兄さま、復活なさって!
リシュレー伯爵家に着いたわたしは馬から飛び降りて、背中に大剣を背負った状態で屋敷に駆け込んだ。
「アナベルさま、お帰りなさいませ!」
「兄さまの容態は⁉︎」
メイドたちが、兄さまの部屋に向かって歩くわたしを取り囲んで、剣と防具を外してくれた。シンプルなシャツとパンツ姿になったので身体が軽い。
「……セディールさまは、先ほどよりお水を召し上がるのも難しい状態にございます」
「なんですって?」
これはまずいわ、肺炎を起こして熱が高い上に水分を取れないと、脱水症状を起こしてしまう。
「シチューを入れる器とスプーン、そして飲み水をたくさん持って来なさい!」
指示を出すと、わたしは足早にセディール兄さまの部屋に向かった。
「ベルさま!」
「カティ、兄さまは……」
ベッドサイドに駆け寄ったわたしは、兄さまの顔を見て凍りついた。
……なんで、こんな真っ青なの?
高熱があるはずなのに、本当なら赤くなっているはずなのに、兄さまの顔はまるで人形のような冷たい色をしている。そう、セディール兄さまは元々美しい顔立ちをしているので、無表情で目をつぶっていると、まるで精巧な作り物のように見えるのだ。
「息は、呼吸はちゃんとしているの?」
顔を寄せると、かすかに空気が揺れている。喉に触れると、脈動が感じられるけれど、とても弱々しい。もしや、脱水して血圧が下がっているの?
「アナベルさま、シチューの皿です」
食器と水が届いた。
わたしは急いで革袋のシチューを皿にあけ、スプーンにスープをすくった。病人にも食べやすいように、さらっとしたシチューに仕上がっているのだ。こっくりと煮込まれたこのスープにはドラゴン肉の滋養がたっぷり染み出している。一口食べれば、体力が回復するはずだ。
カティが気を利かせて兄さまの頭の下にクッションを入れ、少し起こしてくれた。
「兄さま、聞こえる? これを飲んで頂戴、病気が治るわ」
わたしはその口にドラゴンのスープを入れる。
「兄さま、飲んで」
しかし、力なく息をする兄さまには、スープを飲み込む力がない。口から溢れたスープを、カティが布で押さえた。
どうしよう、ひと口でもいいから飲んでもらわないと、兄さまは……。
スープを飲み込むことができるように回復魔法をかけたいけれど、兄さまは消耗し過ぎている。この状態でかけると、最後の体力を使いきってしまう恐れがあるのだ。
けれど、飲み込まなければ、命の火が消えてしまいそうだ。
「どうしよう……どうやったら、どうやったら……」
考えている猶予はない。
回復魔法を使うと同時にスープを飲み込ませ、命が尽きる前に体力を回復させる。
危険な賭けになるけれど、兄さまに残った体力にかけるしかない。
「兄さま……」
わたしは兄さまの背中に左腕を差し込んで起こし、自分の口にスープを含んだ。
右手に回復魔法の光を灯し、兄さまの頬に当て、それと同時に口移しでドラゴンのスープを飲ませた。
「飲み込んで! 兄さま、死ぬ気で飲んで! ほら!」
わたしは回復魔法を兄さまの喉から胃に向けて細くかけた。ぎりぎりの、命が尽きないような微妙な技だ。
「飲み込んで! 兄さま、お願い!」
「……ん……」
セディール兄さまの喉がぴくりと動き、スープを飲んだ。
「やったわ……」
兄さまの呼吸が大きくなる。ドラゴンの滋養強壮効果が出てきたのだ。わたしはもうひと口スープを含んで、今度は魔法なしで口に移した。すぐに飲み込んだ。
「よかった、飲めてるわ!」
「ベルさま……」
「カティ、兄さまが飲んだわ!」
すると、セディール兄さまの顔色が良くなった。まぶたが震えて、ゆっくりと開く。
「ア……ベル……」
「兄さま! カティ、水を」
カティが水の入ったカップを差し出すと、兄さまは手を上げて受け取った。わたしはそこに自分の手を添えて、兄さまが水を飲むのを手伝った。
「……美味いな……」
さすがはドラゴン、ものすごい効果だわ!
「さあ、兄さま、もっとシチューを召し上がって」
わたしは口にスープを含み、ぴたりと動きを止めた。
あ。
待って。
わたし、何をしようと……っていうか、何をしたの……かな、あれ?
とりあえず、口のスープを飲み込んだ。
「に、兄さま、その、飲んでね」
慌ててスプーンにスープをすくい、兄さまに飲ませる。
うん、しっかり飲めてるわ、じゃあ次は肉ね!
