第六十六話 金獅子と死者の魔女
私の名はレオナルド=プロメディウス。
王国騎士団総長。
そして、王国最強の一角だ。
空は高く澄み渡り、石畳には初夏の陽光が降り注いでいた。城壁の上では、巡回中の騎士たちがいつものように周囲を警戒している。
市場の喧騒も遠くに聞こえ、王都は平穏そのものだった。
――その咆哮が響くまでは。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!
空気が震えた。
鳥が一斉に飛び立ち、軍馬が激しく嘶く。
兵たちの顔色が変わった。
「総長!!あれは……!!」
若い騎士の叫び。
私は外壁の向こうへ視線を向ける。
そこにいたのは――災厄。
山のような肉体。
漆黒の外殻。
太陽の下でも赤く燃える双眸。
ベヒーモス。
その巨体が、王都正門の前に陣取るように立っていた。周囲では避難誘導が始まり、商人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「まさか……昼間に現れるなんて……」
「王都が……!」
騎士たちの間にも緊張が走る。
無理もない。
通常の魔獣とは存在そのものが違う。
だが、私は冷静に観察していた。
ベヒーモスは咆哮を上げるだけで、王都へ踏み込もうとはしない。
いや、踏み込めないのだ。
王都全域を覆う、淡い金色の光。
城下に鎮座する巨大なアマス神の護石。
王都を守護する結界。強大な魔性ほど拒絶され、内部への侵入を許されない。
ベヒーモスほどの存在なら尚更だ。
だが、それでも問題は深刻だった。
王都正門を塞がれている。物流は止まり、人の出入りも封鎖状態。このまま数日も続けば、市場は混乱し、民の生活にも被害が出る。
つまり、外で討伐するしかない。
私は黄金の大剣を抜いた。
瞬間、膨大な魔力が噴き上がる。
黄金の闘気が陽光を反射し、兵たちの顔を照らした。
「王国騎士団、戦闘用意!!」
空気が引き締まる。
「前衛、盾を上げろ! 魔導兵は左翼展開! 重騎兵は私に続け!!」
統率された怒号。
恐怖が、覚悟へ変わっていく。
「ここを通せば、王都の機能そのものが止まる」
私はゆっくり剣を構えた。
「速やかに排除する」
次の瞬間。
ベヒーモスが地を砕いて突撃した。
轟音。
衝撃。
前衛部隊の大盾が悲鳴を上げる。
「ぐっ……!!」
「踏みとどまれぇ!!」
巨大な爪が振るわれ、騎士が吹き飛ぶ。
だが王国騎士団もまた精鋭。
「魔導砲、撃てぇ!!」
蒼白い閃光が炸裂する。
爆炎。
ベヒーモスの巨体が揺れた。
私は地を蹴る。一瞬で懐へ潜り込み、黄金の大剣を振り抜いた。
閃光のような斬撃。
漆黒の外殻が裂け、黒い血が噴き出す。
ベヒーモスが怒号を上げた。
だが、その時。
ぞわり、と。
別種の悪寒が背筋を撫でた。
「……」
私はゆっくり視線を上げる。
王都正門、その上。
黒衣の女が立っていた。
長い黒髪。
妖しく揺れる魔力。
周囲の空気そのものを侵食するような存在感。
忘れるはずがない。
かつて王国を血に染めた、あの夜。
死体の山の中心で笑っていた女。
ユラ。
かつての四天王と共にいた魔物。
だが――。
あれは、四天王より危険。底が見えない。何を考え、どこまで力を隠しているのか誰にも分からない。
王国上層部ですら、危険度の査定を放棄した怪物。
おそらく……大陸最悪の化け物。
私とユラの視線が交差する。
瞬間、空気が軋んだ。
周囲の騎士たちが息を呑む。
私は黄金の大剣を肩に担ぎ、低く笑った。
「……久しぶりだな、血月の夜」
ユラの口元がゆっくり吊り上がる。
歓喜。
狂気。
そして、理解不能な何か。
その笑みを見た瞬間、私は確信する。
ベヒーモスより危険なのは、こいつだ。
「久しぶりね、金獅子」
ベヒーモスの咆哮が戦場を揺らす。
黒い血を撒き散らしながら、巨体が暴れ狂った。
追い詰められている。
誰の目にも明らかだった。
だが、災厄級魔獣は死に際こそ最も危険だ。
ベヒーモスは狂ったように前脚を叩きつける。
轟音。石畳が砕け、衝撃波が騎士たちを吹き飛ばした。
「ぐああああっ!!」
「隊列を維持しろ!!」
騎士団が必死に踏みとどまる。
しかし次の瞬間。
巨大な尾が薙ぎ払われた。
鎧ごと数人の騎士が宙を舞う。
血飛沫。
悲鳴。
叩き潰された騎士が動かなくなる。
「くそっ……!」
私は歯を食いしばり、大剣を振るった。
黄金の斬撃がベヒーモスの肩口を深く裂く。
巨体がよろめいた。
だがその時だった。
――くすり。
場違いな笑い声。
「……?」
私は反射的に城門上を見る。
ユラ。
黒衣の女が、愉しそうにこちらを眺めていた。
そして、ゆっくりと死んだ騎士たちへ手をかざす。
黒い魔力が霧のように流れ落ちた。
瞬間。びくり、と。
絶命していた騎士の指先が動く。
「なっ……!?」
兵たちの顔が凍りつく。死んだはずの騎士たちが、ゆっくりと立ち上がった。
首が不自然に曲がっている者。
腹を裂かれ、臓物を零したままの者。
目から光は消えている。
なのに、剣を拾いこちらへ向き直った。
「……ォ……」
低いうめき声。次の瞬間、死人たちが一斉に騎士団へ襲いかかった。
「ひっ……!!」
「死者が……動いて……!」
隊列が乱れる。
私は舌打ちし、駆け出した。
迫ってきた亡者の剣を弾き飛ばす。
だが、その顔を見た瞬間、胸が軋んだ。
さっきまで共に戦っていた部下だった。
「総長……」
「助け――」
ありえない。
もう死んでいる。
これは声ではない。
ただの死体だ。
それでも。
「……すまん」
私は低く呟き、大剣を振るった。
黄金の閃光。
騎士だった亡者の身体が、真っ二つに裂ける。
血が飛ぶ。別の死体が襲いかかる。
「すまん」
「許せ」
振るう。
斬る。
かつて部下だったものを、次々と両断していく。
騎士たちの顔が絶望に染まった。その光景を見下ろしながら、ユラは愉快そうに肩を震わせる。
「あらぁ、残酷ね」
舐めるような声音。
嘲笑。
私はゆっくり顔を上げた。
怒りで、視界が灼ける。
「……貴様は許さない」
黄金の闘気が爆発的に膨れ上がる。
空気が震えた。殺気だけで周囲の兵が息を呑む。
だがユラは怯えない。むしろ嬉しそうに目を細める。
「ふふっ……その顔よ、金獅子」
まるで、それを待っていたかのように。




