第18話:天罰という名の物理攻撃
地下数百メートルのダンジョン第20階層。
かつて黒曜石の天井に覆われ、魔素の重苦しい空気に満ちていたボス部屋は今、地上から一直線にぶち抜かれた「巨大な縦穴」によって、ひんやりとした夜風と美しい月光に照らされていた。
「…………」
夏美、コウタ、リコの三人は、クレーターの中心に降り注ぐ月の光を、ただポカンと口を開けて見上げている。
彼らの脳は、目の前で起きた現象を処理することを完全に放棄していた。
絶体絶命の窮地。顔面に現れた謎の赤い光。そして頭上から迫る轟音と共に、天井を貫いて降臨した「何か」が、絶対に倒せないはずの鋼鉄巨人を内側から木端微塵に粉砕した。
それは魔法という枠組みを遥かに超えた、純粋な「神の雷」のようだった。
そして、その「神の雷」を目撃したのは、現場の三人だけではない。
『マスター。配信の同接十万人のコメント欄が、約十秒間の完全なフリーズを経て……現在、再起動しました』
瓦礫の陰に隠れている俺(一条誠)の脳内に、アイリスの警告音が響く。
俺のARウィンドウに表示されたコメント欄は、これまで経験したことのない、狂気的な速度と熱量で爆発を引き起こした。
『はああああああああああああああ!?』
『なに今の!? 天から光の柱が落ちてきたぞ!?』
『天井に穴!? これ地下20階層だぞ!? 地上から貫通したってのか!?』
『ダンジョンそのものをぶち抜いた……!? アホか! そんな魔法あるわけないだろ!!』
『神だ……本物の神の天罰だ……!』
『あんなバケモノみたいな中ボスが、一瞬で塵になった……!』
『赤い光が出た直後だったよな!? あれが神の裁きのロックオンだったんだ!!』
『ネームレス様! ネームレス様あああああ!!』
もはや「謎の重火器使い」や「凄腕のステルス暗殺者」という評価すら、過去のもの。
地上から地下深層までを物理的に貫通し、最強の魔物を一撃で粉砕する。そんな常軌を逸した力を目の当たりにした大衆は、ネームレスという存在を、完全に「神」あるいは「超越者」として崇め始めていた。
画面は、見たこともないような高額の投げ銭の虹色のエフェクトで、完全に文字が見えなくなるほど埋め尽くされている。
「……やりすぎた」
俺は瓦礫の陰で座り込み、両手で顔を覆って深い絶望の吐息を漏らした。
俺の目的はあくまで「事故に見せかけたステルス・キャリー」だったはずだ。だが、あの鋼鉄巨人を倒すためには、バンカーバスターによる物理的貫通しか手がなかった。
(アイリス。……お前、地上への被害はどうなんだ? 迷宮都市のど真ん中に穴を空けたりしてないだろうな?)
『ご安心ください、マスター。GBU-28の投下座標は、迷宮都市の居住区から数キロ離れた「未開拓の荒野」の地表に設定しました。地上に民間人の被害はゼロです。……まあ、巨大な隕石が落ちたようなクレーターはできているでしょうが』
アイリスが、どこか誇らしげに報告してくる。
(安心できるか! ギルドの調査隊が飛んでくるに決まってるだろうが!)
『しかしマスター。結果的に、あなたの正体に繋がるような「現代兵器の痕跡」は、すべて地中深くのマグマだまりに落下するか、自壊して消滅するように信管を設定しています。残っているのは「神の雷が落ちたようなクレーター」だけです。完全犯罪ですよ』
アイリスの言う通り、証拠は何一つ残っていない。
だが、残された「結果」が派手すぎた。
視聴者は「ネームレスが天から雷を落とした」と完全に信じ切っており、俺がどれだけ痕跡を消そうとも、彼らの信仰心はもう誰にも止められない領域に達してしまったのだ。
「す、すごい……すごすぎるよ、ネームレス様……!」
クレーターの縁に立っていた夏美が、膝から崩れ落ちるように座り込んだ。
彼女の目から、恐怖と安堵、そして圧倒的な畏敬の念からくる大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。
「私たち……本当に、神様に守られてるんだね……!」
「ああっ……! 俺たちの力が足りないから、ネームレス様が直接、天から裁きを下してくれたんだ!」
「こんな奇跡……一生の宝物です……!」
コウタとリコも、涙ぐみながら夏美の横に並び、天井の穴から差し込む月光に向かって、まるで本物の神に祈りを捧げるように両手を組んだ。
「ネームレス様……! 私たちを救ってくださって、本当に、本当にありがとうございますっ!!」
夏美の透き通るような感謝の声が、静寂のドームに響き渡る。
画面越しの十万人の視聴者たちも、彼女たちの祈りに同調し、『ネームレス様に祈りを!』というコメントで一体感を生み出している。
――そして。
その神聖な祈りの対象である「神様」本人は。
