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剥ぎ纏う刻 6月-1-

 窓の向こう側には、鉛色の雲が広がっている。雨が降っていた。べしゃべしゃに濡れたグラウンドからは、苦みの籠った青い鬱塞とした匂いが教室にまで届いてくるようだった。

 テツトは頬杖をついた姿勢で、座席から動かなかった。どこを眺めるわけでもなく、何を聞くわけもない。授業は何一つ頭に入らず、机上は教科書と白紙のノートが広がっている。シャーペンを掴んではいるが、芯は出ていない。

 教師に指されても生返事をするばかりで、ついには呆れられるほどであった。

 そぼ降る雨と等しく、三日も、そんな日が続いている。


 百万円の目途は立っていなかった。

 帳簿を睨みあわせて、捻出できたのはせいぜい十万円。今後の運営のことを考慮すれば、これが限界だった。

 営業のメールを飛ばし、試合の依頼を送る。稼ぎとなりそうなものに対しては、嗅覚を鋭くして、探りまわる。我妻興業から帰ってから、気を張って動き続けていたが、空回りばかりであった。


「おい、メシの時間やで」


 ジュンヤに頭を小突かれて、ようやく、手を顎から離した。


「メシ食いに行こうや」

「そうか。そうだな」


 両手をついて勢いを借りてようよう立ち上がる。吐く息は気怠く重たかった。


「お前、ホントに大丈夫だろうな?」


 ジュンヤが訝し気に訊ねてくる。


「大丈夫じゃなかったら、入院するだけや」

「この時期にそれは人生のアガリやないのか?」

「アガリを決めるには未だ早いやろ」

「そうあってくれよ」

 

 強かに肩を叩かれるも、テツトは流されるままにした。

 昨日は昨日で、カエデから、いじられている。目下にできた黒々とした隈が、いつか瞳に届くんやないか、と縁起でもない冗談を言われた。梅雨時期というのに、酷く乾いた苦笑いしか出てこなかった。


「そういや、サナちゃんはええんか」

「メッセの連絡は来てへん。カエデはんと食べるやろ。かまへん。行くぞ」


 テツトは首裏を掻きながら、顎を振ってジュンヤを促す。教室を出て、食堂へと向かった。言葉に棘が含まれているような思いは、後からジワリと胸内に滲み出てきた。


――苛立っているな。


 その自覚を認めつつも、心を改めるような感情は起こらなかった。


 サナとは顔を合わせている。同じ家に暮らし、食卓は一つしかない。準備するのもテツトとなっている。また、先週末も広告媒体としての仕事のため、共に行動している。

 口数は少なくなった。テツトは会話が亡くなっても、仕事に支障が出なければそれでいいと割り切っていた。ちらちらと探るような視線を送ってくるのは、サナの方であった。視界の隅で、三白眼の彼女の顔が入り込む時がある。しかし話しかけられるでもなく、何かアクションを示すわけでもない。テツトは気づかないふりを決め込んでいた。


「ええのか? それで」

「ええやろ。これで。ガキじゃあるまいし」


 口をまわすほど、吐き捨てるような言葉しか出てこない。広告媒体の試験に、それも厳しく人間性も問われる内容に、サナは合格している、とテツトは自分を瞬時に納得させて、言葉を腑に落とし込んだ。


――良くないな。


 ゴールデンウイーク前までは、サナはわざわざテツトの教室まで来ていた。そして、ジュンヤとともに食堂へ赴いていた。カエデもしばしば一緒だった。


「まあ、アレやな。特進で友達ができたんやろう。いいことや」


 囁きよりも小さな声で言っていた。もはや誰に向けての言葉かもわからない。重たい瞼に鈍い脚。身体を引き摺るようにして廊下を歩いていく。


 ポケットの中からスマホを取り出してみる。メッセージは一通も届いていない。代わりにメールは何通か受けていた。広げてみると、テツトの営業メールに対する断りの返事ばかりであった。


 鉄扉を開いて渡り廊下に出ると、ナツミが居た。庇の下で雨から逃れるようにしている。


「お昼、行きましょう」

「ええんですか?」


 先に声を出したのは、ジュンヤであった。


「ジュンヤ君も一緒に行こうか」

「それは勿論。ありがとうございます」


 柔和にほほ笑むさまは一輪の花のように可憐であった。テツトのささくれだった心を慰撫するようであった。


「もしかして、待ちました?」

「そんなことないよ。私もちょうど来たところ」

「それなら、よかった」

「最近ほら、テツト君、忙しそうだったから」


 ゴールデンウイークの後にも、数回、こうやって昼食を共にしている。しかし、横浜から帰って以降は、顔も、メッセージのやり取りも交わしていなかった。


「いいよな、お前は。こんなキレイなお姉さんが幼馴染で」


 背後でジュンヤが恨めしそうに呟いた。敢えて応える義理もなしとして無視をした。


「でも本当に、酷い顔をしているよ。あまり無理しないでね」

「それは、もちろん」

「まだ高校生なんだし。お父さんにつき返したら」

「いや、まあ…」


 深宮綾乃との試合を計画している。これについては、すでにジュンヤに告げている。彼は驚きはしたが、注目度を上げるには最良の策であると応援を受けた。ナツミも、彼女の父である禎和から、伝え聞いているかもしれない。テツトはすでに彼に向けて、出資願いのメールと陳情訪問をしていた。

