第八十二話 立つな、頼むから立つな
俺とサトコは同時に地面を蹴った。
剣士と拳士。
いや、違う。
俺は剣士ですらないし、あいつも格闘家じゃない。
俺達はただ、お互いを止めるために前へ出た。
それだけだった。
「っ!」
サトコの右手が伸びる。
見えない、だが分かる。
あの手に触れられたら終わりだ。
俺は強引に身体を捻り、その腕を避ける。
そして。
「くらいやがれ!」
雷を纏った剣を振り抜いた。
閃光、斬撃、雷鳴。
刃がサトコの肩から脇腹までを切り裂く。
血が舞った、だが。
「なっ……!?」
浅い、浅すぎる。普通の人間なら戦闘不能になっている傷だ。
それなのに、サトコは止まらない。苦痛に顔を歪めながらも、一直線に踏み込んでくる。
「ケンジさんに!」
張り手。空気が弾けた。
咄嗟に腕で受ける、だが衝撃が凄まじい。
「ぐっ!」
身体ごと吹き飛ばされる。
石畳を転がり、壁へ激突した。
肺の空気が吐き出される。
痛い。だが、立てる。
「はっ!」
俺は再び駆ける。
サトコも駆ける。
剣が振るわれる。
拳が飛ぶ。
雷が弾ける。
肉が裂ける。
骨が軋む。
それでも決まらない。
俺の攻撃はサトコを傷付ける。だが致命傷にはならない。魔人化した肉体が異常な耐久力で耐えている。
そして、サトコの攻撃もまた決定打にならない。
張り手、蹴り、体当たり。
どれも重い。
どれも痛い。
だが本来の能力ほどではない。
あの見えない何かさえ決まれば終わる。
しかし俺もそれだけは絶対に警戒している。
だから届かない。
「はぁ……!」
「っ……!」
互いに距離を取る。
息が荒い、血が流れる。
だがどちらも倒れない。
泥試合。
まさにその一言だった。
周囲の戦場が霞むほどに。
俺達はただ殴り合っていた。
その時だった。
「どけ…サトコ!」
ケンジの叫び声、反射的に振り向く。
奴は片腕を失ったまま、血まみれのまま。
それでも立っている。
そして、残った左手を俺へ向けていた。
「まずい――!」
全身が警鐘を鳴らす。
黒の鳴動。
あれを受ければ終わる。
だが、ケンジの魔力が放たれるより早く。
「どぉぉぉぉぉりゃあああああああ!!」
巨大な影が突っ込んだ。
マリベルだった。大盾を構えたまま全力疾走、そのままケンジへ激突する。
轟音。地面が砕ける。
ケンジの身体が大きく弾き飛ばされた。
「なにっ!?」
サトコの表情が変わる。
マリベルは盾を構えたまま吠えた。
「ギャンさんには指一本触れさせません!!」
頼もしいにも程がある。
俺は思わず笑った。
「助かった!」
視線を横へ向ける。アリシアの姿が見える。生き残った騎士達が彼女を支え、安全な場所へ運んでいた。
肋骨を砕かれた今の状態では前線に立てない。
だが少なくとも命は繋がった。
よかった、本当に。
だからこそ、俺は再び剣を構える。
サトコもまた拳を握った。
互いに満身創痍。
俺とサトコは再び地面を蹴った。
「っ!」
剣が走る。
サトコが避ける、見えない手が伸びる。
俺が飛び退く、距離が離れる。
また膠着。
また振り出し。
このまま続けば先に倒れるのはどっちだ。
分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
この女は強い。
技術じゃない。
経験じゃない。
覚悟だ。
ケンジを守る。
その一点だけで立っている。
だから厄介だ。
だから――見えた。
弱点が。
俺は視線を動かした。
サトコではない。その後ろ、倒れているケンジを見る。
そして叫んだ。
「今だ!!」
戦場全体へ響く声。
「ケンジを取れ!!アリシアァァァ!!」
「!?」
サトコの顔色が変わった。
反射だった。
本能だった。
考えるより先に。
サトコは振り返っていた。
ケンジを見るために。
ケンジを守るために。
その一瞬、本当に一瞬だけ。
俺から意識が外れた。
賭けは成立、俺は地面を蹴った。
「しまっ――」
サトコが振り向く。
だが遅い。全身全霊、残った力の全てを込める。
「終わりだぁぁぁぁぁ!!」
渾身の突き。剣先がサトコの腹部へ突き刺さった。雷が体内で炸裂した。
「がっ……!」
サトコの身体が浮いた。
そのまま吹き飛ぶ。石畳を砕き、崩れた建物へ激突し、轟音と共に瓦礫の中へ消えた。
俺は荒い呼吸を繰り返しながら剣を構え続ける。
立つな。頼むから立つな。
そう願いながら。
だが、瓦礫の中から動く気配はなかった。
「はぁ……はぁ……」
勝った。
あの女はまだ生きている。
だが少なくとも、もう戦えない。
サトコは完全に戦闘不能になっていた。
※今回の前半終了パターン
だから厄介だ。
俺は剣を構えたまま息を整える。
サトコも同じだった。
互いに傷だらけ。
互いに満身創痍。
だが、まだ立っている。
「はぁ……」
まずいな。正直、体が限界に近い。
腕は痺れている。
肋骨も何本かやっている気がする。
だが、焦るな。
焦った奴から死ぬ。
俺は何度もそういう場面を見てきた。
だから慎重にいく。
絶対に近付きすぎない。
絶対に隙を見せない。
あの見えない何か。
あれだけは喰らわない。
それだけを考えていた。
それが間違いだった。
俺が一歩引けば、サトコも一歩進む。
俺が避ければ、サトコも追う。
張り手、蹴り、体当たり。
どれも決定打ではない。
だが確実に削られていく。
「ぐっ……!」
肩へ衝撃。
身体がよろめく。
だが、踏みとどまる。
まだだ、まだ戦える。
だが、次の瞬間だった。
足がもつれた。
「――あ」
ほんの僅か。
本当に僅か。
崩れた体勢。
それだけだった。
サトコの目が見開かれる。
獲物を見付けた獣の目。
右手が伸びる。
間に合わない、まずい。
そう思った時には、もう届いていた。
「捕まえました」
静かな声、見えない何かが胸の奥へ入り込む。
心臓。
理解した瞬間。
サトコの指が閉じられた。
「さようなら」
ぐしゃり。
嫌な音が響いた。
「がっ……!?」
全身から力が抜ける。
剣が落ちる。
膝が砕ける。
息ができない、立てない。
視界が暗い。
サトコはその場に膝をついた。
限界だったのだろう。
だが、それでも勝った。
俺は負けた。最後まで能力を警戒した。
最後まで慎重だった。
最後まで正しかった。
それでも、一度の失敗で終わった。
それがサトコという怪物だった。
R.I.P




