第八十四話 父さん、今なら分かる。あなたが言っていた意味が
私は嵐龍の牙を握り締め、血月の夜ユラを睨み付ける。
父さんの仇。
王都を滅ぼした魔女。
絶対に許さない。
「殺す」
ユラは空中に浮かんでいた。
短剣では届かない。
私は即座に弓へ持ち替えた。
矢を番え、引き絞る。
そして、放つ。
風を裂いた矢は真っ直ぐユラの胸へ吸い込まれ、すり抜けた。
矢はユラを貫くことなく、そのまま後方へ飛び去った。まるで幻影でも撃ったかのように。
私はもう一度放つ。
二射、三射。
全て同じく、すり抜ける。
ユラは避けようとすらしない。ただ空中で腕を組み、退屈そうに眺めていた。
「終わり?」
私は歯を食いしばった。
何かある。何か仕掛けがあるはずだ。
幻覚か。
分身か。
魔力による防御か。
考える。
私は再び矢を放った。
今度は頭上。
大きく弧を描かせる。
さらに背後から狙う。
だが結果は同じだった。
矢はユラの身体をすり抜けた。
まるで存在していないかのように。
「……なら!」
私は地面を蹴った。
瓦礫を利用する。
壁を蹴る。
屋根へ飛び移る。
一気に高度を上げた。
そして跳躍。
嵐龍の牙を振り抜く。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
手応えはなかった。
短剣はユラの身体を通過し、空を切った。
私は地面へ着地し、すぐに振り返る。
ユラは同じ場所にいた。
傷一つなく、微笑みすら崩さず。
「…………」
私は黙った。
頭を回す。
次は投擲。
次は死角。
次は――
全て無駄だった。
何度試しても。
何度考えても。
結果は変わらない。
攻撃は届かない。
ユラは一歩も動いていない。
ただ空から見下ろしているだけ。
それだけで私は何もできない。
「……どうしたの?」
ユラが口を開く。
その声には侮蔑しかなかった。
「考えるのをやめたのかしら?」
何故当たらない。
何故触れられない。
何故――
「無様ね」
ユラがくすりと笑った。
冷たい目だった。
父さんを見下した時と同じ目。
「諦めるまでここにいてあげるわ」
その言葉と共に、ユラは空中で頬杖をついた。
まるで劇でも鑑賞するように。
まるで虫が足掻く様を眺めるように。
私を見下ろしていた。
私はユラを睨み続けていた。
何度攻撃しても届かない。
何度考えても答えが出ない。
頭の中が焦りで埋め尽くされそうになった、その時だった。
――不意に。
昔の記憶が蘇った。
六年前。
私は十四歳だった。
妹のアリシアは十歳。
まだ幼いはずなのに、周囲の誰もが天才と呼んでいた。大人の正規兵と本気で剣を交え、勝ってしまう。
左利きの天才剣士。王国中を探しても、アリシアに勝てる若手などほとんどいなかった。
兄のクラウド。そしてレオナルドさんの息子、ライネルさん。
そのくらいだ。
私は強かった。普通の人より遥かに。
だが妹と比べれば霞む。
何度も負けた。
何度も追い抜かれた。
悔しかった、自分には才能がないのだと思っていた。
「父さん」
私は訓練場で木剣を握りながら呟いた。
「どうしてアリシアばっかり……」
父さん――シュレイド=ローキンスは少しだけ笑った。
「そうか?」
「だって……」
「私は妹みたいになれない」
父さんは私の頭を軽く撫でた。
大きな手だった。
「イベルタ」
「お前には素晴らしい才能がある」
「え……?」
「今はまだ気付いていないだけだ」
父さんは真っ直ぐ私を見た。
「お前もアリシアに近づける」
「本当に?」
「ああ」
父さんは少しだけ考え込むように空を見上げた。
「先祖の誰かの遺伝か、たまたまなのか、それは分からん」
そして再び私を見る。
「だが俺は、お前に火を感じる」
「火……?」
「いつか分かる」
父さんはそう言った。
その時の私は意味が分からなかった。
――今なら、分かる気がした。
「火……」
私は呟いた。
胸の奥、ずっと昔からあった何か。
怒り。
悲しみ。
悔しさ。
父さんを殺された怒り。
王都を滅ぼされた怒り。
それらが混ざり合い、胸の中心で燃えている。
熱い。
熱い。
熱い。
「っ……!?」
私は目を見開いた。
本当に熱かった。
魔力が、身体の奥で燃えている。
今まで感じたことのない感覚だった。
風ではない。
嵐ではない。
これは――火。
「なに……これ……」
指先から赤い光が漏れる。
魔力が揺らぐ、まるで炎のように。
空中のユラが眉をひそめた。
「……へえ」
初めてだった。ユラの表情が変わったのは。
私は咄嗟に弓を構えた。
矢を番え、そして引き絞る。
同時に魔力が流れ込んだ。
次の瞬間。
ボォォォォッ!!
「っ!?」
弓が燃えた。
一瞬だった。安物の弓は耐えられない。炎に包まれ、炭のように崩れ落ちる。
「なっ……!?」
私は思わず手を離した。
焼け落ちた弓の残骸が地面へ転がる。
そして、空中のユラが驚いていた。
ほんの一瞬、目を見開いていた。
まるで信じられないものを見たように。
だが次の瞬間には消える。
いつもの笑み。
いつもの余裕。
「何をしているの?」
ユラがくすくす笑う。
「武器を燃やしてどうするのかしら?面白いわね、絶望のあまり壊れた?」
私は答えなかった。
見逃さなかったからだ。
今の表情を。
驚愕、警戒、動揺。
確かにあった。
攻撃が効かなかった魔女。ずっと余裕だった怪物。
父さんを殺した存在。そのユラが、初めて焦った。
「…………」
私はゆっくりと拳を握った。
胸の奥で炎が燃えている。
今まで知らなかった力。
父さんが言っていた才能。
――火を感じる。
あの言葉が脳裏に蘇る。
ユラは笑っている。だがその笑みは、もう先程までと同じには見えなかった。私は静かに口を開いた。
「……見つけた」
「え?」
「お前が初めて嫌な顔をした」
ユラの笑みが僅かに固まる。
私は嵐龍の牙を握り直した。
胸の奥で燃え続ける炎を感じながら。
父さん、今なら分かる。
あなたが言っていた意味が。




