第8話:戦術AIの完璧なハッキング
迷宮都市の中央ギルド・プレスルームは、感動的な熱気に包まれていた。
無能なポーターの自爆テロから奇跡的に生還し、なおもギルドの平和と深層の攻略を誓う、傷だらけのS級パーティ。
ガレルのその完璧な「悲劇の英雄」を演じるスピーチに、集まった数十人の記者たちはペンを走らせ、フラッシュを瞬かせている。
『我々「紅蓮の剣」は、決してテロリストの蛮行には屈しません! この傷は、我々が前へ進むための誇り高き勲章です!』
配信の同接数はついに六十万人を突破し、ARウィンドウのコメント欄は、凄まじい勢いの称賛と、彼らを応援するための莫大な投げ銭のエフェクトで埋め尽くされていた。
『ガレルさん一生ついていきます!』
『あのクソポーターのせいで酷い目に遭ったのに、立派すぎる……』
『はよ治して深層クリアしてくれ! スパチャ一万円!』
『ミレナちゃんも無理しないで!』
世界中が彼らの嘘に熱狂し、彼らを神格化しようとしている。
ガレルは悲痛な表情を作りながらも、伏せた目の奥で、とめどなく流れ込む投げ銭の金額を確認し、笑いがこみ上げるのを必死に堪えていた。
(……チョロい。大衆なんて本当にチョロいぜ。無能のおっさんが死んでくれたおかげで、過去最高のバズりと金が手に入った!)
彼は内心で舌舐めずりをした。
この会見が終われば、彼らは「被害者」としてギルドから多額の補償金を受け取り、さらに名声まで高まる。まさに完璧なシナリオだった。
――だが、彼らは知らなかった。
その完璧なシナリオが、自分たちの命を救った「本物の化け物」の逆鱗に触れてしまったことに。
同時刻。安アパートの一室。
一条誠は、ベッドに寝転がったまま、空中に展開された会見の映像を無表情で見つめていた。
『マスター。中央ギルドの基幹サーバー、及び全世界の主要な配信プラットフォームへの侵入ルート(バックドア)を確保しました』
視界の端で、アイリスのホログラムが淡く明滅する。
彼女の周囲には、この世界の魔導技術とは根本的に異なる、高度な電子暗号の滝が凄まじい速度で流れていた。
『対象のセキュリティレベルは、旧時代の一般家庭用ルーター以下です。防壁という概念すら存在していません。ハッキングという言葉を使うのすら烏滸がましい、「ただの散歩」レベルの制圧任務でした』
「……手加減はしたのか」
『情報の流出元を完全に隠蔽するため、七十二のダミーサーバーと暗号化プロキシを経由しました。この世界の技術水準では、私が宇宙の果てから送信しているようにしか見えません。完全犯罪です』
アイリスの報告に、俺は小さく鼻で笑った。
軍用戦術AIの本気を、素人が作った配信システムなどで防げるはずがない。
「そうか。……なら、やれ」
俺の短いゴーサイン。
『了解しました。――フェーズ1、開始。対象の「虚飾」を、真実の炎で焼き尽くします』
プレスルームで、ガレルが最後のポーズを決め、カメラに向かって力強く頷こうとした、まさにその瞬間だった。
――ブツンッ。
会場に設置されていた巨大な魔導モニター、記者たちの手元の端末、そして世界中の六十万人が見つめていた配信画面が、一斉に暗転した。
音声がプツリと途絶え、不気味なノイズだけが響き渡る。
「……え? なんだ? 機材トラブルか?」
ガレルが戸惑ったようにマイクを叩く。
ギルドの職員たちが慌てて配線を確認しに走るが、異常は見当たらない。
直後。
真っ暗になった世界中の画面に、血のような真っ赤な文字で『STANDBY(待機)』という警告文が浮かび上がった。
そして、数秒の静寂の後――画面は、別の映像へと切り替わった。
『な、なんだこいつは……! ギルドの事前情報じゃ、ただの「オーガの変異体」だって話だったじゃねえか!』
画面から飛び出してきたのは、先ほどの会見の低く落ち着いた声とは似ても似つかない、恐怖に引きつった無様な男の悲鳴だった。
映し出されたのは、薄暗いボス部屋。
それは、昨晩の生配信で使われていた追従ドローンカメラの映像ではなかった。アイリスが独自の光学センサーで記録していた、極めて高画質かつ高音質の「別アングルからの未編集映像」である。
「なっ……!?」
プレスルームの巨大モニターに映し出された自身の姿を見て、ガレルの顔面から一瞬にして血の気が引いた。
映像の中のガレルは、ボスの咆哮に腰を抜かし、へっぴり腰で剣を振り回している。
ミレナの放った爆炎魔法が仲間に直撃し、醜く罵り合う様。
ボスのブレスが一発掠っただけで、特注のミスリルアーマーが溶け落ち、泣き叫びながら壁際まで吹き飛ばされる彼らの姿。
それは、先ほどの会見で語っていた「勇敢にテロリストを止めようとした」という英雄譚を、根底から叩き壊す、あまりにもみっともない真実だった。
「ち、違う! 止めろ! なんだこの映像は! 消せぇぇっ!!」
ガレルが泡を吹いて叫び、モニターへ向かって魔法を放とうとする。しかし、ギルドの職員に取り押さえられ、それすら叶わない。
アイリスのハッキングは完全にシステムを掌握しており、電源を引っこ抜こうが、魔法でモニターを破壊しようが、世界中の個人の端末で強制的に再生され続けているのだ。
そして、映像は「決定的な瞬間」を迎える。
恐怖で顔を歪めたガレルが、荷物の下敷きになっている(ように見える)ポーター――俺の胸ぐらを掴み、凄まじい力でボスの正面へと放り投げるシーンだ。
『お前はそこで囮になれ! 死ぬ気で時間を稼げ!』
