第六十七話 金獅子の激昂
ユラが恍惚とした笑みを浮かべる。
私は歯を食いしばり、大剣を握り直した。
怒りに呑まれるな。今、優先すべきは――
「総長!!ベヒーモスが!!」
騎士の叫び。
振り返る。
黒き巨獣はなお暴れ狂っていた。
全身から黒い血を撒き散らしながら、それでもなお王都正門を破壊しようと爪を振るっている。
まさしく災厄。
だが、限界は近い。
「総攻撃だ!!」
私は怒号を飛ばした。
「ここで仕留める!! 王都へ近づけるな!!」
「応ッ!!」
騎士団の咆哮が響く。
前衛部隊が盾で動きを止める。
魔導兵が一斉に魔力を収束。
重騎兵が左右から突撃した。
「魔導砲、斉射ァァァッ!!」
蒼白い閃光が連続して炸裂する。
爆炎。
衝撃。
ベヒーモスの巨体が大きくよろめいた。
私は地を蹴る。一瞬で頭上へ跳躍。
黄金の闘気を大剣へ集中させる。
「終わりだ、化け物」
振り下ろした。
黄金の一撃が、空間ごと断ち切る。
閃光。
次の瞬間。
ベヒーモスの首が宙を舞った。
絶叫。そして、巨体が崩れ落ちる。
漆黒の肉体が、粒子のように崩れ始める。
黒い光となって空中へ溶け、巨大な身体は跡形もなく消滅していった。
その場に残されたのは、莫大な量の金貨。
そして、漆黒の巨大斧。
ベヒーモス討伐報酬。
災厄級魔獣が落とした、超級武具だった。
一瞬遅れて、戦場に歓声が爆発する。
「討ち取ったぞ!!」
「総長がやった!!」
「勝った……!」
騎士たちが武器を掲げる。
だが私は笑わなかった。
ゆっくりと視線を上げる。
城門の上、ユラはまだそこにいた。黒衣を風になびかせながら、こちらを見下ろしている。
まるで、この程度の戦いは余興だと言わんばかりに。
私と目が合う。
ユラは不敵に口元を歪めた。
「ふふ……やっぱり素敵ねぇ、金獅子」
次の瞬間、黒い魔力が霧のように広がる。
その姿が、ゆっくりと薄れていく。
「待て!!」
騎士が叫ぶ。
だが遅い、ユラの姿は完全に掻き消えた。残ったのは、肌にまとわりつくような不快な魔力だけ。
「……逃げたか」
私は低く呟いた。
胸騒ぎが消えない。
あの女は、こんなことで終わる存在ではない。
むしろ、始まりだ。
「総長!」
副官が駆け寄ってくる。
「負傷者多数。死者も……」
その言葉に、私は周囲を見渡した。
砕けた石畳。
崩れた盾。
動かない騎士たち。
そして、自らの手で斬った部下たちの亡骸。
胸の奥が重く沈む。
だが、立ち止まっている暇はない。
「負傷者の救護を急げ。死者は丁重に回収しろ」
「はっ!」
私は視線を落とす。地面に転がる、ベヒーモスのドロップ武器。漆黒の巨大斧からは、なお禍々しい魔力が漏れ出していた。
「その武器には誰も触れるな」
低く命じる。
「王城の封印庫へ直送する。魔導師団を呼べ」
「了解しました!」
矢継ぎ早に指示を飛ばしながら、私は王城を見上げた。
報告が必要だ。
ベヒーモス。
そして、ユラ。
あの怪物が再び現れたという事実は、王国にとって最悪級の報せだった。
「……城へ戻る」
王城、謁見の間。
重厚な扉が開かれる。
私は血と煤に塗れた鎧のまま、玉座の前へ進んだ。
豪奢な赤絨毯。
並ぶ重臣たち。
張り詰めた空気。
そして、その中央。
王国国王。
オーウェン=バルミナム。
白銀の髪を持つ壮年の王は、静かに私を見下ろしていた。
その傍らには、三人の男女。
