剥ぎ纏う刻 6月-2-
「しかしまあ、勝負にではったなあ」
煎茶を啜りながら、カエデが言った。赤い毛氈がひかれたソファの上に、紺の浴衣姿でおっとりと構えている。テツトも出された小ぶりの茶碗に手を伸ばした。
「百万円の当てはあるんか?」
「今のところ、未だ十万円」
「で、ウチに無心にきたんか」
「そう言われると……」
「何、私とテットはんの仲やないの。冗談で笑ってもらわな」
そうカエデが返すも、テツトはまるで笑えなかった。口の端を引き攣らせて、不細工な面を作るのが精々であった。
土曜日になった。雨は降り続いている。カメラマンから藤森神社での撮影の依頼があった。早朝から準備を進めて、昼前には終わっていた。サナが薄青のシャツとカーキのスカートと制服の姿で赤い和傘をさし、むらくも咲く紫陽花を背景に撮るといったものだった。雨に濡れて彩を濃く艶やかにした紫陽花とともに赤色が映えていた。雨の雫とともに、瞬間を美しくシャッター音を残して、切り取ってみせた。そしてまたしても、サナの顔を巧く和傘で隠しながら、叙情的な雰囲気と陰影のついたコントラストの写真を撮っていた。
これで一万円。しかし、これはサナの生活費や家賃へとまわす。テツトの中で、使い道はそう決めていた。
――女子高生対決。それはオモシロそうやね。
カメラマンにも綾乃との試合を計画している旨は伝えてみた。
――でも、相手はヤクザや。波はたてんように注意しな。
それ以上、深く何かを口にすることはなかった。これ以上、カネを出してくれるような雰囲気は微塵にも感じられなかった。
波ならばもう立ててしまっている上に、さらに余計なことまで手を出している。
ジュンヤが煽り動画を作りたいとの言葉をうけて、京都管轄局に許可の申請に伺うと、管轄局が動画サイトで配信しているものについては、但書の記入と検閲を受ければ、自由にしても良いとの返答を受けていた。
――でもやっぱり、動画に写っている相手に、カタチだけでも利用の旨を伝えておくのが筋ってもんやろうね。
管轄局の窓口で佐倉はそう付け加えた。
そのため、ジュンヤに使いたい動画を確認すると、深宮綾乃は外せないと言い張った。テツトはその日のうちに改めて、我妻興業の事務所を訪問し、さんざん心を削られるような吠え声を聞かされていた。事務所を仕切っている彫の深い顔の男から、お嬢が悪く使われるようでなければ構わんと返事が出されてた時には、すでに夜中の10時を過ぎていた。それまで、髪を茶色に染めた男に錆びた鉄扉を軋ませたような声を浴び続けていた。
――戦うって決めたんなら、せいぜい矜持を見せてもらうからな。
重い声調だった。テツトの肺腑にどしりと残っている。ヤクザが喧嘩として買った。そう認識を改めた。そして、ヤクザは負ける喧嘩をしない。
――だからと言って、自分が負けるワケやない。
身体は疲弊している。数字の計算すらも間違うようになってきた。それでも、この読みにはテツトは確信を抱いている。
しかしながら、百万円への道程は、二週間が経った今でも、その線を引きていない。
――検討から、受けてくれと言って頷かせた手前、減額は一文もないやろうしな。
帳簿を睨んでいたところで、額が増えるはずもなく、テツトは重たい身体を起こして、手当たり次第に声をかけて動きまわっている。
カメラマンと別れた後、地下鉄でテツトは烏丸御池で降りた。サナはそのまま西大路御池から、桑嶋家に直帰することとなっていた。
――じゃあ、自分はここで降りるから。
そう告げた際、サナは言葉を返さなかった。三白眼はじっと、テツトの顔に向けられていた。睨むでもなく、感情の色は、テツトには読めきれなかった。
テツトは黙してこれを受けて、サナを残してプラットフォームに降り出て、市瀬呉服商に向かった次第である。
「そら、おカネが出せれば、それに越したことはないんやけどねえ」
カエデはそう言って、もう一口、煎茶を啜った。
市瀬呉服商は、祇園祭に向けて、レンタル用の浴衣を整えていた。来週から順次、業者が引き取りに来るそうだ。
「無理を言って申し訳ない」
「ええって。ウチとテットはんの仲やないの」
「それもどうなんやろうな? 単に中学校以来の仲ってだけやないか」
「袖擦りあうも他生の縁や」
「サナがちゃんと市瀬呉服商のプラスに成っとればええんやけど」
