命に名前なんてないのに……
その頃、彩は裕也の勧めで再び両親の墓前に手を合わせるためスゴイ王国にいた。
この国の医師たちは、彩が以前に帰国して以来、彼女から送られてくるオペのDVDや、時折、短期でやって来てくれる中山総合病院の中堅医師たちの指導によって、相当に腕を上げていたが、彩が来ることを知って、困難なオペ二件をその日に合わせていた。
今や日本に心の傾いている彼らは、彩の指先が囁かないことを知っていたが、それでも海堂夫妻の娘、そして王子を救った海堂彩がアドバイスしてくれるだけで十分だと思っていた。
国王の所に挨拶に出向いた彩は、彼から頼まれていたお土産の扇子を三本持参していた。
「彩さん、ありがとう。写真では見たことがあったのですが、実物にお目にかかるのは初めてです」
「いいえ、こんなもので良ければいつでもおっしゃって下さい」
「ここが扇の要なんですね」国王は扇子を開きながら要の部分を見つめていた。
「何か思いがあるのですか?」
「あなたが王子の手術をしてくださった時に、思いだしたのです。昔、あなたの父上に言われたことがあるんです」
「えっ、父が何を……」
「多くの患者がいる中で、私は、側近の者達を優先して欲しいとお願いしたのですが、あなたの父上は、命の重さは皆同じ、命に名前なんてないっ……って叱られましてね」
「命に名前はない……」彩はなぜかドキッとした。
「はい、確かにその通りだと思いました。でも、私が感染して、国内にいた回復者のたった一人のB型血液を私に輸血するように指示があった時、私は一瞬悩みました。私が輸血してもらっていいのだろうかって…… そしたら父上が、『あなたは扇の要だ、要が壊れたら扇は開かないって言われて…… 話の中身がわからなくて悩んでいたら、『これ以上苦しめないでくれ、指示に従ってくれ』って言われて……」
「そうだったのですか」
「その後、何となく意味が解ったのですが、国の再建に忙しくて忘れてしまっていたのに、
あなたが王子の手術を行ってくれた時、思ったのです」
「……」
「あの時、外務省の中野さんは、あなたがこの国で手術することをとても心配していた。私にはその思いがよくわかったが、それでも私は信じて欲しかった。だけど、当のあなたは、そんなことは気にもしないで手術を行った。あの時、あなたにとって命は皆同じなんだ、国内も国外も関係ないんだ…… あなたの父上がおっしゃったように【命に名前なんてない】、あなたもそう思っているんだって、モニターを見ながら、その背にあなたの父上を見ているようでした。そしたら、急に扇子が欲しくなって……」
( 命は皆同じ、命に名前なんてない……)
彩は雷に打たれたような衝撃を受けた。
( どうして気が付かなかったのっ……! なんて馬鹿なの私は…… こんな簡単なことなのに…… 何で…… )
そこに至った時、彩は胸の底から突き上げて来るような激しい悔しさに、一瞬戻しそうになったが、その後、右手に確かな命を感じた。
その右手を見つめて握りこぶしを作り、開いてみる…… 全く違和感はない。
( 私は滝宮という名前に惑わされてしまった…… なんて愚かな…… でも、できるっ! )
その日、彩が立ち合いを求められたオペは脳腫瘍の摘出で、かつての王子と同じであったが、ほとんど進行しておらず、さほど困難なオペではなかった。
オペは順調に進み、その様子を見ていた彩は、
( 国が変わっても患者は同じなんだ、皮膚の色も関係ないし、言葉の違いも関係ない、命は全て同じ、命に名前なんてないのに…… ) その思いをかみ締めていた。
やがて最も危険な箇所に入って来た時、彩の言葉が通じにくく、彼女は何度もメスを止めさせ、身振り手振りを交えながら細かく説明したが、それが伝わったのかどうか、執刀医のメスが震えているように見えて、不安になった彼女は
「私がやってみましょう」といってメスを取って数か所のガン細胞を剥離してしまった。
( もう大丈夫、絶対にできるっ )
オペが終了した後に執刀医から
「彩先生の指先は大丈夫なんですね」と言われ
「はいっ……」彩は、オペをイメージしてみるが、指先は震えない。
確信を持った彼女の心がついに動いた。
彼女は二件目のオペでも、あえてメスを走らせてみたが全く違和感はなかった。
(できる……! 滝宮環奈のオペができる…… 進行していなければまだいけるかもしれない、救って見せる )
目に輝きの戻った彩は、帰国を二日早め、その日の内に日本に向いたいと思い、国王と王子のもとに挨拶に向った。
「彩さん、私は星野さんから全てを聞いています。どうして、そんな男の娘を救うことに懸命なのですか? 私は、今夜の食事を楽しみにしていました。そこまで無理しなくてもいいじゃないですか……」
