剥ぎ纏う刻 6月-4-
管轄局の承認を得られたテツトの企画書は、それなりの評判だった。京都内の女子高生対決であり、その一方は、CMにまで起用されている深宮綾乃。受付の佐倉は企画書に目を通すと、これならテレビ局が入るかもね、と唸っていた。
カエデに企画書を渡すと、市瀬呉服商を通して、商店の馴染みの業者へと渡っていった。――なるほど、オモシロそうや、との反応は出てきたが、ネックとなったのは、サナの実績が、未だ未勝であり、広告媒体としても大きな仕事を成しえていない処と、横浜から来たことだった。綾乃の出自に関しては黙殺されている。背後にヤクザが控えているのは周知だった。
――実際に試合が組まれたら、協賛というカタチで噛ませて貰いたい。
そんな返答が2社から得られた。カエデは渋い顔を作っていたが、テツトは彼女の大きな手を握り締めて、深く感謝を伝えた。
この日、テツトは、五条橋組合と壬生新撰組へと赴いた。両方とも、サナが試合をした相手であり、綾乃とも試合をしている。何か相談できればと思い、ツテを頼った次第である。
壬生新撰組を統括している初老の男は、白髪交じりの頭を掻きながら、テツトが用意した企画書とジュンヤが創った動画を確認した。
――言うても相手はヤクザや。後詰は必要やろう。何かあったら、私の処に来なさい。
そう言いながら、壱万円札をテツトに渡した。個人的なカンパ金として、テツトは重く頭を下げて受け取った。
深宮綾乃との試合について、道筋はできた。
しかし肝心の百万円の目途が立っていない。
――出した後に、返ってくるモンが確実やないと、そら不安やろうな。
カエデはそう漏らしていた。それもそうかと、苦々しく納得を噛み締めながら、テツトは帰路を歩いていた。
雨は止んでいる。ただアスファルトは濡れて黒色を濃くしていた。点々と設けられた白い街灯を頼りにして、西大路御池から北へと歩を進めていく。湿った匂いが鼻を撫で、吹く風には薄っすらと冷が込められているように感じられる。カバンと傘を握り締めて、月のない夜道を一人で行く。
自宅の前で一度、脚を止めた。三月下旬に、この門前でサナが蹲っていたのを思い出した。腰まである大きなキャリーバッグを曳いて、単身で京都に来たのである。実父の条件に挑み、そして勝利を掴んだ権利として。
テツトは改めて歩き出した。門を開けずに、更に北へと向かっていった。
そして、最寄りの公園に辿り着いていた。
紫陽花が咲いていた。白色の紫陽花とともに赤や紫も咲いている。点々と重なり合いモザイク柄を成している。雨を含んでか、彩も艶やかであるようであった。
しかし、テツトはすぐに踵を返して、離れていた。心の納まりが悪いのか、毎年の楽しみにしていた筈であるのに、気が空回りをするような、違和感に耐えられなかった。
代わりに脚を止めたのは、真紅の薔薇だった。緑の茂りに一輪。鮮血のように咲いていた。テツトは息を飲んで、立ち尽くしていた。
「ねえ、テット」
掠れた声が聞こえてきた。振り返るまでもなく、サナだと判った。
「帰って、ご飯にしよう。お腹空いたよ」
仕事以外の会話を二カ月近く、交わしていないことに気がついた。スマホのメッセージのやり取りでも、夕食の要不要がせいぜいのやり取りである。――それがまさかこんな一言で崩れるとはと、テツトは苦笑いで受けた。
振り返れば、サナは制服姿に高校指定のカバンを提げていた。
「帰りか?」
「放課後に用事があるのは、テットだけじゃないよ」
「そらそうやな」
赤い傘を手持ち、じっとテツトに顔を向けたまま、動くような素振りは見せない。テツトも正面からサナを捉えている。サナの視線の先には、赤い薔薇が咲いているのだろうと、テツトは心の隅で思った。
「テットが横浜に行くって言った時から、覚悟はしていたよ。綾乃のことは時間の問題だって端から判っていた」
「訊かなかったから、言わなかっただけってことかい」
「まあ、ね。わざわざ口に出して言うものでもないし――」