映像の中のガレルの声は、ノイズ一つなく、世界中へとクリアに響き渡った。
『おいリック! ミレナ! 這ってでも出口に向かえ! あの無能が食われている間に逃げるぞ!』
さらに、彼らが逃げ出す際、わざと足元のドローンカメラを蹴り飛ばして破壊する様子までもが、別アングルからバッチリと記録されていた。
そして重い鉄の扉が閉まる直前。ガレルが吐き捨てた「最低の一言」が、決定打となる。
『うるせえ! あのゴミ一匹の命で、俺たちS級の命が助かるなら安いもんだろうが!』
バタンッ、という扉の閉まる重低音が響き。
映像はそこで、ぷつりと途切れた。
――プレスルームは、水を打ったような完全な静寂に包まれていた。
フラッシュは止み、記者たちのペンも止まっている。
数十人の大人たちが、まるで信じられない汚物を目撃したかのような、冷たい軽蔑の眼差しで、演台の上のガレルとミレナを見つめていた。
「あ……あ……」
ガレルの喉から、乾いた空気が漏れる。
隣のミレナは、恐怖と混乱で完全に腰を抜かし、床にへたり込んでいた。
彼らのARウィンドウに流れるコメント欄は、数秒の空白を経て――文字通りの「大爆発」を引き起こしていた。
『は?????????』
『え、自爆テロって嘘だったの!?』
『完全に自分から囮にして投げ飛ばしてるじゃん!!』
『「ゴミ一匹の命」……? こいつら、マジで人間かよ……』
『さっきまでの涙の会見なんだったんだよ! 全部作り話じゃねえか!!』
『胸糞悪すぎる!! 吐き気するわ!!』
『こいつらがカメラ壊して逃げたってことかよ!』
『S級の誇り(笑)』
『おい、さっきスパチャ投げた奴息してるか?www詐欺だぞこれwww』
『ギルドは何やってんだ! こいつらを今すぐ逮捕しろ!!』
称賛の嵐は、一瞬にして数百万の「殺意」と「憎悪」へと裏返った。
大衆は、騙されたと知った時、最も残酷な牙を剥く。先ほどまでの英雄は、今や世界中から最もヘイトを集める「最悪のクズ」へと転落したのだ。
「ち、違う! これは悪質な捏造だ! ディープフェイクだ! 俺たちはハッキングされたんだ! 誰か信じてくれ!!」
ガレルが半狂乱になって叫び、記者たちにすがりつこうとする。
しかし、記者たちは虫ケラを見るような目で彼を一瞥すると、一斉に手元の端末に向かって猛烈な勢いで記事を打ち込み始めた。
『【特大スクープ】紅蓮の剣、会見で完全な嘘! ポーターを囮にする決定的瞬間が流出!』
『S級パーティの闇! 殺人未遂の証拠映像が全世界へ!』
「や、やめろ……書くな! 俺はS級だぞ! お前ら、俺がいなくなったら誰が深層を……!」
「お前たち『紅蓮の剣』のギルド登録を、たった今、無期限で凍結する」
騒然とする会見場に、低くドスの効いた声が響いた。
ギルドの調査部長が、冷酷な表情で数人の重武装した憲兵を引き連れて演台へと上がってきたのだ。
「ギルドの公式会見の場で虚偽の報告を行った罪。そして何より、一般の同行者を故意に魔物の囮にして見捨てた『故意の殺人未遂罪』。……言い逃れはできないぞ、ガレル。お前たちは終わりだ」
「ひぃっ……! い、いやだ! 離せ! 俺は悪くない! あの無能が悪いんだぁぁぁぁっ!」
憲兵たちに両腕を拘束され、無様に床を引きずられていくガレル。
その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり、先ほどの英雄の面影など微塵も残っていなかった。ミレナもまた、泣き叫びながら職員に連行されていく。
「……呆気ないものだな」
安アパートのベッドの上で、一条誠は冷めたコーヒーをすすりながら、その光景を最後まで見届けた。
ホログラムウィンドウの中で、ガレルたちが完全に社会から抹殺される様を、ただ淡々と見下ろしている。
『報告します、マスター。対象の社会的信用の完全崩壊、並びにギルドからの永久追放を確認。作戦は完璧に成功しました』
アイリスの声が、どこか満足げに響く。
彼女のハッキングは、ただ映像を流しただけではない。彼らの過去の配信の不正操作や、裏での暴言のログなど、ありとあらゆる「余罪」までもネット上に投下していたのだ。
これで彼らは二度と、表舞台を歩くことはできない。文字通りの社会的抹殺の完了である。
「ああ、ご苦労だった。……これで少しは、静かに動けるようになるといいんだがな」
俺はウィンドウを閉じ、深く息を吐いた。
自らを囮にしてまでS級パーティという隠れ蓑を利用した作戦は、結果的に最悪のバズりを生んでしまった。だが、障害物を完全に排除したことで、ようやく次のステップへと進むことができる。
『マスター。彼らの崩壊に伴い、ネット上の「ネームレス」への熱狂は、さらに危険な領域へと突入しつつあります。……これから、どう動きますか?』
アイリスの問いかけに、俺は立ち上がり、壁に掛けられた別の偽装用のコートを手に取った。
「決まっている。しばらくは『底辺』に身を隠す。……誰も注目しない、絶対にバズらないような、地味で弱小なパーティにな」
世界中が「ネームレス」を探し求める熱狂の渦の中で。
俺は自らの痕跡を完全に消し去るため、新たなる偽装ミッションへと歩き出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【★★★★★】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




