この世界には魔法とスキルがある
変なスイッチが時折オンするらしい、セディール兄さまとカティさんに戸惑いを覚えつつ、伯爵家の美味しい夕食を堪能した後、わたしたちはリビングルームに移動してそこでゆっくりお茶を飲んだ。
この時間の使い方は、さすが貴族さまである。
食堂にいた時は、夕方から開店しなければならないので、父さんの夕飯をたっぷり食べたらもう時間は取れなかったし、こんなお上品なカップでいい香りの高級なお茶を飲む機会などなかった。
貴族の生活では、社交的な仕事でもあるティーパーティが開かれたりするから、お茶のお作法も覚える必要があるとセディール兄さまが教えてくれた。でも、今日はそんなことは気にせずにお茶を楽しみなさいと言ってくれたので、普通にまったりさせてもらって、今後のことについての説明を兼ねて会話をしていた。
「こちらに来て早々だけど、調べておきたい事があるんだ」
白いカップを手にして優雅にお茶を飲むセディール兄さまの姿は、絵のように美しかった。
うん、この世界の貴族はイケメンが多いんだよね。セディール兄さまも、イリアスおじさまも、騎士のフレデリックさんも、少女マンガに出てきてもおかしくない程の美形なんだよね。
そういうわたしも、正統派の美少女だし。
何度も言うけどね。
……でも、モテないんだよね……人間の魅力は外見じゃないって事なのかな、くうっ。
「アナベル?」
「あ、ごめんなさい」
兄さまに見惚れて、返事をし忘れてたよ。
イケメンって罪だよね。
こういう時は笑ってごまかそう、と、ぺろっと舌を出しながら「えへ」と言い、瞬間的に(しまった!)と後悔する。
レオン父さんや、エマ母さんには通用するけど、こんな庶民的なお茶目は貴族の令嬢がする仕草じゃないよね!
わたしは慌てて舌を引っ込めて両手で口元を隠し「兄さま、ごめんなさい……」と上目遣いで謝った。
「下品なところを見られちゃった……」
「ア、アナベル! 熱っ」
兄さまは目を見張って強い口調で言い、ついでにカップをソーサーにかちゃりと置いた勢いが強かったので、手にお茶がかかってしまったらしい。
「大変!」
わたしは立ち上がってセディール兄さまの前に膝をつくと、兄さまの手の火傷を確かめた。
「少し赤くなってる。ヒリヒリするといけないから、冷却魔法で冷やすね」
父さんや母さんは滅多にないけど、メリーは結構やんちゃな女の子なので、火傷や切り傷を作ることがあり、わたしの手当ても手馴れたものなのだ。火傷をしたら、皮膚を充分に冷やすことが回復を早めるし、わたしは料理に使うので冷却魔法はお手の物だ。なので、兄さまの白い手にわたしの包丁ダコのある庶民的な手をかざして「コールド」と唱えた。たちまち火傷の赤味が消えたので、ごく弱い回復魔法もかけておく。
うん、メリーを育てたから、お姉ちゃんはこういうのもできるんだよね。
「ケアリー! ……はい、綺麗に治りました。いい子にしてたね……じゃないわ! やだ、ごめんなさい、わたしったら」
ついうっかり、メリーにするようにセディール兄さまの手を撫で撫でしてしまったわ!
目上の成人男性に、いい子いい子しちゃうなんて、わたしったらなんておっちょこちょいなの!
わたしはおそるおそる、椅子にかけたまま固まっているセディール兄さまの顔を見上げた。すると案の定、兄さまは真っ赤な顔でわたしを見ながら、怒りのあまりか口元をヒクヒクさせていた。
「兄さま、失礼なことばかりしてごめんなさい! ……やっぱり怒ってるのね? そんなに怒らないで……」
わたしが兄さまの手を離して引っ込めようとしたその指を、握って引き戻された。
「ひゃっ」
「お、怒ってなどいない!」
わたしが悲鳴のような声をあげると、セディール兄さまは仁王のように赤い顔のまま言った。
いやいや、顔が怒ってるからね、説得力ないよ!
「兄さま、手を」
「怒ってない。可愛い妹に治療をされて怒る兄がどこにいる⁉︎」
ええと、ここにいる?
