第12話:カメラの死角とサイレンサー
薄暗い洞窟の中に、ゴブリンの醜悪な笑い声と、夏美の怯えた吐息が交差する。
無防備な夏美の脇腹へ向け、錆びた短剣が深々と突き立てられようとした、まさにその刹那。
『マスター。美雲夏美の右腕の筋肉の収縮を検知。〇・二秒後、彼女は防御の反動で、無意識に重い鉄の盾を右から左へ薙ぎ払います』
視界の端で、アイリスの冷徹な声がカウントダウンを刻む。
俺の網膜には、夏美の動きの予測軌道と、ゴブリンの頭部の位置、そして配信カメラのレンズが向いている「画角の境界線」が、緑色のワイヤーフレームで鮮明に可視化されていた。
『射線上の障害物ゼロ。配信カメラの死角、維持。……弾着タイミング、盾の軌道と完全に同期させます。撃ってください』
(了解だ)
俺は暗闇に完全に溶け込んだまま、手にした【VSS・特殊用途狙撃銃】のトリガーを、静かに、そして滑らかに絞り込んだ。
プシュッ。
乾いた空気が微かに抜けるような、ひどく控えめな破裂音。
銃身の半分以上を占める巨大な特殊サプレッサー(消音器)によって、火薬の爆発音は極限まで殺され、洞窟内に反響するゴブリンの甲高い金切り声に完全に掻き消された。
だが、音は静かでも、撃ち出されたモノは紛れもない「死」そのものだ。
VSSが放つ9ミリ×39という特殊な亜音速弾は、音速を超えない代わりに、弾頭そのものが異常なまでに重く作られている。近距離において、この重い徹甲弾がもたらす運動エネルギーの暴力は、軽量なアサルトライフルすら凌駕する。
パァンッ!!
夏美が目をギュッと瞑り、「いやあっ!」と悲鳴を上げながら、無茶苦茶に鉄の盾を横へ振り回した。
その盾の縁が、ゴブリンの顔面を「掠めた」と同時。
俺の放った重厚な9ミリ亜音速弾が、カメラの死角から正確無比にゴブリンの側頭部へと着弾した。
「ギ、ギャ……?」
ゴブリンは、自身の頭蓋骨の内部で何が起きたのかを理解する暇すらなかっただろう。
スイカを鈍器で全力で殴りつけたような、おぞましい破砕音。
弾頭が持つ凄まじい衝撃波によって、ゴブリンの頭部から上が文字通り「弾け飛び」、赤黒い霧となって洞窟の壁面にぶち撒けられた。
「……えっ?」
顔面に生温かい血を浴びた夏美が、目を見開いて硬直する。
彼女の目には、「自分が適当に振り回した盾が当たった瞬間、ゴブリンの頭部が木端微塵に吹き飛んだ」ようにしか見えていない。
「な、夏美ちゃん!? すげえっ! 一撃でゴブリンの頭を粉砕したっす!」
後方で尻餅をついていたコウタが、信じられないものを見たというように声を上げた。
「え、あ、あれ……? 私、そんなに強く振ったつもりじゃ……」
夏美自身が一番混乱していた。
だが、戦場において戸惑う時間は致命的な隙となる。仲間の頭部が一瞬で消滅した異常事態に、残る三匹のゴブリンが激高し、一斉に夏美たちへ向かって跳躍したのだ。
「ギギャァァァッ!!」
「ひゃあっ! まだ三匹も……!」
夏美が慌てて盾を構え直そうとするが、間に合わない。
ゴブリンたちが空中で汚い爪を振りかぶり、彼らの細い首筋へと狙いを定める。
『マスター。対象数、三。現在の彼らの姿勢制御では、回避不可能です。……連続で処理しますか?』
(当然だ。一人残らず、安全かつ「自然に」処理する。……アイリス、全員の挙動に弾着を合わせろ)
『了解。コウタの剣の振り下ろし、リコの投石モーションをスキャン。……同期完了。やれます』
俺は息を殺し、VSSのスコープ越しに、空中に飛び上がった三匹のゴブリンを極めて冷酷に捉え直した。
(――二発目)
プシュッ。
「うおおおおっ! やけくそだぁぁっ!」
コウタが、目をつむりながらメチャクチャに長剣を振り下ろす。その切っ先が、飛びかかってきたゴブリンの胸の数センチ手前を虚しく空振る。
――だが、その「空振りの剣圧」と完全に重なるタイミングで、俺の放った9ミリ弾がゴブリンの心臓を正確に貫通した。
「ギャブッ!?」
ゴブリンは、まるでコウタの剣の「見えない衝撃波」に斬り裂かれたかのように、胸から血飛沫を上げて背中から地面に叩きつけられた。
(――三発目)
プシュッ。
「ええいっ! あっちいってええっ!」
魔力切れのリコが、半泣きになりながら足元の小石を拾い、ヤケクソでゴブリンへ向かって投げつける。
ポスッ、という気の抜けた音と共に、小石がゴブリンの額に当たって跳ね返る。