王子は楽しみにしていた彩との食事会をキャンセルされ、落胆したこともあったが、それにも増して、なぜ、滝宮みたいな人間の娘を救いたいのか、それが理解できず、暗い顔をしていた。
「王子、私は医師です。救える命は救いたいのです」
「でも、滝宮に見殺しにされた三人の遺族の思いはどうなるのですか、彼らは救って欲しくないと思っているはずです」
「遺族の方々の滝宮に対する思いが、その娘さんに向いてしまうのは仕方ないかもしれません。でも、十七歳で亡くなった子の父親は、『娘は助けてあげて』って言っているような気がしてならないって、電話をくれました」
「なんと…… 私には理解できない」
「遺族の思いはそれぞれだと思います。でも私は医師です。何があろうと滝宮に対する憎しみを患者に向けたくはありません。救える命から目を背けることは罪だと思っています」
「彩さん……」
「まるであなたの父上の話を聞いているようです」
国王は感慨深そうに口を挟むと、過去を思いだしたのか、目を潤ませていた。
翌日、静岡に帰った彩は、滝宮環奈からメールが届いていることを知ってすぐに目を通した。
『 海堂彩様 滝宮環奈です。 このメールを読んでくれたらうれしいです。私はいま、西塔会病院でお世話になっています。
病院長先生とよく彩ピー(あなたのこと)のことを話しています。
彩ピーが凄い医者だということはよくわかりました。でも彩ピーは大きな勘違いをしています。彩ピーは私の命を救うことができるのに、指先が震えてオペができないって、それでぐずぐず言っているんですよね。
だけど、私は救って欲しいとは思っていません。
誰かがオペしてくれて助かったとしても、一生、あの人殺しの親父の娘として生きて行くんだよ。そんな人生は嫌です。
死ぬのは恐いよ…… でも…… 死んでしまったらあいつの娘としての人生はそこでジエンド、終わるじゃん
そしたら次の人生は、お金持ちじゃなくても、普通の人でもいい、だけど人を傷つけないような親父の娘に生まれたいよ
自殺しないで最後まで頑張ったら…… 神様はきっと、次はそんな人生をくれるよね……
だから彩ピーのそんな思いを押し付けられても迷惑なんです。
だいたいそんなことをぐずぐず言っていたら、本当に救って上げないといけない命を見捨てることになってしまうよ。それって、親父と一緒じゃない、誰かを見殺しにしてしまうってことに関しては同じでしょ。
いつまでもぐずぐず言わずにやることやんなさいよ、私が悪者になってしまうじゃん。
しっかりしなさいよ!
彩ピーの顔面にパンチ! 』
これを読み終えた彩は微笑んだ。
( いい、救って欲しくなくてもいい、でも救って見せる )
そう思って、西塔会病院の髙井病院長に電話を入れた彩は愕然とした。
『彩さん、今朝、亡くなられたんだ』
病院長の言葉に、彩は呆然として立ち尽くした。
彩の後、メールを読んだ裕也が、彼女に代わって受話器を取った。
『ご無沙汰しています。裕也です』
『今朝、亡くなられたんだ…… 本人の意志が死に向っていたからね、進行がとても速かった』
『そうですか、残念です』
『彩さんは大丈夫だろうか?』
『はい、大丈夫です』
裕也には、突然の知らせに今、呆然とはしているが、彩はもう大丈夫、そんな思いがあった。
「彩、残念だったな」
「うん……」
「でも、救える命じゃなかったんだよ」
「えっ」
「お前は救える命なのに救えないって言っていたけど、最初から救えない命だったんだよ」
「……」
「救えるか救えないかって言うのは、俺たち医師の技量だけの問題じゃない。神が様々な要素を用意している。なのにそれを全て自分のせいにするのは、神様を馬鹿にしているだろう」
「何となく、そんなこと思っていた……」
「そうか、高島教授の言葉を思い出したよ」
「えっ、そうなの……!」
「ああ、 『君の成長を待てなかった命がいくつもある。でも、今の君なら救える命がいくつもある。そして今後の君には、もっと救える命がある。ただひたすらに、救える命を救えばいい…… 救える命から決して目を逸らしてはいけない』…… こんなところで立ち止まっている場合じゃないよ、救える命に目を背けていたって気が付いたよ」
「うん、わかる…… 」
「明日の葬式には顔を出してあげるか?」
「うん、行ってくる」
「そうか、俺は参らないけど、ついて行ってあげるよ」
「うん、ありがとう」
翌日、十二時から始まった滝宮環奈の葬儀はとても寂しいものだった。
誰も参る者がいない中、環奈の両親が俯いたまま座っていた。
親族でさえ、香典を置くと、席には着かず帰って行く中、担任の教師が五人の女生徒とともに焼香を終え、席に着いた。
彩はそんな式場に足を踏み入れて、一瞬驚いたが、それでも祭壇に向って進むと、読経が続く中、焼香を済ませ、手を合わせると静かに目を閉じた。
