第3話:崩壊する陣形と、置き去りのカメラ
紫色の閃光が、巨大なドーム状のボス部屋を舐め尽くした。
直後、鼓膜を物理的に破壊せんばかりの轟音が弾け、網膜を焼くような強烈な熱波が空間全体を蹂躙する。
「ぐああああああっ!?」
「きゃあああああっ!!」
巨獣の口腔から放たれた超高密度の広範囲魔力ブレス。
それは、最前線に立っていたガレルとリックを紙くずのように吹き飛ばし、後衛で悲鳴を上げていたミレナの防御結界ごと、彼らを壁際まで叩きつけた。
「ガハッ……! クソッ、俺の……俺の特注のミスリルアーマーが……!」
土煙の中から、ガレルが血を吐きながら立ち上がる。
配信映えを意識して磨き上げられていた銀色の鎧は、わずか一撃の余波を受けただけでドロドロに溶け落ち、見る影もない。彼が誇っていた大剣も、刃の半ばから無惨にへし折れていた。
「い、いやあああっ! 顔が! あたしの顔に火傷がぁっ!」
「足が……足が動かねえ! おいミレナ、回復しろ!」
後衛のミレナは自身の顔を覆って錯乱し、斥候のリックは瓦礫の下敷きになって泣き喚いている。
数分前まで「S級」と持て囃されていたトップ配信者たちの威容は、完全に崩壊していた。そこにあるのは、死の恐怖に直面し、醜く取り乱すただの素人の群れだ。
『え……嘘だろ?』
『ガレルさん!? 紅蓮の剣が、一撃で……?』
『おいおいヤバいって! 逃げろ!』
『ミレナちゃんの顔が!』
『これ放送事故じゃねえの!? 運営何やってんだよ!』
ARウィンドウに流れるコメント欄も、先ほどまでの熱狂が嘘のように凍りつき、パニック状態に陥っていた。
信じていた最強の偶像が、いとも容易く蹂躙される光景。それは視聴者たちにとっても、画面越しのエンタメが「本物の死の恐怖」へとすり替わった瞬間だった。
『マスター。対象の第二撃、エネルギー充填開始。次のブレス放射まで、残り二〇秒』
阿鼻叫喚の地獄絵図の中で、アイリスの冷徹な声だけが、俺の脳内で正確に時を刻んでいる。
巨獣が再び大きく息を吸い込み、その赤い眼球をガレルたちへと向けた。明確な殺意。次のブレスが放たれれば、今度こそ彼らは骨も残らず消し飛ぶだろう。
(……限界だな。陣形もクソもない。完全に戦意を喪失している)
俺は部屋の隅で、巨大なバックパックの陰に身を隠しながら冷静に状況を分析していた。
助けるべきか。いや、俺が今ここで強力な近代兵器を喚び出せば、その圧倒的な爆風と衝撃波は、瀕死の彼らにトドメを刺す結果にしかならない。
「ひぃっ……! く、来るな……俺はS級だぞ! こんな所で死ぬわけには……!」
ガレルが、へし折れた剣を投げ捨て、無様に後ずさりする。
彼の目に映っているのは、仲間を助ける使命感でも、戦士としての矜持でもない。純粋な自己保身だけだった。
そして、恐怖に歪んだ彼の視線が、部屋の隅で「恐怖で動けなくなっている(ように見える)」俺へと向けられた。
「……そうだ。おい、クソポーター! お前の仕事だ!」
ガレルが血走った目で叫びながら、俺の方へと走ってきた。
俺が何かを言うより早く、彼は俺の胸ぐらを掴み、凄まじい力で巨獣の正面――最も射線が通るど真ん中へと、俺の身体を乱暴に放り投げた。
「ガレル……!?」
俺はわざと抵抗せずに床を転がり、巨獣の眼前に無防備な姿を晒す。
背負っていた八十キロのバックパックがひっくり返り、俺は重い荷物の下敷きになったような体勢で動きを止めた。
「お前はそこで囮になれ! 死ぬ気で時間を稼げ! その間に俺たちは態勢を立て直す!」
ガレルは顔を引きつらせながら、カメラに向かってそう叫んだ。
だが、俺にはわかっていた。態勢を立て直す気など、彼には微塵もない。彼が向かっているのは、ボス部屋の出口――まだ開いたままになっている黒鉄の扉だ。
「おいリック! ミレナ! 這ってでも出口に向かえ! あの無能が食われている間に逃げるぞ!」
リーダーのその号令で、ミレナとリックは我に返り、這うようにして扉へと向かい始めた。
『は? ガレル何言ってんの?』
『囮にするって……見捨てる気かよ!?』
『最低だろ! いくら無能でも命だぞ!』
『S級パーティが一般人を見捨てて逃げるのかよ!』
『誰かギルドに通報しろ!』
コメント欄が、かつてないほどの怒りと非難の嵐に包まれる。
だが、恐怖で思考が焼き切れた彼らに、もはやネットの評価など気にする余裕はなかった。
「うるせえ! あのゴミ一匹の命で、俺たちS級の命が助かるなら安いもんだろうが!」
ガレルが吐き捨てながら扉へと駆け込む。
その時だった。パニック状態で出口へと殺到したリックの足が、周囲を飛び交っていた追従ドローンカメラの一機に激突した。
ガシャァァン!
