第八十九話 揺
私の名前はユラ。
三人の人間が、ちょこまかと動く。
まるでハエのように。
鬱陶しい……
シュレイドもレオナルドも殺した。
もう問題はない。
いや、そもそも三大英雄の魔法使い・ルミナスがいなかった時点で私の勝ちは確定していた。
過去に前任の四天王と来た時、私が手を出さなかったのは、ルミナスを相手にするリスクが高すぎたからだ。
今回はぬるい。もうこの大陸はケンジ様の物――
その時だった。
破壊の奔流が私の体を流れた。
……は?
全身を潰されたように、血が吹き出した。
なんで?
なんでなの?
「何をしやがったぁぁああ!!ケンジィ!!」
叫んだ。
理解できなかった。
あり得ない。
私の体は半霊体。属性を付帯していようと、物理攻撃は意味をなさない。
しかし、純粋な魔力はダメだ。
内側から、体の奥深くから、まるで私という存在そのものを破壊されたように。
「ぐっ……あ……っ!」
血が止まらない。
空中で体勢を崩し、落下する。
何をした。
何をしたんだ。
どうして。
どうして最後に私を傷付けるの?
どうして最後に私の邪魔をするの?
「ケンジ……様?」
あり得ない。
ケンジ様は私の物だ。
私が作った。
私が育てた。
私が怪物にした。
私だけを見ているはずだった。
なのに、なのに。
最後の最後で。
私ではなく、別の誰かを選んだ。
「ふざけるな」
怒りが湧いた。
憎しみが湧いた。
嫉妬が湧いた。
胸が裂けそうだった。
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
絶叫が王都に響く。
血涙が頬を伝った。
「私を裏切ったのか!?私がどれだけ!どれだけお前を愛したと思っている!!」
その声は怒りだった。怨嗟だった。
そして。
誰よりも惨めな、一人の女の泣き声だった。
遠くで、ケンジの体が地面へ倒れていく。
その姿を見た瞬間、ユラの中で。
何かが音を立てて壊れた。
イベルタ達も、何が起こったのか理解していないようだ。
私の体は消滅を始めた。
あぁ……私は……誰かに愛して欲しかった……
生まれた時から魔物。
力を持って生まれた、選ばれし魔物。
私たち、選ばれた四体の魔物は、特別な力を持つ転生者を魔人化し、アマスの加護の中に入れる手駒を育てた。
それが四天王。
しかし彼らは護石を破壊するための手駒。
私達こそが真の――
そこで思考が止まる。
もうどうでもよかった。
結局、私は何が欲しかった?
力?違う。
地位?違う。
世界?違う。
私はただ、寂しかった。
誰も私を見なかった。
誰も私を理解しなかった。
誰も私を必要としなかった。
だからケンジ様を選んだ。
あの日、壊れていく人間を見つけた時、この人なら私だけを見てくれると思った。
だから救った。
だから力を与えた。
だから側に置いた。
だから愛した。
歪んでいたのは分かっている。
でも、他に方法を知らなかった。
愛し方なんて誰も教えてくれなかった。
気付けば私は。
ケンジ様の悲鳴を聞く度に嬉しくなり。
ケンジ様が苦しむ度に安心し。
ケンジ様が人間らしさを失う度に愛おしくなっていた。
最低だ。本当に最低だ。
私は彼を愛していたんじゃない。
壊していただけだった。私と同じ孤独へ引きずり込もうとしていただけだった。
「……あは」
笑いが漏れた、今さら気付くなんて。
本当に馬鹿みたい。
視界が霞む。
体が崩れる。
魂が砕けていく。
遠くでケンジ様が倒れている。
もう動かない。
もう声も聞こえない。
最後まで私の思い通りにならなかった。
最後に選ばれたのは私じゃなかった。
サトコだった。
人として生きる道だった。
私じゃなかった。
負けたのだ。
血月の夜ユラは、一人の人間に負けた。
「……サトコ」
初めてその名前を呼んだ。
憎かった。
羨ましかった。
妬ましかった。
でも少しだけ、本当に少しだけ。
感謝していた。あなたがいたから、ケンジ様は最後に人間へ戻れたのだから。
「……ずるいなぁ」
涙が溢れる。
こんな感情、知らなかった。
空を見上げる。
王都の空を、朝の日差しが照らしていた。
血の月は消えていた。
綺麗だ、本当に綺麗だ。
私は一度も、こんな空を綺麗だと思ったことがなかった。
消えていく。
もう終わりだ。
誰にも愛されなかった魔物の人生。
誰かを愛したかっただけの人生。
その全てが終わる。
最後に。
最後に一度だけ。
口にした。
「……ケンジ様」
そして、少しだけ笑った。
血月の夜ユラ。
王国を震撼させた最悪の災厄。
数え切れない命を奪った怪物。
その最期は、誰にも看取られず。
誰にも抱きしめられず。
ただ静かに、春の雪のように。
風の中へ、揺らめくように消えていった……