「そうではなくて、その……」
「その?」
わたしの手を返してくれない兄さまと、しばし見合ってしまう。
「だから、その……」
「その?」
わたしが首を傾げていると、セディール兄さまはわたしから目を逸らしたまま右手を伸ばして、手のひらをわたしの頭にポンと置いた。
「……ありがとう」
セディール兄さまが。
わたしの頭を撫でた。
撫でぽ! 撫でぽだ!
「に、兄さま……」
恥ずかしくて熱くなった頬を両手で押さえて兄さまの顔を見ると、兄さまはちらりとわたしの顔を見て、そして片手で口元を覆い「くっ、限界だ!」と呟くと立ち上がった。
「すまん、忘れものを!」
セディール兄さまは、しっかりしているようだけど、忘れ物が多いんだね。メリーにしてやったように、妹のわたしが気をつけてあげないとね。
そしてカティさん、またスイッチが入ってるみたいだけど、そんなに笑ったら明日腹筋が筋肉痛になっちゃうよ?
セディール兄さまが忘れ物を取りに行っている間に、わたしはチョコレート菓子を摘みながらお茶を飲み、笑いの発作が治まったカティさんと話をしていた。
「アナベル姫は、魔法がお得意なのですね」
「うん。といっても、料理に関することばかりだけどね」
そう、さっきの回復魔法も、実は酵母を活性化させるために使っていたのだ。この世界は西洋風なので、醤油も味噌もなかったため、わたしは試行錯誤を繰り返して『ショーユ』と『ミーソ』を作り出したのだが、それに役立ったのがこの回復魔法の『ケアリー』なのである。
あと、料理の火の通し加減を調節するために、加熱と冷却の魔法も使えるし、肉を急速に熟成させるために時間を操ることもできるのだが、これは誰にも内緒にしてある。
明らかにヤバい魔法だからだ。こんなことができると知られて、悪い奴に目をつけられても困る。
「すまなかった、アナベル」
「あ、兄さま。いえ、大丈夫よ」
わたしがにっこりと笑いながら言うと、ダイニングルームに戻ってきた兄さまは宙に目を泳がせて「エルスタン国境線に沿った森の名前とその特徴的な魔物は……」とぶつぶつ呟いてから(お兄さまは、お仕事熱心で頭がいいんだね、素敵!)わたしに視線を戻し、「明日は魔法省に行って、アナベルのスキルと魔力を調べてもらおうと考えている」と言った。
「魔法省、ですか?」
魔法関係のお役所らしいけれど、庶民には馴染みがない場所だ。魔力の研究をしたり、魔法に関することならなんでも管理している部署らしい。
「そうだ。貴族は皆、魔法省でスキル、つまり、特有の才能と、魔力の傾向を調べてもらう。平民は、特に魔力が強い者以外は、そのような事をしないだろう?」
「はい。生活魔法はみんな当たり前に使えるし……冒険者で魔法が得意な人は冒険者ギルドで調べるって聞いてるけど、普通は調べたりしないわね」
わたしは頷いた。すると、セディール兄さまは言った。
「実は、アナベルには来年からエルスタン国王立学園の三年次に編入してもらおうと思っている」
「王立学園?」
そう言えば、貴族はそんな名前の学園に通うと聞いたことがある。
でも。
「わたしは今まで勉強をしていなかったから、編入しても勉強についていく自信がないです」
「大丈夫だ。編入するのは来年からだし、それまでに家庭教師をつけて、困らないように勉強をしてもらう」
それなら大丈夫そうだね。
「そこで習うのが、エルスタン国の地理や歴史、計算、剣などの実技、そして魔法の理論と実技だ。読み書きはそれぞれが家庭で習ってくるから、学園では特に勉強しない。それから、連携して物事に取り組むことや、交流なども大切な学習だ。学園には、王子殿下も在籍しているが、ケインさまはゼールデン国に留学しているから、向こうで卒業してくるはずだ」
ケインさまというのは、次期国王である第一王子ね。
「そして、小さな社交界のようなものだから、マナーやダンスも学習する。これらの基本も、家庭教師にしっかり習うんだよ」
「はい」
そんなの今まで無縁だったけど、なんとかなるよね!
「その準備として、アナベルにはどんな力があるのかを調べておきたい。いいか?」
「もちろんです、楽しみにしています」
ゲームで言えば、わたしのステイタスがわかるって感じだよね。
あ。
職業が『肉乙女』だったらどうしよう……。
「妹が可愛すぎて辛い……」by セディール