( 次の人生はあなたの言うようになるよ、きっと大丈夫だよ。 それから、ありがとう、メール読んだよ。『いつまでもぐずぐず言わずにやることやんなさいよ』って言われて、顔面にパンチ食らったみたいだった! この言葉、これから私の宝物にする。だけど、あなたの思いはあっても、私は救いたかった。 私は医師だから…… 間に合わなかったけどごめんね )
その姿を見た女生徒達が囁き始めた。
「海堂彩よ」
「かわいい顔しているわねー」
「あんなに小さいんだ……」
「でも、あんなに悪者にされたのによく来たよね」
「やっぱりすごい人なんだ……」
その会話を聞きながら担任の若い女性教諭は、彩の横顔を見つめて光輝いていることに驚いた。
( 彼女は、心から冥福を祈っているんだ……)そう思って
「あんな奴の娘の葬式なんて行きたくない」って言っていた他の生徒たちを説得できなかった自分を恥ずかしく思った。
しかし、それでもその光が『頑張りなさい』って囁いているような気がして
( 明日でも遅くない、絶対に皆を説得しよう、環奈ちゃんと親は関係ないということを皆に教えなくっちゃ )心でそう決意していた。
お参りを終えた彩が滝宮夫妻に頭を下げると、二人とも、俯いたまま静かに頭を下げたが、彼らの胸中を察することはできない。
式場を後にした彩は、外で待っていた裕也とともに歩き始めた。
「気持ちよくお別れしたみたいだな」
「うん、ありがとう。長い間迷惑かけてしまって、ごめんね。本当にありがとう」
「もう大丈夫そうだな」
「うん、明日からはオペ室に入る」
「そうか、やっぱり笑っている彩がいいな」
「スゴイ王国でね、国王から父の話を聞いたの……」
「……」
「側近を優先してくれって言った国王に、命の重さは皆同じ、命に名前はないって言ったらしい」
「へえー、やっぱりすごい人だったんだなー……!」
「命に名前なんてないのに、私は滝宮という名前に惑わされてしまった」
「そうだなー、俺だって同じだよ」
「オペを見ながら、人の命ってすごいなーって思ったの、皮膚の色も、言葉の違いも関係ない、命は全て同じ、やっとそのことに気が付いたの……」
「そうか、確かにそうだよな、命に名前はないよな、『ただひたすらに、救える命を救えばいい……』 ただそれだけなんだよな……」
「うん…… それにね、神の指先なんて言われるようになって、知らないうちに神様に守られているような気がして、どこか自分を見失っていたのね。だけど、この指先は神様のものじゃない、私の指先なんだって思って、神様が救うんじゃない、私が救うんだって、なんか久しぶりに自分の心が動いたような気がして、『よしっ』って……」
「そうか、海堂彩が開眼したんだな…… 」
「えっ、そうなの……」
「いや、ごめん。叔父さんの真似してかっこよく言ってみたんだけど、突っ込まれるとよくわかんないんで、聞かないでくれよっ」
「もうっ、裕也さん……!」
「はははっははは」
「それで裕也さんは何かしたいこと見つかったの?」
「ああ、とりあえず丸々大学でメスを持とうかと思っている」
「じゃあ、学部長の招へいに応じるんだ」
「いや、教授の席は断った。講師として若手も育てながら、救える命を救っていく」
「その方が似合っているし、かっこいいね」
「伐々大学もさ……」
「えっ、あそこにも顔出すの?」
「ああ、新しい学部長は、総診の松山さんなんだ」
「ええっ、そうなの…… そりゃ断れないわね」
「それに、高島さんが築き上げた城なんだ、再建に力を貸してくれって言われてさ」
「そりゃ、ますます断れないね」
「まっ、週一なんだけどね、いいかな?」
「もちろんですよ、時々、私も顔出すよ」
「ありがとう」
「それから、子どもつくろうね」
「えっ、急にどうしたの」
「だって、子ども欲しいよ」
「そうだな……」
「頑張ってよ、一緒になってから、まだ片手ぐらいしかしていないんだからねっ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ、とても海堂彩の言葉とは思えないよ……」
「何を言っているの、私だって女なんだから……」
春先の肌寒さが残る中、駅に向う二人を透き通った陽光が静かに照らしていた。
完
最後までお付き合いをいただきまして誠にありがとうございました。
私の中にある全てをさらけ出した物語です。言いたいことは全て物語の中に閉じ込めました。
決してスゴイ王国が架空の地だとは思っていません。日本の心を知る海外の人々の象徴の国だと信じています。 人として恥ずかしい国とは付き合わないで欲しいですが、そうもいかないのでしょうね。
最後までお付き合いをいただいてありがとうございました。
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