剥ぎ纏う刻 6月-3-
我妻興業の門をくぐってから、一か月が経とうとしている。それでもテツトは十万円以上の捻出ができずにいた。サナを広告媒体として利用を希望する顧客はいるのだが、家賃と生活費、そして管轄局への登録料にまわしていた。そもそも、それでも足の出るような稼ぎしかなかった。
試合の依頼もある5月末に一度、6月には2試合、実際に引き受けた。壬生新撰組沖田との試合が高評価を得て、誘いは、大阪管轄局や滋賀管轄局からも届いている。しかしそこまでの準備と交通費で、残る額は僅かである。ファイトマネーを釣り上げを検討しているが、京都管轄局サイドはまだ早いと渋い顔をしている。
そして、サナは引き受けた試合すべてに1対2で負けている。それも一本目を鮮やかに先取しながら、であった。体配にしても、伸身の宙返りにきりもみまでつけて飛んで見せる時があった。試合を重ねるごとに、サナは自らの動きを派手に大きくしていく。そんな印象を受けた。慣らしている、試している。――いや、遊んでいるのか。テツトはそんな感想を抱いていた。
敗北しても、悔しさを欠片も滲ませず、首を傾げながら薄ら笑い、引き揚げてくるサナの姿を改めて発見している。
これ以上に試合を重ねても、プラスになるとは思えなかった。父から渡された資本金はなだらかな傾斜で地へ向かっている。
――これは呼び水なのだから。
そう考えて、手を付けようとしたことはある。しかし、3年360万という絶対条件の前にして、黒塗りに消し込んだ。背水の陣の敷き方は、こうではないと、納まりの悪さを自覚していた。
「でけたで」
教室で企画書を書いていたテツトの元に、ジュンヤがやって来た。髪を寝ぐせのまま遊ばせて、左右に微かに揺れながら立っている。
「寝不足か? 身体は大切にしろよ」
「テットに言われたないわ」
そう言いながらジュンヤはスマホを取り出して、テツトに見せつける。
「言うとった煽りVか」
表示されている再生マークを押してみる。表示されていた画面が動き出した。角ばったフォントデザインでサナと綾乃の名前が大きく記され、二人の試合での動きを緩急つけてカットバックで流していく。三味線の鋭い音色の利いたアップテンポの音楽に合わせて、サナの軽やかな身体捌きや、綾乃の流麗で強かな体配が写し出された。
「凄いな。よう創ったわ」
「ここにインタビューとかが、独白が挟み込めれば、ぽさが増すんやけどな」
照れくさそうに顔を歪めながら、ジュンヤは言っていた。テツトはじっと動画を見続けた。所々で、ガサガサとつんのめってしまうような唐突な暗転や、画面全体がぼやけて映し出されている瞬間はあるが、それがエッジであり、速度を覚えさせた。摩擦から熱を生じさせている。
「よし、これを管轄局にもっていって、公式として流してもらおう」
「おい、本気か」
「本気も本気よ。クラウドファンディングやないが、広く浅く資金を募れられれば――」
テツトには管轄局を訪ねる用事もあった。カエデから打診されて書き進めている企画書の、管轄局として認を貰うことである。市瀬呉服商として、顔見知りに声をかけてみると、やりたいこととその効果を書面で欲しいとの返答を多く受けたとカエデからメッセージが送られてきた。
ネット上にアップロードされている企画書を手本にして、サナと綾乃の試合を企画についての、狙いとその効果を書き進めていき、画像などの許可と管轄局の承認に、佐倉へ連絡を入れると、今日の放課後に寄って欲しいとの返事を受けたのである。
「ジュンヤにも御礼を出さないとな」
「いや、それには……」
「然るべき技能には、それ相応の報酬が必要。そうでなければいずれしっぺ返しがくる」
「……ああ」
きまり悪そうに、ジュンヤは顔をくしゃと寄せた。
「まああれや。テットとサナちゃんを信用して、好きでやったことなんや。それにこれも一つの呼び水の賭け事なんや。馬が配当を渡すか。まあアレや。次回からはちゃんと貰うから、その見本と思っておいてくれ」