一人は、黒い軍服を纏った長身の男。鋭い眼光。無数の戦場を潜った者だけが持つ、静かな威圧感。
殲鬼・シュレイド=ローキンス。
私と並び、王国最強と称される化け物だ。
そして、その後ろ。父によく似た銀灰色の髪を持つ青年が腕を組んで立っている。
神殺し・クラウド=ローキンス。
冷静沈着、常に感情を抑えた天才剣士。
若くして王国上位戦力に数えられる男だ。
さらに、その隣。
美しい金色の髪を揺らす少女。
まだ十代半ば。だが、その瞳には年相応の感情がほとんど存在しない。
左腰に佩いた細身の剣。左利き。
アリシア=ローキンス。
ローキンス家末子。
クラウドに次ぐ才能を持つ、絶対秩序の天才剣士。
秩序のためなら、肉親すら切り捨てる少女。
感情より規律。
慈悲より合理。
敵であれ味方であれ、秩序を乱す者を斬る。
そんな少女だ。
「……戻りました、陛下」
私は片膝をつく。
オーウェン王が短く頷く。
「報告を」
簡潔な言葉。だが、その声には緊張が滲んでいた。
私は顔を上げる。
「ベヒーモス一体、討伐完了」
重臣たちの間に安堵が走る。
その空気を断ち切るように、私は続けた。
「だが、ユラが出現しました」
沈黙。一瞬で、謁見の間から音が消えた。
「……なに?」
老臣の一人が青ざめる。
「馬鹿な……」
「血月の夜は終わったはずでは……」
ざわめきが広がる。
だが、シュレイドだけは無言だった。
鋭い目で、ただ私を見ている。
クラウドもまた表情を変えない。
冷静に情報を整理しているのだろう。
対照的に、アリシアの瞳だけが細くなる。
まるで排除対象を認識したように。
「確認したのは私自身です。間違いありません」
私は続ける。
「奴は戦場へ介入し、死亡した騎士たちを操りました」
重臣の一人が息を呑む。
「死霊術……」
「ええ。騎士団に追加被害が発生しています」
静かに被害報告を述べる。
「騎士団死者二十七名。重軽傷者四十三名」
空気がさらに重く沈む。
「なお、死亡者の一部はユラによって死体操作を受けました」
誰も口を開けなかった。あまりにも冒涜的。王国を守って死んだ騎士が、死後なお味方へ剣を向けさせられたのだ。
「……それで?」
低い声で問いかけたのは、シュレイドだった。
「奴は何をしに来た」
感情の見えない声。だが、空気が張り詰める。
私は短く答えた。
「……楽しんでいた」
その瞬間、クラウドがわずかに眉を動かした。
アリシアは冷淡に呟く。
「ならば危険度は最大級です。目的なく殺戮を楽しむ存在は、最も制御不能です」
まるで処刑判決でも下すような口調だった。
重臣たちの顔色が変わる。遊び。あの怪物にとって、今日の惨劇はその程度なのだ。
オーウェン王は静かに目を閉じる。
血月の夜。十数年前、四天王と呼ばれた男を引き連れ、王国を血に染めた惨劇。
数万の死者を出した悪夢。
その象徴が、再び現れた。
ギシ、と。
王が玉座の肘掛けを握る。
王として。
この国を守る者として。
彼は理解してしまったのだ。
ベヒーモス討伐など前座に過ぎないと。
本当の脅威は。
再び現れた血月の夜そのものだと。
そして、新たな四天王と言われる、地震の能力者・ケンジの存在。
「……警戒態勢を最高段階へ移行する。全騎士団へ通達。各地の領主にも緊急伝令を飛ばせ」
王はゆっくり立ち上がる。
その眼には、王としての覚悟が宿っていた。
「王国は、再び戦時下へ入る」