「取り敢えず、浴衣のレンタルは去年と同じか毛が生えた程度のプラスや」
浴衣の見本としてサナをモデルとしていたものも多々あった。四月五月にかけて、放課後などに撮っていたのだそうだ。
「サナちゃんがモデルだったやつは、おかげさまで完売や。レンタル先の処も、その写真を使こうてええかって訊ねられてなあ」
――バックがあるなら、ええよ、とテツトは答えている。まだ収入化はしていないが、桑嶋家の長官に挟み込まれたチラシには、赤い流線が描かれた浴衣を着たサナの姿を確認している。カエデから詳細を訊いてみれば、綾乃のような整い過ぎた美人よりも、親近感が持てると踏まれて器用されているそうだ。
ただ、引き取られた数は昨年と同数程度である。そのため収益として具体的な数字とは未だなっていないようだった。そこで写真の利用料を上乗せしようと画策に働いていた。
「写真を使うのだったら、こっちに直に声かけて欲しいんやけどなあ」
「相手さんも巧く利用したいんやろうよ。手早く安く後腐れなく」
「まあ、そうやろうなあ」
頷きながらも、テツトの口からはため息しか出てこない。
「なあ、テットはん。なんでそこまで駆けまわっているのか、わからんけど、私たちまだ高校生やで」
「……」
カエデの言葉に、テツトは俯き加減で反応を堪えた。
「それも親の稼ぎで安泰の、ぼんぼんやないか。何をそこまで奔りはるんか?」
我妻興業でも問われた。――始まらないから、とテツトは答えた。肺腑からでてきた言葉である。ただ、カエデにじっと見つめられながら、同じ言葉を使おうとすると、喉で蓋が閉まったように出てこなかった。
「期限はきっとらんのやろ」
「……それは、そうやけど」
テツトは長期を見越していない。夏休み前に決着をつけようと算段している。ただ、逸る思いが実線として活きていないのを感じていた。
注いでもらった煎茶は空になっていた。無意識的に、テツトは小ぶりの茶碗を持ち上げていた。白磁に青色の幾何学模様が記されている。大正期の伊万里と目方をつけた。理屈は後から出てくる。白磁の色合いや、煎茶の流行時期――。
――煎茶道具はカネにならんからなあ。流派も戦後のどさくさ紛れの怪しいモンが多いし。
父秀幸がぐちぐち言いながら、夕飯を食していたのを思い出す。オークションで良品にありつけず、煎茶器や茶合を仕入れてきた際に、顔をくしゃくしゃに歪めながら、そんな愚痴を漏らしていた。
そして、十年前の父の表情が、脳裏を過った。継ぎ接ぎだらけの志野茶碗を選んだ誕生日。父は色のない真顔で、じっとテツトを見ていた。隣で立つ母は、頬に手を添えてため息を吐いていた。
「見返したいのかもしれない」
ぼそりと呟いていた。
「そうか」
向かいに座るカエデが頷きを返した。
「応援はするよ。もちろん。でも、サナちゃんをあまり悲しませないでな」
「そら、そうよ。わかっとるよ」
「なら、ええ」
カエデが背を正して莞爾と表情を崩した。雨音の響いている市瀬呉服商の奥の応接間で、大柄な彼女の笑みが陽光のように見えた。強張り硬直していた筈のテツトの顔が崩れていく。ハハと声が漏れだした。
「テットはん。笑う時は大らかに笑いなはれや」
「いや、未だその時やないから」
咳ばらいを一つ入れて、慌ててテツトは表情を戻す。その様をみて、カエデは口元に手を添えて、さらに笑った。
「私の方からも、声をかけてみるわ。市瀬呉服商としても、顔が広がるかもしれないしね」
「祇園祭の山に裂を提供している呉服商が、これ以上に顔が広がるんか?」
「あら、テットはんとしたことが、狭窄なことを言いはるなあ。もっとカジュアルに着物を楽しもうって企画が行政から出ているの知らんのか」
「え?」
カエデが冊子を取り出して、テツトに差し出す。金色と紫の紋章が記されていた。
「サナちゃんと私の写真で、市瀬呉服商はこの話に乗っかかっとる。ウチもウチでサナちゃんをちゃんと利用させていただいております」
ページを捲ってみれば、二人の着物姿が載せられていた。藤棚が写り込んでいることから、ゴールデンウイークに撮られたものだと察した。
「テットはんも、もっと利用できるものを、利用すればええ。取り敢えず、やってみなはれ、や」
大きな胸を突き出すように張って、強く言い放つ。そんなカエデの尊大な姿に、テツトはその通りや、と心内で得心しながら、顔を崩していた。