――直後。俺の弾丸が、小石が当たったのと寸分違わぬ位置を撃ち抜き、ゴブリンの脳髄を完全に破壊した。
「ギョパッ!?」
ゴブリンは、まるでリコの投げた小石が「大砲の弾」であったかのように、首を真後ろにへし折られて吹き飛んだ。
(――四発目)
プシュッ。
「こ、これでどうだっ!」
最後の一匹に対し、夏美が勢い余って転びそうになりながら、重い鉄の盾を「どすんっ」と地面に突き立てた。
――その盾が地面に叩きつけられた微かな振動音に隠れ、俺の放った最後の一発が、ゴブリンの両足を根元から綺麗に粉砕した。
「ギャァァァァァァッ!?」
着地するはずだった足場を失ったゴブリンは、空中で不様な回転を見せ、自ら夏美の盾の角に頭から激突し、ぐしゃりと首の骨を折って絶命した。
わずか、二秒半の出来事だった。
発射音を環境音と仲間の叫び声で相殺し、弾着のタイミングを彼らの無茶苦茶な攻撃モーションと完全に同期させる、神業のようなステルス狙撃。
『全対象の生命活動、完全沈黙。生体反応、ゼロ。殲滅完了を確認しました。……相変わらず、恐ろしいほどの精密射撃ですね、マスター』
アイリスが、呆れと称賛の混じった声を脳内に響かせる。
(お前の演算アシストがあってこそだ。……よし、兵装を解除する)
俺は瞬時にVSSへの魔力供給を断ち、黒い狙撃銃を虚空へと溶かして消滅させた。
そして、素早く背中を丸め、岩陰に隠れてガタガタと震える「臆病なポーター」の顔を作り上げる。
「…………え?」
静寂が戻った洞窟の中で、最初に声を発したのは夏美だった。
彼女は、血だまりの中に転がる四匹のゴブリンの死体と、自身の持っている鉄の盾を、信じられないというように交互に見比べている。
「た、倒した……? 私たちが、一瞬で……?」
「な、夏美ちゃん……俺、今、剣空振ったよな? 空振ったはずなのに、なんかカマイタチみたいなのでゴブリンが真っ二つに……!」
「わ、私の投げた小石も、当たった瞬間にゴブリンの頭がスイカみたいに割れました……! 私、いつの間にこんな物凄い膂力を……!?」
自分のステータスの低さを誰よりも理解している三人は、目の前で起きた「理不尽すぎるオーバーキル」に、完全に思考が停止していた。
無理もない。最弱の底辺探索者たちが、ヤケクソで放った攻撃が、すべて「当たった瞬間に敵の身体を吹き飛ばす」という一撃必殺の会心撃になってしまったのだから。
「お、おい……大丈夫か、あんたたち……」
俺は岩陰からおずおずと顔を出し、ひどく怯えた様子で彼らに声をかけた。
「ヒッ、いきなり敵が降ってきたから、俺、腰抜かしちまって……! あ、あんたたち、信じられないくらい強いんだな……! ゴブリンが、まるで爆発したみたいに吹っ飛んでたぞ……!」
「シ、シンさん! 無事でしたか!」
夏美がハッとして俺の方へ駆け寄ってくる。
俺の分厚い眼鏡の奥の瞳は、一切の殺気も、戦場を支配したプロフェッショナルの余裕も完全に消し去られている。
「私……自分でも何が起きたのか分からないんです。盾を振ったら、急に……」
「きっと、火事場の馬鹿力ってやつっすよ! 俺の剣の修業も、ついに実を結んだのかもしれないっす!」
「そ、そうですね! 私の中の隠された才能が、死の危険に直面して目覚めたのかも……!」
コウタとリコが、興奮冷めやらぬ様子で自身の両手を見つめている。
彼らはあまりにも素直で、お人好しで、そして「純粋」すぎた。目の前の超常現象を、疑うことなく「奇跡のまぐれ当たり」や「潜在能力の覚醒」として受け入れようとしてしまっているのだ。
(よし。完璧に誤魔化せたな。これで彼らも無事に帰還できる)
俺は内心で安堵の息を吐き、魔石を拾い集める作業に戻ろうとした。
だが、その時。
『……マスター。問題が発生しました』
アイリスの声が、微かな困惑を帯びて脳内に響いた。
(問題? カメラには一切映っていなかったはずだぞ。発砲音も完全に隠蔽した)
『はい。あなたの狙撃プロセス自体は、完璧な「透明」でした。……ですが、このパーティの配信の「数少ない視聴者たち」の目は、誤魔化せなかったようです』
「え……?」
俺の視界の端に投影された、同接わずか八人の配信画面のコメント欄。
そこには、俺が全く想定していなかった「異常なテキスト」が、滝のように流れ始めていた。
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次回お楽しみに。




