第19話:夏美の感謝と一条の胃痛
地下数百メートルのダンジョンを地上から物理的に貫通し、最強の鋼鉄巨人を一撃で粉砕した「神の雷」。
その歴史的瞬間から数十分後。迷宮都市のネットワークは、過去のどんなスキャンダルや偉業すらも霞むほどの、完全な「宗教的狂乱」の渦中にあった。
【スレッド名:【神降臨】ネームレス様、ついに天から雷を落とす Part.1024】
1: 名無しの探索者
おい、誰か今の映像を論理的に説明できる奴いないのか!?
俺、さっきから頭がおかしくなりそうだ!
13: 名無しの魔術研究家
無理だ。完全に既存の魔法学の範疇を超えている。
あの鋼鉄巨人の多重障壁は、高位のS級魔術師が十人がかりでようやく剥がせるレベルだぞ。それを、上空から落ちてきた「何か」が一撃でぶち抜いたんだ。
25: 名無しの探索者
しかも、あのボス部屋、第20階層だぞ!?
地上からどんだけ分厚い岩盤を貫通してきたんだよ!! 威力がバグりすぎてるだろ!
40: 名無しの探索者
俺、落雷の直前に、巨人の顔に「赤い光の点」が張り付いてるのを見たぞ!
あれが絶対、ネームレス様の「裁きのロックオン」なんだ!
58: 名無しの探索者
>>40
間違いない。ネームレス様はどこか遠くから、いや、もしかしたら「地上」からあの赤い光で狙いを定めて、地下深くのボスを狙撃(?)したんだ!
72: 名無しの探索者
地上から地下30階層を狙撃って……もうそれ、人の業じゃねえじゃん……。
完全に「神」じゃん。
90: 名無しの探索者
しかも、あんな超破壊力の魔法(?)を撃ち込みながら、直下にいたひだまりの盾の三人と、あの冴えないポーターのおっさんには、小石一つ当ててないんだぞ。
精密すぎんだろ。どんだけ過保護なんだよ。
115: 名無しの探索者
ネームレス様、どんだけひだまりの盾のこと気に入ってんだよww
底辺の初心者が頑張ってる姿を見て、放っておけなくなったのかな。聖人すぎない?
140: 名無しの探索者
てか、動画サイトの同接、さっき二十万人超えたぞ!
世界中のギルドマスターや、王室の連中まであのアカウント監視してるらしい。
180: 名無しの探索者
ネームレス様! 俺たちのネームレス様!
どうか俺のパーティにも神の雷を落としてください!!
――そんなネット上の狂乱を、一条誠はARウィンドウの片隅で確認し、文字通り胃を抱えてうずくまっていた。
「……アイリス。俺の胃薬、リュックの中にあといくつ残ってる」
『マスター。残念ながら、あなたの現在のストレス値に由来する胃痛を緩和するには、市販の胃薬では効力が不十分です。……それにしても、素晴らしい反響ですね。「ネームレス教」の信者が、現在も毎秒数百人のペースで増加しています』
アイリスのどこか楽しげな声が、一条の神経をさらにゴリゴリと削っていく。
(ふざけるな……。俺はただ、深層に行くために手っ取り早く中ボスを処理したかっただけだぞ。なんで地上から狙撃したなんてバレてるんだ)
『大衆の想像力を舐めてはいけません。赤いレーザー誘導と、天井の物理的な大穴。この二つの事象が組み合わされば、「地上からの神の雷」というロマンチックな結論に行き着くのは必然です』
一条は深くため息をつき、分厚い丸眼鏡を押し上げながら、前方で配信のドローンカメラに向かって語りかけている少女に視線を向けた。
鋼鉄巨人のクレーターの縁。
天窓から降り注ぐ月光を背に浴びて、夏美はカメラに向かって深々と頭を下げていた。
「視聴者のみんな……そして、どこかで見守ってくださっている、ネームレス様。本当に、本当にありがとうございますっ!」
夏美の頬にはまだ涙の跡が残っているが、その表情はこれまでにないほど晴れやかで、強い意志に満ちていた。
「私たちは、ずっと底辺で、万年赤字で……何度もパーティを解散しようかって、悩んでました。でも、ネームレス様が……こんな私たちを見捨てずに、ずっと裏から助けてくれたから……!」
夏美が胸に手を当て、感極まったように言葉を紡ぐ。
コウタとリコも、その後ろで深く頷いている。
「私たちは、ネームレス様の期待に応えたいです! こんな凄い奇跡を起こしてもらったのに、ここで引き返すわけにはいきません!」
夏美は振り返り、紫色の魔力光を放つ巨大な『深層ゲート』を真っ直ぐに指差した。
「だから私たち『ひだまりの盾』は……このまま、誰も到達したことのない『深層』の奥へ向かって、進みます! ネームレス様が切り開いてくれた、この道を!」
『うおおおおおおお!!』
『いけええええええ!!』
『歴史が変わる瞬間だ!!』
『俺たちも最後まで見届けるぞ!!』
配信のコメント欄が、爆発的な歓声のテキストで埋め尽くされる。
投げ銭の通知音が鳴り止まず、システムが処理落ちを起こしかけていた。
美しく、感動的な、底辺からの成り上がりストーリー。
誰もがその奇跡に涙し、彼女たちの勇気を称えている。
――ただ一人、その「奇跡」を裏で物理的に捏造していた張本人を除いては。
(……やめろ)
一条は、岩陰でプルプルと震えながら、内心で血涙を流していた。
(期待なんて一ミリもしてない。俺はただ、お前らの特権を利用して、誰にもバレずに深層の素材を回収したかっただけなんだ……!)
一条の切実な願いなど、熱狂の渦に飲まれた少女たちに届くはずもない。
「シンさーん! ほら、置いていきますよ!」
「ほらシンさん、早く来るっす! 深層はすぐそこっすよ!」
夏美とコウタが、ゲートの前で元気いっぱいに手を振っている。
『マスター。彼らは完全に「自分たちは神に選ばれた勇者」だと信じ切っています。この高揚感は、もはやバンカーバスターでも止めることは不可能です』
(分かっている……! だが、このまま深層に行けばどうなる? 未知の魔物だらけの環境で、二十万人の監視カメラに見張られながら、俺は一生、彼らを裏から爆破支援し続けなきゃならないんだぞ!)
一条の胃痛は、ついに限界を突破しようとしていた。
「あ、あの……シンさん。お腹、痛いんですか? すっごい顔色悪いですけど……」
リコが心配そうに駆け寄り、一条の顔を覗き込む。
「い、いや……大丈夫だ。ちょっと、神の奇跡に感動して、胃が痙攣しただけだ……」
「わかります! 私も、感動でお腹がいっぱいです!」
リコが純真無垢な笑顔で頷く。
その一切の悪意のない善性が、今の彼には何よりも重い「呪い」のように感じられた。
「よしっ、みんな揃ったね! それじゃあ、深層へ出発!」
夏美の号令と共に、彼らは巨大なゲートの奥へと足を踏み入れていく。
紫色の魔力光が、彼らの姿をゆっくりと飲み込んでいく。
「……あぁ、神様(俺)。どうか、俺の胃壁がこれ以上崩壊しませんように」
一条は、自身の行いが招いた最悪の「無自覚バズ」の代償を噛み締めながら、重いリュックを背負い直し、トボトボと彼らの背中を追ってゲートの闇へと消えていった。
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次回お楽しみに。




