第4話:クリアランス・ゼロ
圧倒的な死の気配が、黒鉄の扉に閉ざされた空間を支配していた。
巨獣の口腔で極限まで圧縮された紫色の魔力エネルギー。それは、先ほどS級パーティの前衛を一撃で吹き飛ばしたブレスの、優に数倍の密度を誇っていた。
『あ、ああっ……』
『南無……』
『誰か、奇跡起きてくれ……!』
床に転がったまま奇跡的に生きているドローンカメラのレンズ越しに、数万人の視聴者が絶望の書き込みを垂れ流す。画面の向こう側の誰もが、次の一秒で、荷物持ちの中年男が蒸発する光景を確信していた。
だが、その破滅の波紋の中心に立つ俺は、微塵も動じていなかった。
むしろ、肩にのしかかっていた八十キロの不要な重りと、「味方を巻き込んではいけない」という精神的な枷が外れたことで、酷くリラックスすらしていた。
『マスター。対象の魔力充填率、一二〇パーセントを突破。三秒後に広範囲殲滅ブレスが放射されます』
アイリスの透き通るような声が、カウントダウンを告げる。
(――アイリス。戦術兵装データベースへアクセス。制限の完全解除を申請する)
『了解。網膜パターン、音声紋、および固有魔力波長をスキャン……照合完了。マスター・一条誠の生体認証をクリアしました』
巨獣の喉の奥が、太陽のように眩く発光する。
ブレスが放たれる直前の、空間が軋むような予備動作。
『交戦規定、オールクリア。対象エリア内に保護すべき味方、非戦闘員は存在しません。……思う存分、やってください』
その言葉を合図に、俺はゆっくりと右手を前方へとかざした。
ダンジョンの淀んだ空気が、ふっと変わる。
濃密な魔素の匂いが消え去り、代わりに立ち込めたのは――ひどく無機質で、血生臭い、硝煙と航空燃料の匂いだった。
「システム・オンライン。軍事クリアランス――『ゼロ』」
俺の低い呟きと共に、何もない虚空に、幾重もの幾何学的な魔法陣……いや、緑色の光で構成された「照準器(HUD)」のような電子紋様が展開される。
「顕現せよ」
直後、巨獣が鼓膜を破るような咆哮と共に、紫色の極太のブレスを放射した。
迫り来る圧倒的な死の奔流。俺の全身を焼き尽くさんとするエネルギーの波のど真ん中へ向けて、俺は最強の手札の一つの「真名」を言い放った。
「――【A-10・30mmガトリング(アヴェンジャー)】」
空間が、物理的に「割れた」。
緑色の電子紋様が弾け飛ぶと同時に、俺の右手のすぐ横の虚空から、巨大な黒鋼の塊が文字通り「せり出して」きた。
それは、過去の地球において「最強の地上制圧兵器」と恐れられた攻撃機、A-10サンダーボルトⅡの機首部分に搭載されている、巨大な七砲身の機関砲――『GAU-8 アヴェンジャー』だった。
全長約六メートル、重量二トン弱。もはや「銃」という枠組みを逸脱した、空飛ぶ大砲。
冷たい黒光りをする凶悪な七つの砲身が、モーターの駆動音と共に、低く重い唸りを上げて回転を始める。
キュイイイイイイン……ッ!!
そして、迫り来る紫色のブレスが俺の鼻先に到達するコンマ数秒前。
俺は、無造作に引き金を引いた。
「吹き飛べ」
ブウゥゥゥゥゥゥッッ――――!!!!!
それは、銃声などという生易しいものではなかった。
巨大な布を力任せに引き裂くような、あるいは空間そのものが悲鳴を上げているような、暴力的な異音。
毎分三九〇〇発という狂気の速度で撃ち出される、一発あたり牛乳瓶ほどの大きさがある30ミリ劣化ウラン徹甲弾の雨。
圧倒的な「物理法則の暴力」が、魔法という幻想を正面から喰い破った。
「ガァ……ッ!?」
巨獣が放った必殺の広範囲魔力ブレスは、ガトリング砲から撃ち出された鉛と劣化ウランの壁に衝突した瞬間、まるで嵐に向かって吐いた霧のように、あっけなく四散し、かき消された。
魔法のエネルギーなど、秒速一〇〇〇メートルを超える運動エネルギーの飽和攻撃の前では、何の意味もなさない。
ブレスを相殺してもなお、ガトリング砲の弾幕は一切の勢いを落とすことなく、真っ直ぐに巨獣の巨体へと突き刺さった。
メチャクチャな破壊の連鎖だった。
S級剣士ガレルの大剣を弾き返し、ミレナの爆炎を無傷で耐え切った「強固な生体装甲」と「多重防壁」。
それらは、30ミリ徹甲弾の前では、文字通り「濡れたティッシュペーパー」と同義だった。
「ギ、ガァアアアアアアッ!?」
弾着と同時に、巨獣の分厚い鱗が爆発するように弾け飛ぶ。
防壁がガラスのように砕け散り、巨大な四本の腕が、肩の根本からごっそりと千切れ飛んだ。血しぶきなどという可愛らしいものではない。赤黒い肉片と骨の髄が、ミキサーにかけられたかのように後方の壁へとぶち撒けられる。
ブウゥゥゥゥゥゥッッ――――!!!!!
