第六十三話 王都を壊す前夜、場末のカジノで笑った終わりかけの二人
ドラグロールの卓。
ディーラーが再び筒を振る。
ガラガラガラ――。
客たちが熱に浮かされたように金を置いていく。
「奇数だ!」
「いや、低目来る!」
「ゾロだろ今回は!」
怒号と欲望。
その音を聞いているだけで、昔の記憶が少し蘇る。
俺は卓を眺めながら、適当にコインを指で弾いた。
「どこに賭けるんですか?」
サトコが横から覗き込む。
「んー……」
盤面を見る。
流れ。
客の空気。
ディーラーの癖。
そんなもん見たところで、本質的には運ゲーだ。
でも、人間は理由を探したがる。
「ここ」
俺は適当に一点へ置く。
六・六・六。
王都を壊す悪魔らしくて、ちょうどいい。
「そこですか?」
「なんとなく」
「適当ですね」
「博打なんて大体そんなもんだ」
サトコは呆れたように息を吐いた。
「それで勝てるんですか」
「知らん」
「知らないんですか……」
ディーラーが声を張る。
「締め切り!」
筒が止まる。
静寂。
次の瞬間、牌が転がった。
六。
六。
六。
一瞬遅れて、卓がざわつく。
「うおっ!?」
「マジかよ!」
「一点読み!?」
ディーラーが渋い顔で配当を寄越してきた。
積まれるコイン。サトコが目を丸くする。
「……勝ちましたね」
「勝ったな」
「なんで当たったんですか」
「知らん」
「……」
俺は笑いながらコインをかき集めた。
気分がいい。
別に金に困っているわけじゃない。今の俺たちなら、この店ごと潰して奪うことだってできる。
でも、そういう話じゃない。
勝った。ただそれだけで、妙に楽しい。
「やっぱ博打はこれだよなぁ」
「これ?」
「勝った後の飯と酒」
俺は椅子に背を預けながら言った。
「アホみたいに勝った後に、高い飯食って酒飲むんだよ。脳が焼ける」
「最低ですね」
「最高だろ」
サトコが少し笑う。
「何を食べてたんですか?」
「焼肉とか寿司とか」
「……典型的ですね」
「あと深夜ラーメン」
「さらに最低です」
「負けた時はカップ麺だけどな」
サトコがまた吹き出す。
その笑い方が、少し自然になっていた。
俺はふと、卓の上の酒瓶を見る。
「……けど、腹減らねぇんだよな」
サトコも静かに視線を落とした。
魔族化。身体は変質した。
人間だった頃みたいな空腹は、もう来ない。
食えないわけじゃない。味も分かる。
でも、生きるために必要ではなくなった。
「腹減って死にそうな時の飯って、うまかったよな」
「……はい」
「徹夜明けのコンビニ飯とかさ」
「分かります」
「カップ焼きそばとか、なんであんな美味かったんだろうな」
サトコが少しだけ目を細める。
「学校帰りに、友達と寄り道して食べた肉まんとか……好きでした」
「あー……」
なんとなく分かる。
別に高級料理じゃない。
でも、妙に記憶に残ってる。
俺はコインを指で弄びながら、小さく笑った。
「腹減らんの、つまらんな」
「……ですね」
周囲では相変わらず歓声が飛び交っている。
誰かが勝って。
誰かが負けて。
誰かがまた熱くなる。
その喧騒の中で、サトコがぽつりと言った。
「でも」
「ん?」
「私は、今も結構楽しいです」
俺は少しだけ目を瞬かせた。
サトコは卓を見たまま続ける。
「こういう場所とか、くだらない話とか、昔のこと思い出したりとか」
そして、ほんの少しだけこちらを見る。
「……ケンジさんといると、退屈しません」
騒がしい店内。
酒の臭い。
コインの音。
誰かの怒鳴り声。
そんな中で、その言葉だけ妙に静かに聞こえた。
俺は少し視線を逸らし、鼻で笑う。
「そりゃどうも」
「はい」
「でも俺、ろくでもないぞ?」
「知ってます」
「終わってる人間だし」
「私もです」
「王都壊そうとしてるしな」
「……ですね」
二人で少しだけ笑った。
ディーラーが次のゲームを始める。
「さぁ張った張った!!」
客たちが再び熱狂する。
俺は新しいコインを摘みながら、横目でサトコを見た。最初に会った時みたいな顔はしていなかった。
少なくとも今だけは、このどうしようもない時間を、少し楽しんでいる顔だった。
俺たちはカジノを出た。
薄汚れた扉が閉まる。
途端に、外の夜気が肌を撫でた。
酒と煙草の熱気に慣れた後だからか、夜風が妙に冷たく感じる。
王都バルミナムの夜。
石畳。
揺れる街灯。
酔っ払いの笑い声。
遠くを巡回する兵士の足音。
世界は崩れかけているはずなのに、街はまだ生きていた。
俺はコイン袋を軽く振る。
ジャラ、と音が鳴った。
「結構勝ちましたね」
サトコが隣で言う。
「まぁな」
「どうするんですか、それ」
「どうもしない」
「……え?」
俺は肩をすくめた。
「別に金欲しくてやったわけじゃねぇし」
「じゃあ、何で」
「暇つぶし?」
「最低ですね」
「今さらだろ」
サトコが小さく笑う。
俺たちは、そのまま大通りを歩いた。
特に目的はない。
屋台から漂う肉の匂い。
酒場から漏れる演奏。
道端で眠る浮浪者。
どれも、もう自分たちとは少し遠い。
本当なら。
博打で勝った後は、うまい飯でも食って、酒でも飲んで、馬鹿みたいに笑う時間だ。
でも俺たちは、もう腹が減らない。
生きるための欲求が、どこか壊れている。
それが少しだけ、つまらなかった。
「……」
サトコが夜空を見上げる。
「どうした」
「いえ」
少し迷うようにしてから、口を開いた。
「こういう時間、久しぶりだなって」
「遊び歩くのが?」
「はい」
「友達とかと行かなかったのか」
「……昔は、少しだけ」
その声は静かだった。
「でも、段々そういうの無くなって」
「あー……」
分かる気がした。
大人になるとか。
壊れていくとか。
孤独になるとか。
そういうのは、だいたい静かに始まる。
俺は頭を掻く。
「まぁ、たまにはいいだろ」
「はい」
「世界滅ぼす前夜の散歩ってのも」
「語感が最悪です」
二人で少し笑った。
その時だった。
――ぞわり。
空気が変わる。
俺の足が止まった。
サトコの表情も消える。
「……ケンジさん」
「あぁ」
遠く、王都の外。さらに向こう。
黒く切り立った崖の方向から、巨大な殺意が流れてくる。重く、そして冷たい。
呼吸を止めたくなるような圧力。
人間なら、感じた瞬間に失神してもおかしくない。
俺は小さく目を細めた。
「ユラか」
姿は見えない。
だが、分かる。あいつは今、こちらを見ている。
まるで。
『何を遊んでいるのですか?』
そう無言で問いかけてくるみたいに。
サトコが小さく息を飲む。
「……怒ってます?」
「たぶんな」
「どうしますか」
俺はしばらく夜の彼方を見つめ、それから少しだけ笑った。
「どうせまだ来れねぇよ、護石が残ってる限りな」
空の向こうでは、禍々しい魔力が静かに渦巻いていた。




