第六十四話 全部投げ出しちまってよ、俺はお前と旅がしたい
朝、俺とサトコはホテルを出た。
別に何かしたわけじゃない。
魔族になった今、寝なくても平気だ。
それでも昨夜は、久々に人間だった頃みたいに眠った。
石畳を踏む音。
酒場の笑い声。
遠くで鳴る演奏。
妙に平和だった。
世界はこれから壊れる。
王都だって、たぶん長くは保たない。
なのに街の連中は、そんなこと知りもしないで笑ってる。
……まぁ、昔の俺もそうだったか。
明日終わるかもしれない人生なのに、競輪やって、オンカジやって、オリパ回してた。
人間なんてそんなもんだ。
「……」
隣を見る。サトコが静かに歩いていた。
最初に会った頃みたいな死んだ目は、少し薄れている。昨夜、カジノで笑ってたからかもしれない。
ああいう顔もするんだな、と少し思った。
「……ケンジさん」
「ん?」
「本当に平気なんですか」
「何が」
「ユラです」
あー、はいはい。
さっきからずっと感じる、あのクソ重い魔力。
崖の向こうから、ずっとこっち見てるやつ。
「まぁ怒ってるだろうな」
「それ、笑い事じゃないと思うんですけど……」
サトコの声は割と本気で怯えていた。
まぁ分からんでもない。
ユラは怖い。
あれは純粋な暴力の塊だ。
しかも今、機嫌が最悪っぽい。普通の奴なら失神するレベルの殺気を垂れ流してる。
でもまぁ。
「どうせまだ来れねぇだろ」
「……護石ですか」
「そ」
王都を囲う結界。あれが残ってる限り、ユラは本格的に侵入できない。だから今は睨んでるだけ。
「……」
サトコがまだ不安そうにしている。
俺は少し笑った。
「そんな怖がんなよ」
「怖がりますよ普通……」
「大概バケモン側だろ、俺もお前も」
「それとこれとは別です」
まぁそうか。少しだけ沈黙。
俺は空を見上げながら歩く。
妙に気分が軽かった。
理由は分かってる、サトコだ。
同じ転生者で。
同じように壊れて。
同じように、人間じゃなくなったやつ。
そんなのが隣にいるだけで、妙に楽だった。
一人じゃないって感覚。それがこんなにデカいとは思わなかった。
「……楽しいんですよね」
気づけば、口に出ていた。
サトコがこっちを見る。
俺は頭を掻いた。
「なんか退屈しねぇ」
「……」
「魔族化してからずっと、何しても虚無だったんだけどな」
本当にそうだった。
壊しても。
殺しても。
勝っても。
何も残らなかった。
腹も減らない。
眠くもならない。
欲しいもんもない。
ただ時間だけが続いていく感じ。
でも最近は違う。
カジノ行って。
くだらん話して。
一緒に街歩いて。
それだけで、少し面白い。
「お前いると、昔みたいなんだよな」
「昔?」
「人間だった頃」
サトコが少し黙る。
俺は苦笑した。
「いやまぁ、昔から終わってたけど」
「否定はしないんですね」
「できねぇよ」
二人で少し笑った。その空気が、妙に心地よかった。
ふと、俺は思ってしまう。
もう別によくねぇか、と。
王都破壊とか。
魔王軍とか。
ユラとか。
全部放り投げて。
二人で適当に旅でもして。
カジノ巡って。
酒飲んで、飽きたら別の街行って。
そんな感じでダラダラ生きるのも、悪くないんじゃないかって。
……まぁ、無理なんだけど。
俺たちは、もう戻れない。
そういう場所まで来てしまってる。
「……」
その時だった。
空気が変わる。
ぞわり、と背筋が粟立った。
サトコの足が止まる。
「……ケンジさん」
「ん?」
視線を上げる。
王都の城門。
その上に、一人立っていた。
黒い髪。
黒い外套。
風の中で揺れる、異様な魔力。
ユラ。
「……」
怖ぇ。普通に怖ぇなあれ。
門の上から、こっちをじっと見下ろしている。
しかも表情がヤバい。
鬼みたいな顔してる。
絶対機嫌悪い、というかたぶんブチ切れてる。
サトコなんか完全に固まっていた。
俺はしばらくその顔を見つめて――
なぜか少し笑ってしまった。
そのまま、近づく。吐息がわかるほどの距離で、睨みつけるユラに俺はいい放った。
「うわ、めっちゃ怒ってんじゃん」
そう言って俺は口角を上げた。




