第八十三話 お前はローキンス家の娘だ
私の名前はイベルタ。
私は今、操られた最強の父・シュレイド=ローキンスと対峙している。
父の剣が目の前にあった。あと少し、あとほんの数センチずれていなければ、私の首は飛んでいた。
「っ……!」
父は止まらない。黒鞭に縛られたまま、それでも強引に身体を動かしている。
誰よりも誇り高い騎士だった殲鬼シュレイドが、まるで操り人形のように。
「父さん!」
叫ぶ。返事はない。
虚ろな瞳だけがこちらを見ていた。
その時だった。
「待って!」
ユッキーだった。彼は目を細め、じっと父上を見つめている。
「見える……」
「何が!?」
コルディが叫ぶ。ユッキーは父の背後を指差した。
「糸だ……魔力の糸!」
その言葉に全員が息を呑む。
父の身体から伸びる無数の魔力の糸。
細く透明で、普通の人間には見えない。
それは遥か後方。空中に浮かぶユラの指先へと繋がっていた。
ユラは楽しそうに笑う。
「あら」
初めて驚いたような顔だった。
「これでも見えるのね、アナタ」
「やっぱりか!」
ユッキーは腰のヨーヨーを握った。
深く息を吸う、そして。
「ハイドランジェント!!」
ヨーヨーが放たれた。
高速回転。空中を滑るように走る。
複雑な軌道を描きながら魔力の糸へ切り付ける。
火花が散った。
「くっ……!」
だが切れない。糸は異様な強度を持っていた。
それでも、一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
糸が緩んだ。
「――っ!」
父の瞳に光が戻った。
「父さん!」
私が叫ぶ、父は私を見る。
そして開口一番。
「金借りのイベルタ」
父は鼻を鳴らした。
「今それ言います!?」
「今だから言うのだ馬鹿者」
父が吐き捨てる。その顔はいつもの父だった。
無愛想で、厳しくて、腹の立つ顔。
だから、少しだけ安心してしまった。
「聞け」
声色が変わる、時間がない。
私にも分かった。魔力の糸が再び父上を蝕んでいる。
「俺を斬れ」
その言葉に血の気が引いた。
「嫌です」
「斬れ」
「嫌です!」
「斬れと言っている!」
怒鳴られる。
昔からそうだ、父はいつも命令しかしない。
私も怒鳴り返した。
「何ですかそれ、勘当したくせに!今度は私に親殺しをしろって言うんですか!?」
感情が溢れる。止まらない。
父上は黙って聞いていた。
そして。
「当たり前だ」
そう言った。この人は最後までこうなのだ。
家族より騎士。
感情より使命。
そういう人だ。
だから、私はずっと嫌いだった。
「……大嫌いです」
「知っている」
「融通利かないし」
「ああ」
「説教ばっかりだし」
「ああ」
「怖いし」
「そうか」
父が少し笑った。本当に珍しく。
「だが」
父が言う。
「お前はローキンス家の娘だ」
その言葉に、胸が止まった。
「父さん……」
「胸を張れ」
それだけだった。
たったそれだけ。
ずっと欲しかった言葉だった。
涙が止まらない。
父は再び苦しそうに顔を歪める。
「早くしろ」
「……嫌です」
「馬鹿娘」
父が吠えた。
「一度くらい親孝行せんかこの馬鹿娘!!」
その瞬間、ユッキーが泣きそうな顔になり。
コルディが目を伏せた。
私は、もう立っていられなかった。
「うあああああああああ!!」
嵐龍の牙を握る。
叫びながら駆ける。
そして、父の胸へ突き立てた。
刃が貫く。父は最後まで抵抗しなかった。
「……まあ」
血を吐きながら、父は笑う。
「借金は返せ」
「……はい」
父は小さく笑った。
「それでいい」
その言葉を最後に、殲鬼シュレイドは静かに目を閉じた。
父上の身体が崩れ落ちる。
私はその場に膝をついた。
涙が止まらない。胸が苦しい。
苦しくて、苦しくてたまらない。
だけど、父の最期の顔は穏やかだった。
だから、立たなければならない。
そう思った。
その時だった。
「使えない男ですこと」
冷たい声が響く。
私は顔を上げた。
ユラだった。
血月の夜、この惨劇の元凶。
父を操り人形に変えた女。
ユラはため息を吐いた。
「せっかく面白い玩具でしたのに」
まるで壊れた人形でも見るような目で父を見下ろしている。
「最後の最後で自我を取り戻すなんて。本当に使えない男でしたわ」
その瞬間、何かが切れた。
「お前」
声が震える。
怒りで、憎しみで、殺意で。
ユラがこちらを見る。
そして微笑んだ。
「何か?」
「父さんを」
震えていた手はもう止まっていた。
「父さんを馬鹿にするな!!」
地面を蹴る。一直線でユラへ向かって飛び出した。
「あら」
ユラが指を鳴らした。
空間が歪む。次の瞬間、魔法陣が出現した。
「っ!?」
そこから溢れ出したのは、魔物の群れ。
牙を剥き、咆哮を上げながら襲い掛かってくる。
その瞬間、黒鞭が唸る。
蛇のように伸びた鞭が複数の魔物へ巻き付いた。
「まとめて捕まえた!」
そのまま全力で引き寄せる。
魔物達が折り重なる。
「エネミーハンマー!!」
コルディの必殺の一撃。
魔物の群れがまとめて吹き飛ぶ。
「次ぃ!!」
コルディが吠える。
黒鞭と魔物でできたハンマーを振り回しながら突撃していった。
別方向では、ユッキーのヨーヨーが唸っていた。
高速回転、複雑な軌道。縦横無尽に飛び回るヨーヨーが魔物達を次々となぎ倒していく。
「数だけで調子乗るなよ!」
ヨーヨーが跳ねる。
魔物達は次々と地面へ沈んでいった。
「イベルタ!」
ユッキーが叫ぶ。
「ここは任せろ!」
コルディも叫ぶ。
「シュレイド叔父さんの仇、取ってきて!」
二人の声が、私の背中を押す。
私は頷いた。
そして、魔物達の間を駆け抜ける。
父の言葉。
父の最期。
全てを胸に刻みながら。
やがて、視界が開けた。
そこにはユラがいた。
血月の夜。
王都を燃やした魔女。
私から父を奪った女。
ユラもまた私を見ていた。
赤い瞳が細められる。
私は嵐龍の牙を構えた。
涙はもう流れていない。
代わりにあったのは、燃え盛る怒りだけだった。
「殺す」
短く告げる。
ユラは楽しそうに笑った。
「ふふっ」
その笑みが、どうしようもなく気に入らなかった。
血月の夜ユラ。
その討伐戦が始まろうとしていた。