「……あいたた……。ご、ごめん、みんな……。瓦礫につまずいて、腰を打っちまって……」
俺は、無残に砕け散った偽装用の眼鏡の代わりに、予備の安っぽい丸眼鏡を素早く掛け直し、不格好に腰をさすりながら瓦礫の陰からノロノロと這い出してきた。
「シ、シンさん!! 大丈夫ですか!?」
夏美がハッとして、慌てて俺の方へ駆け寄ってくる。
俺の全身は、地面を転げ回ったせいで泥だらけであり、どこからどう見ても「神の雷に巻き込まれそうになって腰を抜かした、哀れな中年ポーター」にしか見えなかった。
「無事だったんすね、シンさん! よかったです!」
「本当に……! もしシンさんが崩落に巻き込まれていたら、私、一生後悔するところでした……!」
コウタとリコも駆け寄り、俺の泥だらけの服をパンパンと払ってくれる。
この純粋で優しい底辺探索者たちは、自分たちが今まさに祈りを捧げていた「天から雷を落とした全能の神」が、目の前で腰をさすっている冴えない中年男と同一人物だとは、一ミリも疑っていない。
(……このギャップ、色んな意味で心が痛むな)
『マスターの演技力は、すでにアカデミー賞レベルに到達していますね。その見事な腰の引け具合、AIの私でも同情を禁じ得ません』
アイリスの皮肉を脳内で完全にスルーしながら、俺は冴えない愛想笑いを浮かべた。
「いやあ、面目ない。急に天井に穴が空いて雷みたいなのが落ちてきたから、死ぬかと思ったよ。……みんなが無事で、本当によかった」
「はいっ! 全部、ネームレス様のおかげです!」
夏美が、満面の笑みで大きく頷く。
「シンさんも、ネームレス様にお礼を言いましょう! きっと、シンさんのことも守ってくれたんですよ!」
「え? あ、ああ……そうだな。ありがとう、ネームレス様(俺)」
俺は引きつった笑顔のまま、天井の穴に向かって適当に頭を下げた。
自分で自分にお礼を言うという、極限の茶番劇。胃痛がさらに加速していくのを感じながら、俺は話題を逸らすために、ボス部屋の奥を指差した。
「そ、それよりリーダー。見てくれ。……『扉』が、開いてるぞ」
俺の言葉に、三人が一斉に振り返る。
鋼鉄巨人が消滅したことで、部屋の最奥に鎮座していた、不気味な紫色の魔力光を放つ巨大な門――『深層エリアへのゲート』が、重々しい音を立ててゆっくりと開いていたのだ。
「深層への……入り口……!」
夏美が、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
同接十万人のコメント欄も、その荘厳な光景に息を呑み、次なる冒険への期待感で沸き立っている。
俺の真の目的である『深層コア』は、この扉の奥に眠っている。
連日の胃痛と過労、そして十万人の監視カメラの目を掻き潜るという地獄のステルス・キャリーを経て、ようやく、ようやく本来のスタートラインに立つことができたのだ。
(長かった……。アイリス、ここからが本番だ。あの素人どもを安全な場所で待機させ、俺は一気に深層の奥深くへ潜行するぞ)
『了解しました、マスター。……しかし、マスターの目論見通りに事が進むかどうかは、不透明と言わざるを得ませんね』
(なんだと?)
俺が怪訝に思った、その瞬間。
夏美が、配信のドローンカメラに向かって、力強く、そして「世界で一番余計な宣言」を高らかに叫んだのだ。
「視聴者のみんな! そして、ネームレス様! 私たち『ひだまりの盾』は……このまま一気に、誰も見たことのない深層の奥へ向かって、探索を続行します!!」
「えっ」
俺の口から、素の間の抜けた声が漏れた。
普通、中ボスを倒して深層の挑戦権を得たら、一度街へ帰還して装備を整えるのがセオリーだ。だが、ネームレスの加護を過信し、十万人の熱狂に当てられたこのお人好しの素人たちは、最も恐ろしい『深層』へと、そのままの足でピクニック気分で突入しようとしている。
「みんな、いくよ! シンさんも、はぐれないようにしっかりついてきてくださいね!」
「おーっす!!」
「は、はいっ!」
意気揚々と、死の領域である深層ゲートへと足を踏み入れていく三人。
そして、十万人の視聴者たちの熱狂。
「…………まじかよ」
俺は、天を仰いで、本日何度目か分からない深い絶望の吐息を漏らした。
俺の静かなる深層探索の計画は、完全に粉砕された。これからも、この十万人の監視の目と、無謀な素人たちを守りながら、深層の恐るべき魔物たちを「事故」で処理し続けなければならないのだ。
天罰を下した最強の破壊神の、終わりの見えない胃痛の旅は、いよいよ最悪の「深層エリア」へと舞台を移そうとしていた。
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次回お楽しみに。




