているのみである。
じりとサナの爪先がすり出る。合わせるように綾乃の足が同じぐらい引かれた。ともに上半身の動きはない。鋭角な視線をぶつけ合っている。
風が吹いてくる。光を入れるため、武徳殿は戸も窓も開かれていた。
綾乃の髪が風に遊ばれて、さらと揺らいだ。微かにサナの右手が風そよぐ髪に反応した。
その刹那だった。綾乃の右手がサナの襟元めがけて伸びた。サナはこの手を扇で弾いて後ろに跳ねた。着地まもなく爪先で床を蹴る。身を屈めて、低い姿勢で綾乃の背後に回り込もうと重心を傾けさせている。綾乃は踵を返しながら、常に正面にサナが居るように身を翻る。黒髪がその動きに合わせてひらりと流れ泳いだ。
サナは片膝をついて、動きを止めた。視線はまっすぐに綾乃へ向けられたまま、ぎらつかせている。綾乃は泰然を意識しているのか、腫れあがった頬の他に、変わりはなく、サナを中心に俯瞰しているように、テツトには見受けられた。
その後も機を伺いあい、時に牽制のため、手を出し、足を出す。時には間合いを嫌って、構えを問いて、左右に歩を出すときもあった。サナは手に携えている扇でポンポンと膝を叩いて、調子をとる時もあった。綾乃はその誘いには載らずに、構えを崩さない。
会場は静まり返っていた。二人の一挙手一投足に集中している。テツトも前のめりとなっていた。じりじりと緊張感ばかりが急いている。動いてもいないのに、首筋に汗が流れていく。
端緒を切ったのはサナだった。ちょんと前に跳ね出ると、真っすぐに足を伸ばしての蹴りを放つ。綾乃は軽く受け流す。サナは前蹴りを間をずらしながら繰り返す。合わせるように綾乃も避けるが、その度に着実に後退していた。
隅角へと、前蹴りで着実に追いやっていく。ただその意図を見抜かれてか、綾乃は伸びだされた足を掴もうと手を出すようになった。サナは片足に重心を預けて、もう片足を軽く床に触れさせながら、機を伺う。蹴りを放つ構えを見せれば、綾乃は両手を低くして備える。
扇を左逆手に持っていた。バンテージをきつく巻いた右腕は拳を作っている。
綾乃の背後は観客の顔がある。彼女は観客席との敷居に触れているように、テツトには見えていた。それぐらいサナは追い込んでいる。
サナが左手を突き出して、右手を腰に据えさせた。閉じた扇が水平を示し、左拳の先は綾乃の胸元を指している。明らかな囮である。控えている右拳で迎え撃つのは、テツトにでもわかる策である。
判り切ったことだからこそ、綾乃は牽制に差し出された左拳を見つめながら、動かない。
痺れを切らしたサナは、腰に据えていた右拳を、身体の捻りを加えて放った。綾乃は身を屈めさせ、拳の下を潜り抜けるように前回りをしてかわした。勢い任せに繰り出した拳に遊ばれて、姿勢を崩したサナであったが、くるりと身体をひるがえして、すぐに綾乃に相対する。今度は綾乃が膝立ち姿勢と成っていた。
サナの攻撃が続いた。膝立ちで構えをとろうとしていた綾乃に対して、槍の如く前蹴りで突く。綾乃は右や左へと、あるいは背を反らして避け逃れる。間をとらせずに、執拗に前蹴りを放ち続ける。次第に、綾乃の重心が大きくぶれるようになり、姿勢も窮屈に成っていく。
サナが右足を大きく引いた。振り子のように勢いをつけて、床を蹴ると、左脚を支点として、綾乃の顔面に向けて、右膝を剥いた。
綾乃はこれを身体を捻ってかわそうと試みたようだった。結果としては、右肩にサナの膝が刺さった。そしてそのまま縺れるように二人は倒れ込んだ。
立ち上がりはサナが早かった。扇を右手に持ち替えて、肩を押さえている綾乃を捉えながらじっくりと腰を上げていく。
綾乃もそれに気づき、体勢を整い直して、立ち上がった。
サナが扇を構えて一足飛びで綾乃へと向かった。
綾乃も素早く構え直して、右手を伸ばしてサナの襟首を狙った。
破裂音のような、乾いた音が響いた。
「一本!」
審判の手が上がった。頭頂部を両手で摩る綾乃が居た。整った顔をくしゃと真ん中に寄せ集めさせている。
サナの扇が綾乃の頭を強かに撃ち抜いていた。
肩で大きく息を吐いたサナが居る。同時に耳を刺すような舌打ちが聞こえてきた。
サナの狙いは右の正拳にある、とようやくテツトは理解した。
会場はざわめきが起こっていた。壬生新撰組の沖田をも完封で勝利していた綾乃に対して、全敗のサナが一本先取した。そして、サナは武蔵坊弁慶戦などでみせた、アクロバティックな動きを封して、綾乃に向かっている。ジュンヤとカエデの二人の姿をちらと確認すると、ともに目を丸くさせて、サナの姿を見ているのが判った。
二本目が始まる。サナは表情をさらに尖らせて向かった。
審判の合図とともに、仕掛けを放ったのはサナだった。掌打に、払い蹴りなどを立て続けにクリ放つ。そしてその合間に扇の骨を付きだしたり、殴打を振ったりを噛ませてくる。
受ける綾乃は冷静であった。サナの攻撃を流し、かわし、受け払う。適当に捌きながら、弧を描くように脚を動かして、隅に追いやられないようにしている。
サナは攻撃の手を緩めない。鋭さを以って突き、素早さを以って薙ぐ。しかし、一本を狙えるような崩しにはつながらない。すべてを綾乃に振り払われてしまっている。
サナが眉間の皺を深くしている。表情をより一層、険しくしているのが見えた。埒が明かないとばかりに、攻めをせかすが、それは同時に粗さにもつながっていた。
「サナ! 落ち着け!」
中腰になって、叫んでいた。
しかしサナにテツトの声は届いていないようであった。
腰を落として力を貯めた右拳を、繰り出した。苛立ちと焦りからの浅慮である、テツトは額に手を当てた。
綾乃はその手を、腕を掴むやサナの懐に腰を入れて押し上げる。勢いを殺せなかったサナは流れるように宙に弧を描いた。
そのまま、重力に従って背中から床に叩きつけられる。重い音が響いた。
「一本!」
サナはあおむけに倒れたまま、天を見ている。目をぱちくりと瞬きさせて、しばらく動かなかった。
これで一対一となった。
「これでおあいこ、やな」
隣から低い声が聞こえてきた。
我妻興業の彫の深い顔の男が、居た。
「やってくれたな」
心臓を剃刀で撫でられる心地があったが、テツトは表情に出すのを堪えた。
「ルール内ではありませんか」
「ぎりぎり、な」
そのために、試合前の打ち合わせで、手を尽くしていた。
「これで最後。じっくり観させてもらおうや」
男の言葉に、テツトは固唾を飲んだ。
サナがのっそりと立ち上がり、大きく息を吐いた。
そして、ちらとテツトに視線を向けた。
テツトは腰を据えて、深く頷いて返した。
――悔いないように、存分にやれ。
確かに彼女にそう伝えてある。だから、テツトからは口出し、指図はしないと決めていたことを思い出した。
サナはそれを見て、小さく頷いた。眼差しは未だ炯々と尖りに満ちていた。