サナが言い淀んだ。
「せっかくの刻が、これで終わってしまいそうだったから」
風に流されそうなほどの声で、そう言った。向けられている視線は、強いものではなかった。三白眼ながら、陰を含んで揺らいでいるようであった。
「終わってもええやないか。これが終わらな、次が始まらん」
テツトは応えた。
「次? 次なんてあるの?」
「――あるやろうな。絶対」
具体的なカタチで見えているワケではない。未来への願望も、明日への期待も抱いていない。それでもテツトは力強く言い切った。
「それにこれで終わりなワケがないやろ。3年で360万の約束は破棄されないし、広告媒体の登録が剥がれることもない」
「それは、そうだけど」
「京都での生活は続くんや。カネは稼がなならんのや。だったらもう、思い切って戦うしかないやろ。積極は如何に努めても猶、神の線より遠しや。存分に、後腐れを残さないように、やってやれ」
「どんどん行けって」
「行け行けドンドン、ドンドン行け」
呵々と笑いながらテツトは繰り返した。笑いながらも頬に硬い強張りを覚えた。それでも無理にでも笑う。じっとりとした雨後の夜半ながらも、乾いた虚しさを堪える。
ふん、とサナが鼻で嗤った。彼女の唇は歪な弧を描いている。それでいいと、テツトは受けた。
しかしすぐにサナの表情は閉じていく。厳しく結わえた唇に、鋭角な眼差しをテツトに向けている。テツトも表情を落としていった。口を締めて、眼差しを細くする。
「ねえ。これだけは信じて。テットが居たから京都に来たのも、嘘じゃないってこと」
三白眼で見上げるようにサナが言った。掠れた声が湿度で溶けてしまいそうであった。
「そうか。ありがとう」
頷いてテツトはそれだけ返した。色を殺すことを意識していた。そして、サナの脇を通り抜けて、家路に戻った。
「帰ってご飯にしよう」
その言葉に、サナはしばらくしてから振り返って応えた。
「ありがとう」
テツトは微かに熱を持って響いてきたサナの言葉を、聞こえなかったフリをした。
食事を済まして、片づけをする。テツトとサナは会話を交わさなかった。ただ、何を言わずとも、食器だしや、盛り付けを手伝い、皿拭きまで、共に行った。
その後、テツトが風呂場の掃除をしている間に、サナは室内干しをしていた洗濯物を畳み、居間に各人へと配する。お願いすることも、確認することもない。いつの間にか二人で暗黙の内に割り振られた役目として手を付けて、済ますようになっていた。
風呂の支度を終えて、自室に入る。パソコンの前に座り、帳簿を開く。
ジュンヤが創った動画の影響からか、資金は増えている。評判も良かった。テツトの元に、動画の作成者を訊ねるメールが何通も届いている。テツトはそれらをジュンヤに転送している。彼は喜び、先日は、一つの業者から作ってみないかと声をかけられたと言っていた。
それでもまだ十五万円に届くかどうかである。小口からであり、百円から一万円が積み重なって状況である。百万円になるまで、果たして幾日必要になるだろうか。
そこまでに自分の熱は保っていられるだろうか。秋風にあおられて、冬の雪に凍らされる。そんな恐れがあった。
テツトは抽斗から、木箱を取り出した。そして、継ぎはぎだらけの志野茶碗を箱より出す。
両手で包み添えるようにして触れて、持ち上げる。肌に吸い付くような触り心地が、テツトの熱を奪っているようであった。
――どうする。
帳簿を睨んでもカネが生じはしない。後詰や、試合が組まれてからの資金の流れは目途がついた。要となるのは、深宮綾乃を、我妻興業をうんと言わせるための、百万円である。
じっと茶碗の内側を見つめる。十歳の誕生日に、自分が選んだ茶碗である。この選択に父は無言で見つめ、母はため息を吐いた。
テツトはぎゅっときつく唇を結び、茶碗を脇に置いた。
そして、便箋を取り出して、直筆で手紙を書きだした。
相手は片桐禎和。
テツトは勝負に出ることにした。