俺は表情一つ変えず、ただ冷酷にトリガーを引き続けた。
反動は顕現時の魔力フィールドによって完全に相殺されている。俺はただ、ホースで水を撒くように、黒鋼の砲身を巨獣の全身へとスイープさせた。
「ガ、ア、ァ……」
巨獣の悲鳴は、轟音にかき消されてすでに聞こえない。
右足が膝から吹き飛び、左の脇腹がえぐり取られ、内臓がどろどろと床にこぼれ落ちる。強靭な生命力を持つイレギュラーボスでさえ、この絶対的な破壊力の前に再生など間に合うはずがない。
わずか五秒。
時間にして、たった五秒間の斉射。
しかし、撃ち込まれた三百発以上の30ミリ弾は、五メートルを超える巨獣を、原型を留めない「ただの肉塊」へと変貌させるには十分すぎる量だった。
「……掃射終了」
引き金から指を離す。
ピタリと弾幕が止み、砲身が空転するキュルキュルというモーター音と、焼き付くような金属の冷却音だけが室内に響き渡った。
もうもうと立ち込める濃密な硝煙と、血の霧。
それがゆっくりと晴れた後、そこに立っている者は、俺以外に誰もいなかった。
黒鉄の扉の奥、かつてボスの玉座があったはずの場所。
そこには、深くえぐれた巨大なクレーターと、壁一面にこびりついた赤黒い「染み」だけが残されていた。
骨すら残っていない。文字通りの、完全な「更地」である。
『……対象の生命活動、完全沈黙。生体反応、ゼロ。殲滅完了を確認しました。お疲れ様です、マスター』
アイリスの報告に、俺は短く息を吐いた。
「ああ。久々にぶっ放したが……やはり屋内で使うには、火力が過剰すぎるな。危うくドロップ品まで粉微塵にするところだった」
俺は肩をすくめ、手のひらから魔力の供給を断つ。
強大なA-10の砲身は、蜃気楼のように揺らめき、ふっと虚空へと溶けて消え去った。
静寂が戻ったボス部屋。
俺はブーツの底で血だまりを避けながら、クレーターの中心で淡く光る、目的の『深層へのゲートキー(素材)』を拾い上げる。
「よし、回収完了だ。……さて、雇い主は逃げたし、俺もとっとと帰って寝るか」
独り言を呟きながら、俺は迷うことなく、ボス部屋の奥にある転移陣へと歩き出した。
――俺はこの時、全く気づいていなかった。
床の隅に転がったまま、ひっそりと生き残っていた一台のドローンカメラ。
そのひび割れたレンズが、俺の横顔と、虚空から呼び出された恐るべき巨大兵器、そしてS級パーティを手も足も出させなかったボスが「わずか数秒でミンチにされる」という常軌を逸した光景を、一から十まで、すべて鮮明に捉え続けていたということに。
『…………』
『え?』
『は?』
ARウィンドウを確認していなかった俺の知らないところで。
配信のコメント欄は、数万の視聴者が同時に言葉を失い、完全にフリーズしていた。
圧倒的な現実感の喪失。脳の処理能力を超えた映像を見せつけられ、一時的な思考停止に陥ったのだ。
そして、数秒の空白の後。
『はああああああああああ!?!?』
『なんだ今の!? なんだ今のォォォ!?』
『おっさんが……魔法使い!? いや、あれ魔法じゃねえ!』
『銃!? 大砲!? バグか!?』
『ボスが消し飛んだぞ!? 数秒で!?』
『無能ポーターじゃなかったのかよ!!!!』
『てか、今のヤバすぎるだろ! ガレルとか目じゃねえ火力のバケモノじゃん!』
『神! 破壊神がいたぞおおお!!!』
せき止められていたダムが決壊したかのように。
コメント欄は、これまでの同接記録を易々と塗り替えるほどの、常軌を逸した大爆発を起こしていた。
だが、そんなことなど露知らず。
俺は「今日はいい仕事をした」と内心で満足げに頷きながら、静かにダンジョンの転移陣へと足を踏み入れたのだった。
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次回お楽しみに。




