第1章 不幸なお姫様だわ、私。戦場で名前を縮められた。
そこまでだ。
君たち、ヴァルハラ王国の軍は、わが軍に降った。剣を置きたまえ。
声が、戦場に通った。
静かな声だった。
怒鳴らない。叫ばない。
ただ、通る。
私は剣を握ったまま、その声の主を見た。
馬上の男。
年若い。
整った顔。
返り血一つない、白い軍装。
……この戦場で、白を着ている人間がいる。
それだけで、わかる。
勝った側だ。
「姫様」
隣で副官が言った。
声が震えている。
「……本国から、伝令が」
「何と」
「撤退、と」
私は副官を見た。
「撤退?」
「はい」
「この人数を置いて?」
「……はい」
沈黙。
戦場が、妙に静かだった。
風が吹いた。
血の匂いがした。
私は自分の手を見た。
赤い。
鎧も、赤い。
返り血だ。
今日だけで、何人斬ったか。
数えていない。
数える余裕が、なかった。
……なんなのよ。
心の中で、素の声が漏れた。
三年間戦って、これ?
置いていくの?
私を?
「姫様、御決断を」
副官が言う。
私は剣を、地面に置いた。
音がした。
重い音だった。
「降る」
それだけ言った。
副官が息を呑む。
だが、他に選択肢がない。
兵を無駄死にさせるわけにはいかない。
馬上の男が、馬を進めた。
白い軍装が、近づいてくる。
止まった。
私の、目の前で。
見下ろされる。
整った顔だ。
近くで見ると、目が静かだ。
怒っていない。
侮っていない。
ただ、静かに、私を見ている。
「勇敢だった」
男が言った。
「……褒め言葉のつもりか」
「そのつもりだ」
「負けた側への褒め言葉は、侮辱と変わらない」
男は少し間を置いた。
「ニア」
私は固まった。
「……今、何と」
「ニアと呼んだ」
「私の名はハルニア・フォン・ヴァルハラだ」
「知っている」
「ならなぜ——」
ちょ、ちょっと待って。
心の中で、素の声が騒いだ。
初対面よね?
なんで名前を縮めてくるの?
しかも自信満々に?
「……無礼だぞ」
辛うじて、戦場の口調で返した。
男は馬から降りた。
白い軍装のまま、私の前に立った。
背が高い。
目が、静かだ。
「我が国に来い」
「……命令か」
「お願いだ」
私は男を見た。
男は私を見た。
返り血まみれの私を。
その目が、おかしかった。
怖くない。
嫌悪もない。
まるで、何か美しいものを見るような目だった。
この戦場で。
この状況で。
な、なんなのよその目は。
心の中が、忙しかった。
落ち着きなさい、私。
今は降伏の場面よ。
「……名前を、聞いていない」
「レオスだ」
「レオス」
「ああ」
「お前の国の言葉で、ニアとは何を意味する」
レオスは少し間を置いた。
「春告げの花だ」
「花」
「小さい。白い。冬が終わる頃に咲く」
私は自分の手を見た。
赤い手を。
「……私のどこが、花に見えた」
レオスは答えなかった。
ただ、微かに。
本当に微かに。
笑った。
不幸なお姫様だわ、私。
国に捨てられた戦場で、
敵国の王子に、花の名前で呼ばれている。
しかも、
なんなのよあの目は、がとまらない。