しかし、綾乃の所属事務所である我妻興業がヤクザであることは話していない。

 そしてこのことは、ナツミには更に言い出せない。彼女の背後には、片桐ホールディングスが控えている。


「無理しない、怪我しない、まだ学生。本当におカネに困っているワケでもなし。身体潰すようなことすんなよ」

「あと、今日も昼食はかけうどん一杯だけとかではないでしょうね」


 昼食の献立については何も考えていなかった。ただ、ナツミの注意がなければ手癖のようにかけうどんを頼むところだっただろう。

 どこか身体がむず痒い。しかし、テツトは二人に感謝した。顔や言葉には出せなかった。食堂に着き、テツトは衣笠丼を頼んだ。


「これも食べてなさいって」


 ナツミがそう言いながら、ヨーグルトをテツトのトレーに置いた。


「私のオゴリよ。頑張っているテツト君にね」

「そんな――」

「それに父からの無茶な頼みごとにも答えてもらっているしね。たまには私が」


 しどろもどろとなっているテツトを尻目に、ナツミが先に会計を済ませて、ジュンヤが確保していた座席へと向かっていた。

 テツトは彼女の背中を見つめながら、鶏のように頭を下げて礼をした。


 油揚げと青ネギを卵でとじた衣笠丼を厨房から受け取り、テツトも会計を済ます。


「しかしまあ、資金のやり繰りは大変やな。国家資格なんやから、もっと廻りがいいモンかと思っとったんやけど」

「知名度があって、引く手数多となったらそら、契約金も吊り上げられるし、カネ廻りも良くなるやろうけど……」


 サナは京都出身ではない上、女子高校生としての広告媒体は深宮綾乃という、見た目も醸し出す雰囲気も上位である。またヤクザがシノギとして使っている点も見逃せない。我妻興業については、また調査に着手したばかりのテツトであるが、京都祇園を仕切っている筆頭ヤクザの傘下の企業であり、綾乃は組頭の姪にあたることまでは把握できた。

 器量の整った綾乃をシノギに利用するために、京都に引き上げさせたのは容易に想像できた。


――だからこそきっと、綾乃はサナから突然、去ったんやろうな。


 苗字が変わったのも、両親が離婚したからであろう。深宮の苗字で探ってみれば、組頭の母方の姓であることが判明している。


――彼女も大人の都合に振り回されている。


 そんなことおくびにも出さずに、ポスターに写り、美しく振舞い、試合では勝利を重ねている。


――そして、サナは綾乃を追っかけてきた。


 もそもそと丼に箸をかきながら、食を進めていく。


「なあ、テット。お願いがあるんだが」

「どうした?」


 すっかりカレーを食べ終えたジュンヤが口を開いた。


「一つやってみたいことがあるんだ」

「やればいいやん」


 淡白にテツトは応える。それを聞いて、ナツミは眼を細めて口に手を当てて小さく笑った。


「いや、テットに係ることや。動画を作ってみたいんや。サナちゃんの動画」

「サナの動画? 作ってどうするんや?」

「そらお前、それを動画サイトに流して、SNSで拡散。そうやって資金を乞うや。プロモーションビデオ。煽りVや」


 ジュンヤが前のめりになって言い放つ。テツトは重たい瞼を広げて、背をわずかに反らせて、これを受けていた。


「一度でいいから作ってみたかったんや。お代はいらんから、やらせてくれないか?」

「面白そう。でもジュンヤ君、編集できるの? あと、素材とか」

「画像編集ならいつもしているけど。動画はない。ただソフトは持っているから、何とかなるやろ」

「で、素材は?」


 テツトが訊ねると、ジュンヤはいやらしく唇を歪めさせた。


「物は持っているけど、著作権的に、ね」


 衣笠丼への箸が止まった。ただテツトには一つの案がすぐに出てきた。


「なら、管轄局に掛け合ってみるか?」

「はあ?」


 ジュンヤが素っ頓狂な声を上げて応えた。


「ついでに、管轄局が、ジュンヤの動画を公式認定してくれれば万々歳やな」


 テツトには諦めも絶望もない。資金繰りのための算段は、常に廻っていた。

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