第10話:新たな偽装と底辺パーティへの潜入
迷宮都市のメインストリートは、今日も「ネームレス」の話題で持ちきりだった。
巨大な魔導ビジョンには連日、A-10のガトリング砲が火を噴くあの数十秒の映像が繰り返し流され、世界中のメディアが「正体不明の破壊神」の行方を血眼になって探している。ギルド本部には、彼を名乗る偽物や、彼を雇いたいという国家元首クラスからの使者が殺到し、前代未聞のパニック状態が続いていた。
そんな狂乱の中心地から少し離れた、寂れた裏路地。
薄暗くカビ臭い大衆酒場の片隅で、一人の冴えない男が、安っぽい麦酒のジョッキを傾けていた。
『マスター。網膜スキャン、魔力波長偽装、骨格補正パッチ、すべて正常に稼働中。現在のあなたの外見データは、ギルドの指名手配データベースのどの特徴とも一致しません』
脳内に響くアイリスの報告に、俺は短く息を吐いた。
現在の俺の姿は、昨晩までの無精髭を生やした鋭い目つきの「マック」ではない。
髪はくすんだ茶色に染められ、背中は丸まり、度の強い分厚い丸眼鏡をかけている。服装も、どこにでもいるうらぶれた日雇い労働者のような、擦り切れた安いレザージャケットだ。
誰がどう見ても、迷宮都市の底辺でその日暮らしをしている、覇気のない中年男にしか見えない。
(偽装IDのステータスは?)
『登録名「シン」。年齢三十五歳。かつて剣士を目指すも低ステータスを理由に挫折し、現在は日雇いの荷物持ち(ポーター)として糊口を凌ぐ、万年Fランクのしがない男……。完璧な経歴です』
俺は眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、酒場の入り口へと視線を向けた。
ガレルたちS級パーティ『紅蓮の剣』が崩壊した後も、俺の目的は変わっていない。
ダンジョンの最深部に眠る『深層コア』の回収。
だが、俺の正体が世界的な大バズりを起こしてしまった今、これ以上「目立つ」行動をとることは、国家やギルドの監視網に自ら飛び込むようなものだ。
だからこそ、俺はこの狂騒が完全に冷めるまでの間、絶対に誰も注目しない「死角」へ身を隠す必要があった。
『目標、来店しました。酒場の入り口、二時の方向です』
アイリスのナビゲートに従い視線を向けると、そこには、身の丈に合わない巨大な鉄の盾を背負った、小柄な少女がオドオドとした様子で立っていた。
年齢は十八、九といったところか。
肩で切り揃えられた黒髪に、大きな瞳。顔立ちは決して悪くないが、身につけている革鎧はひどく安物で、所々が擦り切れている。何より、彼女の背負っている「盾」が異様だった。装飾の一つもない無骨な鉄の塊で、彼女の細い腕では持ち上げるのすら一苦労だろう。
「あ、あのっ……! 募集を見て来てくださった、シンさん……でしょうか?」
少女が、俺の座るテーブルに恐る恐る近づいてきて、ぺこりと深く頭を下げた。
「ああ。あんたが、『ひだまりの盾』のリーダーか?」
「は、はいっ! 美雲夏美と申します! 職業は、えっと……盾職をやらせてもらってます!」
夏美は緊張で声を裏返らせながら、向かいの席にちょこんと座った。
その挙動不審な様子は、どう見ても命懸けのダンジョンに潜る探索者には見えない。迷子の小動物か何かだ。
『マスター。対象の戦闘力データをスキャンしました。……冗談抜きで、絶望的です』
アイリスの声が、普段の冷徹さを通り越して、どこか呆れたような響きを帯びる。
『筋力、敏捷性、魔力、すべてにおいて同年代の平均値を大きく下回っています。加えて、装備している鉄の盾は重すぎるため、機動力を完全に殺しています。あのS級パーティのガレルを「無能」とするならば、彼女の戦闘力は「無」です』
(辛辣すぎるぞ、アイリス。……だが、俺が求めているのは「それ」だ)
俺は内心で頷きながら、夏美に向かって努めて冴えない笑顔を作った。
「俺はシンだ。見ての通り、剣も魔法も使えないしがないポーターだが……本当に俺なんかでいいのか? ギルドの募集掲示板には、『日給銅貨三枚』なんていう、破格の底辺条件で出されていたが」
俺がそう尋ねると、夏美は「ひゅっ」と息を呑み、申し訳なさそうに顔を真っ赤にして俯いた。
「ご、ごめんなさいっ! 本当はもっとお支払いしたいんですけど……うちのパーティ、全然人気がなくて、配信の同接数も普段は十人いかないくらいで……」
「十人。……なるほど」
俺は心の中で、力強くガッツポーズをした。
十人。同接十五万人という狂気の数字を叩き出したあの夜に比べれば、天国のような数字だ。実質、誰も見ていないに等しい。