嫌な破壊音と共に、ドローンが床に叩きつけられる。
プロペラが拉げ、機体が火花を散らす。ガレルたちはそんなものに見向きもせず、我先に黒鉄の扉の外へとなだれ込んでいった。
そして、外から強引に制御盤を破壊したのだろう。重々しい音を立てて、分厚い扉が完全に閉ざされた。
バタンッ!!
密閉された空間に、絶望的な重低音が響き渡る。
逃亡劇は終わった。彼らは本当に、何ら力を持たない(と思われている)中年の荷物持ち一人を、最悪のイレギュラーボスの前に置き去りにして逃げたのだ。
……静かになった。
広間に残されたのは、紫色の光を喉の奥で明滅させる巨獣と、床に倒れ伏したままの俺。
そして、床に転がった一台のドローンカメラだけだ。
ドローンは墜落の衝撃で飛行機能を失っていたが、奇跡的にカメラのレンズと通信機能だけは生き残っていた。
床すれすれの低いアングルから、ひっくり返った重い荷物の下敷きになっている俺の背中と、その向こうで二発目のブレスを放とうと見下ろす巨獣の姿を、まるで残酷なドキュメンタリー映画のように世界中へ配信し続けている。
『あああ……おっさん……』
『終わった。絶対に死ぬ』
『見れない。エグすぎる』
『ガレル絶対に許さねえ……!』
画面越しの数万人が、これから起こる凄惨な「捕食」の光景を予感し、絶望のコメントを書き込んでいた。
誰もが、ただのポーターである一条誠の死を確信していた。
だが。
その絶望の底で、俺はゆっくりと、音もなく息を吐いた。
「……重いな、これ」
呟きと共に、俺は背中にのしかかっていた八十キロのバックパックのベルトを、ナイフでいとも容易く切断する。
ガシャン、と無駄な荷物が床に転がり落ちる。
俺はゆっくりと立ち上がった。
膝の砂を払い、首を鳴らす。その動作には、微塵の恐怖も、死に対する焦燥もなかった。
『……マスター。室内における生体反応の変動を確認しました』
静寂の中、脳内に響くアイリスの声が、どこか弾んでいるように聞こえた。
俺の視界の端で光学迷彩を解いた手のひらサイズの多脚戦術ドローンが、ゆっくりと俺の肩口に舞い降りる。
『ガレル、ミレナ、リックの三名、当該エリアからの完全離脱を確認。現在、この空間内に存在する味方及び非戦闘員の数は「ゼロ」です』
ARウィンドウに表示されていた、俺の視界を覆い尽くすほどの赤い警告アラート(味方への誤射警告)が、パリンと小気味よい音を立ててすべて消滅した。
視界が、恐ろしいほどにクリアになる。
「……そうか。逃げたか」
俺は、右手にはめた漆黒のタクティカルグローブをギュッと握りしめた。
顔面を覆っていた薄汚いゴーグルを外し、床に投げ捨てる。
巨獣が俺を見下ろし、その喉の奥で紫色の死のエネルギーが極限まで圧縮されていく。
『交戦規定(ROE)第一項、適用外となりました。射線上の障害物、すべてクリア』
アイリスの冷たくも美しい宣告が、俺の脳髄を心地よく痺れさせる。
『マスター。――セーフティ、解除しますか?』
俺は薄く笑い、ただ一言、待ち焦がれていた命令を下した。
「あぁ。――全権限を解放しろ」
味方を巻き込む心配が消え去った今。
もはや、手加減をしてやる理由は、何一つ存在しなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【★★★★★】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