テツトが財布から壱万円札を取り出して、ジュンヤに握らせようとするも、彼は頑なに手を広げず、受け取らなかった。その内にチャイムが鳴り、授業が始める。放課後になっても、彼は受け取らなかった。
「それにそんな額じゃあ、割に合わんよ。だから今回は受け取ってくれ」
創意って断るジュンヤの姿がテツトには大きく映っていた。そして、テツトは感謝を抱きながら、きまり悪く席に座って過ごしていた。
放課後に二人して京都管轄局のある四条大橋へと向かっていった。サナやカエデとは連絡を取らなかった。テツトはここ一か月、サナと帰路を共にしていない。朝も朝食の時には顔を合わせるが、出る時間も、乗る電車も別となっていた。仕事の会話だったら幾らでもできるが、普通の会話はどうにも口に出し難かった。
「これから引く手数多に成ったら、どうしような」
ジュンヤがそんな軽口を言っている。
「そしたら、自分らは態のいい踏み台やな。使用料を貰いに行かな、ならんかもな」
テツトはそう返していた。
歩いているだけでもシャツがべったりと貼りつくような気候である。胸元に校章の入った白い半そでシャツに薄手のスラックスと夏服に成っているが、微温く湿った風を受けて、まとわりつくのは不快であった。
小雨が降り、視界はどうにも仄暗い。ざざと流れる鴨川も水位を増しているようであり、岸沿いには人が見当たらない。川向うに設けられた川床にも人はおらず、その奥に控える店々の明かりが、ハーモニカのようであった。
四条大橋を渡り、東華菜館の隣に設けられた扉に入る。中は冷房が効いているのか、両腕を交差させていた。ふと見れば、鳥肌が立っている。
そのまま受付に向かい、呼び鈴を鳴らす。いつもの通り、奥より佐倉が現れて、こちらに寄ってきた。
ジュンヤを前に出して、スマホの画面を佐倉に見せる。作った動画を京都管轄局の公認として号がサイトに投稿して欲しい旨を伝えると、ちょっと待っててとテツトは放置して、ジュンヤを連れて受付から奥に引き下がっていった。
「桑嶋さん、ですね」
透明感の中に硬い芯のある声だった。テツトは咄嗟に背筋を伸ばして、ゆっくりと振り返った。
腰まで届きそうな長い黒髪に、切れ長の瞳、整った顔立ち。白いシャツに紺のスカーフタイとスカート。――深宮綾乃が居た。視線を真っすぐにテツトに向けている。睨まれていると、テツトは身構えた。
「お久しぶり、ですね」
「そうですね。一度、ここでお逢いしていましたから」
「サナの代理人、ですよね」
「ええ、まあ」
「そして、私とサナの試合を組もうとしている」
淡々とした口調だった。テツトはその中に含まれる熱を感じていた。
「考え直してはくれないかしら」
「いえ、それは――」
「私は、怖いの。サナが」
横浜の秋庭宅で、サナと綾乃の仲は聞いていた。サナにとっては唯一無二の友人であった。中学三年の折に、彼女が京都へ越してくるまでは。
「別れも挨拶もできないままだったから、一発、引っ叩かれるかなと、それぐらいは、思っていた」
しかし、サナは広告媒体として、京都に居を移してまでしている。実際に試合が組まれて、サナが綾乃と相対した時、果たしてどうなるのか、テツトは予想を拒んでいる。全てが終わった後に考えればよいとして、目の前のことに集中している。
「サナは、何か言っていますか?」
「――正直、興味ないかなと、初めて打診した時は、そう答えていました」
「今は?」
「聞いていません」
「そうですか」
確かな口調で、真っすぐに言葉を向けてくる綾乃に対して、テツトはさらに好感を抱いた。ただ、表情にはおくびにも出さず、綾乃の視線に眼差しを尖らせて抗っていた。そして、僅かに震えている瞳を見た。
「こういうことは早く決着をつけてしまった方がええ。自分がそう信じているだけです」
綾乃の視線を逸らさずに受けて、テツトはそう言い切った。言い終わった後に心の震えが来た。拳を固めてこれを堪えた。
そして、テツトは自身の顔が険しく尖っていくのを感じていた。