「私、盾を構えるだけで精一杯で……魔物を倒すのは他の二人のメンバーに任せっきりなんです。でも、ドロップした素材を持ち帰る余裕がなくて、いつも赤字で……。このままだと、パーティが解散になっちゃうんです」
夏美は、今にも泣き出しそうな目で俺を見つめてきた。
「ポーターさんを雇うのは初めてで、お金も全然ないし、こんな弱いパーティに入ってくれる人なんていないと思ってました。……でも、シンさんが来てくれて、本当に嬉しくて……!」
「……そうか」
俺は、彼女の言葉に微かな戸惑いを覚えた。
ガレルたち『紅蓮の剣』は、俺を雇う際、ただ「荷物を持て」「カメラに映るな」「死ぬ気で囮になれ」としか言わなかった。他人の命を、自分たちの見栄と金のための「消費財」としか見ていなかった。
だが、目の前の少女は違う。日給銅貨三枚という底辺の条件を恥じ、赤字を出しながらもパーティを守ろうとし、最弱の荷物持ちである俺に対して、本気で頭を下げている。
「シンさん、一つだけ約束させてください」
夏美は、ぐっと顔を上げ、大きな瞳で俺を真っ直ぐに見据えた。
「うちは弱いし、稼げないし、頼りないリーダーですけど……絶対に、シンさんを危険な目には遭わせません! 私の『盾』で、絶対に後ろは守りますから!」
その言葉に、嘘や虚勢は一切混じっていなかった。
彼女は本気で、この薄汚い中年ポーターの命を、身を挺して守るつもりなのだ。己のステータスが「無」であることにも気づかずに。
『……極めて非合理的な自己犠牲精神です。戦場において、自身の能力を客観視できない指揮官は、部隊を全滅へと導きます』
アイリスが冷ややかに分析する。
(正論だ。……だが、嫌いじゃない)
俺は、無意識のうちに口元が少しだけ綻んでいたことに気づき、慌てて咳払いをして表情を戻した。
「分かった。条件はそれでいい。……ただ、俺からも一つだけ条件がある」
「は、はいっ! なんでも言ってください!」
「俺は、目立つのが死ぬほど嫌いだ。配信のカメラには絶対に映らないように、常に死角を歩かせてもらう。戦闘が始まったら、一番安全な物陰に隠れて、一切手出しはしない。……それでいいか?」
俺の出した「ただの臆病者」にしか見えない条件。
普通なら「少しは囮になれ」と怒られるような内容だ。しかし、夏美はぱあっと顔を輝かせ、何度も深く頷いた。
「もちろんですっ! ポーターさんは荷物を守るのがお仕事ですから、安全第一です! 絶対に、カメラの枠外の安全な場所にいてくださいね!」
――契約成立だ。
この純粋でお人好しな底辺配信者は、自身が雇った冴えない中年男が、昨晩世界を熱狂させた「ネームレス」であり、あらゆる現代兵器を顕現させる歩く戦略兵器であることなど、微塵も疑っていない。
「よし。よろしく頼む、リーダー」
「はいっ! これからよろしくお願いします、シンさん!」
夏美が、小さな手を差し出してくる。俺は、その手を軽く握り返した。
(アイリス。ミッション・プランを更新する)
『了解しました。目的は「身の安全(正体隠匿)」と「深層コアへの到達」。現在、我々はこの『ひだまりの盾』という底辺パーティの仮面を被りました』
(ああ。俺がネームレスであることを、世界中の誰にも、そして目の前の雇い主にすら、絶対に悟られてはならない。だが……)
俺は、嬉しそうに微笑む夏美の顔を見ながら、相棒の戦術AIに極秘のオーダーを下した。
(このお人好しのパーティを、死なせるわけにはいかない。深層への切符を手に入れるためにもな。……アイリス、手持ちの「消音兵器」と「ステルス・システム」のリストを構築しておけ)
『……マスター。それはつまり、「配信カメラの死角から、絶対にバレないように現代兵器で狙撃・爆撃を行い、この最弱パーティを裏で守り抜く」という、極めて難易度の高い曲芸を要求している、という理解でよろしいですか?』
(その通りだ。できるか?)
脳内のアイリスのホログラムが、不敵な笑みを浮かべたように見えた。
『誰にモノを言っているのですか。私を単なる大味な火力支援AIと一緒にしないでいただきたい。……カメラの死角の計算、弾道の隠蔽、環境音への銃声の偽装。すべて完璧にこなしてみせましょう』
頼もしい相棒の言葉に、俺は分厚い眼鏡の奥で、鋭い狩人の瞳を細めた。
A-10の圧倒的な火力で蹂躙した、派手な第一章は終わった。
ここから始まるのは、世界一過保護で、世界一火力の高い「透明な守護者」としての、見えない戦いだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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次回お楽しみに。




