第七十八話 殲鬼シュレイド、届かぬ刃
私の名前はイベルタ。
王城を後にし、コルディと共に王都の街を駆けていた。
燃え盛る建物。
響き続ける悲鳴。
魔物達の咆哮。
本来なら一刻も早くギャンさん達と合流しなければならない。
「……止まって」
私は足を止めた。隣を走っていたコルディも同時に立ち止まる。
「感じた?」
「うん」
いつもの軽い調子ではない。コルディの顔からも笑みが消えていた。
背筋を撫でるような圧力。
剣気。
殺気。
それとも別の何か。
ただ一つ分かるのは――。
「父さんだ」
間違いない。
殲鬼 シュレイド=ローキンス。
王国最強にして、私の父。
そして。
「もう一ついる」
コルディが小さく呟く。
私も頷いた。
嫌というほど知っている気配だった。
血月の夜ユラ。
あの魔女だ。
「行くよ」
「うん」
二人は同時に駆け出した。
崩れた建物を飛び越え、燃える通りを抜け。
やがて辿り着く。
そして。
「……なっ」
私は言葉を失った。
そこは異次元だった。
地面が抉れている。
建物が斜めに切断されている。
石畳は粉々。
まるで巨大な怪物同士が暴れ回った後のような惨状。
その中心。一人の男が立っていた。
父だった。だが目を奪われたのは、その姿ではない。
動きが、異常だった。
空中から無数の魔法陣が現れる。
火球、氷槍、雷撃、闇の光線。
常人なら一つ避けるだけでも不可能な攻撃。
それを、父は歩いていた。
本当に歩いているだけだった。
最小限の動き。
首を傾ける。
一歩踏み出す。
半歩下がる。
それだけで全てを回避している。
まるで未来でも見えているかのように。
「何あれ……」
コルディが呟く。
私も同じ気持ちだった。
戦っているようには見えない。
散歩しているようにすら見える。
だが、父が一歩踏み込んだ瞬間。
周囲の魔物達が吹き飛んだ。
オーガの首が飛ぶ。
ワイバーンが両断される。
ゴーゴンの上半身が消える。
斬ったようにすら見えない。
ただ通り過ぎた。
それだけで魔物達が死んでいた。
「相変わらず化け物だね」
「ええ」
否定できなかった。
だが、問題はそこではない。
父の視線の先。
そこにユラが立っていた。
赤い月を背負いながら。
楽しそうに笑っている。
「素晴らしいですわ」
ユラが拍手する。
「本当に素晴らしい」
父は何も答えない。
ただ前へ出る。一歩、そして消えた。
次の瞬間、ユラの首へ剣が到達していた。
だが、斬れない。
いや、斬っている。
確かに剣は通過している。
それなのに、何も起きない。
ユラの身体をすり抜けている。
「……やっぱり」
ユラも迎撃するように父へ爪を伸ばす。
しかし、ユラの攻撃もすり抜けた。
私は呟いた。見覚えがある、忘れるはずがない。
ユッキーの村。
あの戦いだ。
「コルディ」
「うん」
コルディも理解していた。
「あの時と同じ」
ユラへ放たれた攻撃。
爆破矢も黒鞭も、全てがすり抜けた。目の前に存在しているはずなのに、実体があるのかすら分からない。
「位相ズレ……?」
「投影体かも」
だが断言できない。そもそも、本当にそこにいるのかすら分からない。
ただ一つ不可解なのは、何故ユラの攻撃も当たらないのに、引っ掻くような動きをしたのか…。
「父さん……」
シュレイドが再び斬り込む。
一閃、二閃、三閃。
常人には認識できない速度。
それでもユラには届かない。
ユラは避けてもいない。
ただ立っているだけだ。
それなのに、全てが通り抜ける。
「攻略法がない……」
私は唇を噛んだ。
相手の正体が分からない。本体がどこにいるのかも分からない。
攻撃方法も不明。
そして何より、父様ですら有効打を与えられない。
その事実が重かった。王国最強ですら届かない。
そんな相手を、どうやって倒せばいいのか。
その時だった。
ユラが不意に顔を上げる。
「――あら?」
その視線が王都の別方向へ向く。
笑みが消える。
いや、違う。
歓喜だ。
鳥肌が立つほどの歓喜。
「ケンジ様……?」
甘く、熱に浮かされたような声。
次の瞬間、王都の空気が変わった。
ユラの意識がシュレイドから完全に離れた。
まるで他の全てがどうでもいいと言わんばかりに。
私は嫌な予感を覚えた。
そして父もまた、静かに剣を握り直していた。
その時だった。
「イベルター!!」
聞き覚えのある声が響く。
瓦礫の向こうから走ってくる人影。
「ギャンさん!」
その後ろにはユッキーと、大きな女性騎士もいた。
「無事だったか!」
ギャンさんが駆け寄る。
「はい」
「そっちは!?」
「王城は持ち直しました」
私が答える。
「クラウド兄様とワイズ様、それに騎士団が守っています」
ギャンさんの表情が少し緩む。
「そうか……」
「だから私達は加勢に来ました」
コルディも頷いた。
「で、来てみたら伯父さんが大暴れしてた」
私は真剣な表情になる。
「ユラと遭遇しました」
全員の表情が引き締まる。
「やっぱりか」
ギャンさんが呟く。
「倒せたのか?」
私は首を横に振った。
「無理です」
はっきり言った。
「父の攻撃ですら通用しませんでした」
父ですら届かない。
なら、誰が届くというのだろう。
「ただ」
私は続ける。
「ユラは突然戦闘を放棄しました」
「放棄?」
ユッキーさんが眉をひそめる。
「何で」
「ケンジ様、と」
その名前を口にした瞬間。
ギャンさんの目が変わった。
「……ケンジ」
「その方向です」
私は王都正門方面を指差した。
「ユラはそちらへ向かいました」
父も同じ方向を見る。
「急ぐぞ、ユラが他の全てを捨てるほど執着する相手だ」
殲鬼の勘。それが警鐘を鳴らしているのだろう。
「間に合わなくなる」
ギャンさんがサンダーグラディウスを握る。
「行こう」
ユッキーが頷く。
女性騎士も盾を構える。
コルディは黒鞭を握り直した。
そして私達は走り出す。
燃え盛る王都を。
正門へ向かって。
その先で何が起きているのか。
まだ誰も知らなかった。