「アナベル、これは……」
「ドラゴンの肉のスープよ。ほら、お肉もとろけるように柔らかく煮えてるから食べてね」
兄さまの口をふさぐように肉を放り込むと、もぐもぐとしっかり噛んで飲み込んだ。
「なんて美味しいんだ!」
「さあ、どんどん食べて!」
お皿一杯のドラゴンシチューを食べた兄さまは喉の渇きを訴え、たくさん水を飲んだ。身体から汗が噴き出しびっしょりになった頃には、さっきまで呼吸が止まりそうだった兄さまは、全身から生気を放つ健康な青年になった。
「セディールさま、お湯のご用意をいたしました」
気の回るカティがお風呂の仕度をしてくれたので、兄さまは湿ったベッドから起き上がった。
「アナベル、ありがとう」
「兄さま……」
しっかりとした足取りで立ち上がった兄さまの姿を見て、緊張の解けたわたしの目から涙が溢れ出た。
「兄さま、『悪魔の天秤』が猛威をふるって、王宮は大騒ぎです。もう皆ドラゴンシチューを食べて回復していると思うけれど、国民全部に行き渡るように炊き出しをしなければならないから……」
「わかった。仕度ができ次第王宮へ向かうよ」
兄さまは浴室へ向かおうとし、くるっと振り返ってわたしの頬に唇を寄せた。
「ありがとう」
「……」
お湯を流す音が聞こえる。
兄さまが汗を流しているのだ。
カティがベッドのシーツを剥いで「マットを干したいわ……」と呟いたので、わたしは右手を上げて魔法を使って一瞬で乾燥させた。
「ベルさま、ありがとうございます」
そして、ベッドメイキングを終えたカティは、なぜかにやにや笑いながら部屋を出て行った。
お安い御用よ。
湿気ったベッドでは、兄さまが安眠できないものね。
ええと。
なんか今、兄さまが……わたしのほっぺに……。
「いやいやいやいや、ない! ないから! 絶対ないって。うん、わたしの考え過ぎだよね、うんうん。あれだわ、命を救ってくれてありがとうの意を込めて、妹分に大奮発してくれただけ! そうよ、きっとそうだよ、うん、そう」
「なにがそうなの?」
「うひゃっ」
わたしがわたわたとしながら大声でひとり言を叫んでいたら、いつの間にやらお風呂から上がった兄さまが後ろに忍び寄っていた。
パンツ一丁で!
「さっぱりしたよ。なんだか、生まれ変わったみたいに身体が軽いし」
髪から水滴を垂らしながら、水も滴るいい男が笑顔で言った。
「そっ、そそそれは良かったわ、さすがはドラゴンの肉ね」
そして、さすがはセディール・リシュレーさま、いい身体をしてますね!
わたしは、じっと兄さまの半裸を見てしまい、はっとして視線をさまよわせた。
ダメだわ、ドラゴンのバーベキュー肉をたっぷりと食べたわたしも、滋養強壮効果でいろいろとみなぎってるわ! 鼻の血管が『決壊ーっ!決壊注意ーっ!』と言ってむずむずするの。
「兄さま、か、髪を乾かした方がよろしくてよっ、せっかく元気になったのに、風邪をひいたら大変ですもの」
「そうだね、タオルを取って」
「はい」
カティがベッドサイドに置いて行ったタオルを手にすると、セディール兄さまが頭を差し出した。
「ん」
「へ?」
「ん」
ふ、拭いてと、そうおっしゃる?
半裸の男性の頭を拭けと?
無駄にパワーがみなぎるわたくしに?
「ん?」
ものすごいドアップで、アイスブルーの瞳に見つめられた。
ああっ、やめて!
今、レーザーのごとく、何かがわたしのハートを貫いたから!
ほんのりと笑みを浮かべた秀麗なお顔が、なぜか迫ってきたので、わたしは慌ててタオルをかぶせて隠した。そのままわしわしと兄さまの髪を拭く。
「ええと、その」
「『悪魔の天秤』にはドラゴンの肉が効くんだね」
「はい」
「アナベルが手に入れてきたの?」
「はい。フェイお姉さまの許可をもらいました」
「そうか。すごいね、アナベルは」
髪を拭き終わると、兄さまは「背中も拭いて」と筋肉がついた素敵に細マッチョな背をこちらに向けた。
な、なんなの、この甘えっこさんは⁉︎
だから、わたしの鼻の毛細血管がピンチなんだってば!
「アナベルには、あとでご褒美をあげようね」
こちらに向き直った兄さまは笑顔で言ったけれど、もうご褒美はたっぷりいただきました!
ご馳走様でした!
そして、服を着て、いい笑顔でわたしの頭を撫で撫でした兄さまを見送ったわたしは、しばらく両手で鼻を押さえていたが、我慢できずに兄さまのベッドにダイブした。
「いやあああああああああ、カッコいいーっ! 超カッコいい、死ぬ! もう死んじゃう! うわああああああ、どうしよう、まじヤバいって、兄さまにちゅーされちゃったし、うきゃああああああーっ! ほっぺちゅーーーーっ! 永久保存したい! もうほっぺに結界張りたいーっ!」
叫びながらゴロゴロと転がりまわって、せっかくカティが整えたメイキングをめちゃめちゃにしてしまった。
でも、カティは全然怒らなかった。
壊れたわたしの様子を見てぷっと噴き出し、その後「ベルさま、よかったですわね……」と目頭を押さえて微笑んでいた。




